母が認知症と診断されてから4度目の冬を迎えました。
大混乱で始まった4年前、フリーランスの仕事を抱えながらわずか2週間で介護認定やら病院での検査やら、ケアマネージャーやヘルパーの選定・依頼やらをすべてこなしきりました。今思い返せば我ながらよくぞやりきったと思います
認知症になった母は抑制がききません。逆に言えばこれほど自由な魂はないのかもしれません。いやなものはいや!おおっぴらにがまんをしなくてもよくなったのですから・・・。
91歳の今日まで、欠かさずつけてきた家計簿の習慣は、認知症になっても続いています。達筆だった母が、ミミズが這うような力のない震えた文字を書き綴っているのを見るのは切ないものがありますが、あるときふと家計簿の欄外に「わびしい人生だった」と書かれているのを見つけて愕然としてしまいました。
認知症は「ものわすれ」がひどくなった状態・・・とりわけ短期記憶はすぐに失われてしまいますが、記憶が消えてしまうのではないと思っています。記憶をしまってある引き出しの開き方がわからなくなる、とでも言ったらよいのかもしれません。そして折々の感情というものはむしろ鮮明になっているような気がします。いままで理性で押さえつけていた部分が取り払われて、ピュアでストレートな感情が現れるのではないでしょうか。
91年という長い人生の中で楽しいこと、うれしいこともたくさんあったでしょうに、その総括が「わびしい」の一言でくくられるものだいうのは、なんとも悲しいことですが、確かに歯を食いしばるようなつらく苦しい思いを限りなく体験してきたのも事実です。
そんな母の口癖は「今年いっぱいがまんすれば・・・」というものでした。どんな困難であっても「今年いっぱい」というゴールを決めて頑張り続けてきたのです。もちろん、除夜の鐘がなり終えて新しい年に変わったからと言って、困難な状況が雲散霧消するわけではありません。また「今年いっぱいのがまん」が始まるというだけのことです。でも、そうやって逃げ水のようなゴールを設定したからこそ、今まで歩んでこられたのだとも言えるでしょう。
仕事の合間をみつけて母の様子を見に出かけていくのが習慣になりましたが、私が行くと必ず、歩いて10分ほどのところにあるスーパーまで行きたがります。一緒に歩くときは右手に杖を持ち、左手は私の手を握りしめる母がたまらなく愛しくなります。
そんなとき、「こうしてあなたと歩けるのも今年いっぱいね~」と言う母の言葉を聞いて、例の口癖を思い出して、心のなかでつぶやきました。「ばあちゃん、いつもの口癖ね。でも、どうせならいつまでも一緒に歩ける逃げ水ゴールにしましょ」