人間が普通考えてる思考っていうのは 経験した記憶とか知識とか そういったもので思考するわけじゃない?

 

これは表象化のループを免れないわけ でもドゥルーズは表象化のループを壊そうとするわけだから 脱・思考なんだよ

 

ところが脱・思考をするためには 「反・思考」が必要だって言ってるわけ

 

ヌースじゃない コレ

 

能動思考というのが そういうものに対応してるわけ

 

フツウの思考は受動思考なわけ 与えられたものから思考していくから

 

そのループを完全に壊し去るのは 「反・思考」の能動思考しかないのだと言っている

 

「反・思考」思考に反対する、思考

 

まさに、精神だよね これがね NOOSです

 

 

「反・思考とはどういう思考方法ですか?」

 

普通の思考というものを考えてみてください これは基本的には悟性と理性というものが作り出していくんだけども

 

これは、僕が言ってることじゃなくてカントとかの考え方を借りると まず人間は感性を育てるわけだよね 全く一緒だよねヌーソロジーと

 

感性を育てる 感性は何かというと”知覚”です

知覚や感情的土台と言ってもいい

 

そこに知覚や感情的働きの土台があるということです。感性の世界。

それはヌーソロジーで言うと人間の外面を交差していく感性の働きで まず生まれてくるわけですね

 

そしてそこから学校に入学して社会のことを学んでいくときに悟性が働いてくる。

言葉のちからです

 

そして言葉の力を学んで、言葉と知覚の対応をしていくでしょう?

ものを覚えるとはそういうことだよね。

知覚したものと言葉で学んだものを一致させていくという

ある種の等化といってもいいのかな

そういったことを行いながら言語世界と知覚世界というのが対等になってくる

そこで悟性の働きとして「言語」と「概念」というのが生まれてくるわけです

 

そして「言語」と「概念」が生まれてきたら、今度はそれをまた知覚へと戻すわけです。そこに「表象」というのが生まれるという話をしました

 

(ところで)幼児の頃は表象ってないんだよ

みんな幼児って絵をうまく書けないでしょ

つまり、見てるものに対する意味付けがハッキリしてないわけ

言葉が僕らに物の輪郭や物の正体をはっきりさせる役割を送り出しているわけ

概念を持ってるから 言葉が。

 

だから、(例えば)

ハンマーを見たときには…それは「釘を打ち付ける何か棒の先に鉄がついたものだ」っていう形で「ハンマー」がはっきりイメージされて、「ハンマー」という言葉とその「知覚像」が一致させられるわけだけど、それによって「表象」の活動というのが始まるわけ

 

「表象」というのは、何か僕が言葉を言ったらすぐ物を思い出す

今のように「ハンマー」と言ったら皆さんの意識の中で「ハンマー」というイメージがパッとでてくるじゃない 記憶の中から それが「表象」

 

…幼児に「表象」が生まれてないというのは意味がわからないから

例えば、パッと僕が(ペットボトルを)見せればさ それは”ペットボトル”だねってことで、言語によって意味づけされた概念も一緒に知覚で伝わるでしょう

ところが幼児はそれを学んでないから 何かわらないわけ 知覚はあっても

 

概念をことばで学んで、今度ペットボトルをみると、意味がスッとわかる

…言語を与えられて、また知覚をみたときに、この「表象」というのが出てくるわけだ そういう仕組になってると思ってください

 

(表象とは)つまり意味をもってものを見ることができる

もっと簡単に言っちゃうと「このものは〇〇」と簡単に言えるようになってくる

そういう状況で見えている知覚のことを「表象」と呼びます 哲学の言葉です

 

英語では re-presentation 再びー現前する

2回目にものが現れたときに「表象」になるという意味です

1回目のものの現れは単なる知覚で表象ではありません

言葉を覚えて また知覚に戻ったとき これがリ(再)プレゼント(出現)です

 

よく考えてください 思考の話ですよね

僕らの思考というのは殆どこのリプレゼンテーション

「表象」を使ってやっていませんか?

 

何かを思考する 何でもいいです いろんな思考のレベルがあるので

例えば 昨日行った焼肉屋のタレの味 俺だったら醤油はこのくらいの割合でこのぐらいみりんを入れて…とか、それも思考のひとつじゃないですか

それって全部「表象」使ってるでしょ? みりん、醤油、焼肉、わかりますか?

だいたい人間の思考というのはそういうもので唯一表象じゃないものを使う思考というのは あえて言うなら 理性の思考です

 

理性の思考というのは、例えばピタゴラスの三角形の定理とか言ってるのは見えるものじゃないじゃないですか

知覚が存在してないよね 数学の世界っていうのは そういった意味では理性がやっている つまり悟性よりも一歩進んだ推論能力を持つものがこの理性がやっていることなんだけども それによって科学が生まれてきているんだけどね

 

でも、それもある意味、科学だって知覚と悟性がなければ人間の理性なんて絶対でてきっこなくて…土台にしてるわけですよ だから「表象」を土台にして理性というものを生み出して 科学的思考なんかをやってるわけだから これも表象の思考の類です 対象思考と呼んでいいと思うんだけど、簡単に言うと

 

何であれ思考が「対象」を持っているっていうさ そういう思考のことを”思考”と呼んでいるわけ

 

「反・思考」というのは、そうじゃないっていうことを言ってるわけ

そういう表象を持たない思考のことをドゥルーズは反・思考と呼んでいて、それが思考というものだ、と。

言い換えると、決して思考できないものを思考すること、これが「反・思考」ということなんだよ ドゥルーズに言わせれば 思考というものはそういうものなんだと

 

だから人間はつねに思考させられるように仕向けられてるともいうね

 

常に思考せよ、思考せよ、という命令が下ってるわけ

何から? おそらく精神から

 

それは、たぶん 今日の言い方するならば「純粋未来」がそうさせている

そこに向かえというような指令を人間に出してきて人間は思考を強制させられているみたいな言い方をするんだけどさ

 

だから今スピリチュアルで流行ってるように

皆さん思考はやめましょう

すべて感じることです

…と言っても、無理

絶対、思考する

 

思考をやめましょう、ということ自体が思考だからさ

だから、無理なんだよ

 

そのぐらい思考というのは精神において重要な位置を占めているというのが、この反思考の考え方です 哲学の考え方になっちゃうんだけどね

 

もちろん、東洋的に思考を止めろっていうさ

東洋の言い伝えにあるような、アプローチもあると思うけど僕はそれは違うと思っていてドゥルーズのような思考を止めたら人間は終わると思っているタイプなのでOCOT情報のような世界があるとするならば、やっぱりそれは思考がとても重要視される世界だなと思ってます

もっと言うと 存在とはひとつの思考だろうと思っています

そしてそこに情動が燃料を注ぐような、そういう形である

 

情動がダメだと言ってるわけじゃなくて、でも宇宙をこうやって前進させている力っていうのは 神の思考 だと思います

 

この(神の)思考は 人間の思考とはまるっきり違うもので、人間においては思考不可能なもの でもその不可能な思考を思考することが本当の思考であり、それを「反思考」と呼んでいるということで、いいでしょうか

 

 

いや、ものすごい難易度の高いことを言っていることは認めます

でも、これが哲学の本質だというふうに考えてください

OCOT情報もそれを人間に求めてる

OCOTの用語からそれを感じ取ります

何一つ人間の世界に対応するような概念が存在していないんですよ

(つまり、OCOT情報の解読には反思考しかあり得ない)

 

 

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これ、エキスパート向けの動画で3時間あります。

盛りだくさんすぎる内容

この動画の切り抜きを作れる島津さん

”神”ってます。笑

 

島津さんの切り抜き💖に敬意を抱き

まともに文字起こししたら2時間かかりました。

次回は文字起こしやめよ〜^^;

 

ただ、この切り抜き以上に

うまくまとめられる人はいないと思われる。

それくらい深い内容でした。

 

 

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