昨日はヌーソロジーの動画を観ておりました^^

このまえリアタイでLIVEに参加したら家族から怒られました

 

「LIVEはデータを喰うからアーカイブでみろ」

 

お叱りをうけて、土曜日にLIVE配信されたシリウスファイル#15のアーカイブを観ました。その中で半田さんが言ってた言葉です。

 

ヌーソロジーのいう”わたし”とは

「あなた」と「わたし」を包む空間そのもの

 

”わたし”の定義を

ヌーソロジーでは空間、時間、素粒子と捉えます。

 

わたしは「時間」

わたしは「空間」

わたしは「素粒子」

 

わたしたちが”わたし”と言っているものと

捉え方が根本的に違います

 

ヌーソロジーでは

素粒子を「人間の意識」

としてみます

 

つまり、

人間の意識が素粒子に働きかけているのではない(わたしたちの心が映写機で現実に投影されているのではない)

 

素粒子を「人間の意識」とみている

すべてを”わたし”としてみている

 主客一致 の世界なのです

 

大自然を創造していく主客一致の思考

 それがヌーソロジー

 魂的唯物論の世界です

 

 

少し前のわたしならこの思考が全く頭に馴染みませんでした。

ちなみに辰巳天中殺です^^

どこまでも「経験的思考」の世界

自他を「対象化」した世界

「主客分離」した世界に生きておりました

 

しかし、いまは何故かわからないが…

ヌーソロジーが何を言っているのかわかるのです。

偶然にも月回帰ワークセッションが

それを後押ししてくれました

 

ともに喜べる仲間がいる!

この共感関係(自己他者関係)がわたしを「経験的思考」と「主客分離」の世界から、思考が垂直に上に上がっていく「主客一致」の世界へ連れてきてくれた。

 

あなたの幸せはわたしの幸せ💖

いまは本気で感じる✨

 

たとえば「境界線」問題を抱えている人がいる

誰か苦手なことや、苦手な人がいるわけです。

 

月回帰ワークセッションでは、そこで「境界線」を決めてくださいと提案します。具体的に書いてくださいともいいます。

その伝え方もこれから変わってくるでしょうね。

 

たとえば、いまのわたしは「境界線」問題を「主客分離」で捉えません。自己他者関係で発生する問題の解釈はこうです。

 

 

「あなた」という名の「わたし」がなんかやりだしたぞ!笑

「あなた」という名の「わたし」は笑っている!笑

「あなた」という名の「わたし」が訴えている!笑

 

 

ぜーーんぶ、”わたし”

深刻になりません

 

どーせ全部が”わたし”なんだから。

またそのうち立ち直る

わたしだから「否定」する必要なし

てか、「否定」できない。わたしだから。笑

 

「主客一致」という観点から捉えると

単に「折り合いがついてない」くらいの解釈

 

それは相手が攻撃してきても悪口言ってきても

「主客分離」で「敵」とみなさない

なんか「あいて」という名の「わたし」が言っているよぉ〜

面白いね、という解釈。

自分が悪かろうが相手が悪かろうが、根本的なところでは悪いと思ってない、カラッとしてます。

 

あとこういう感覚は、占星術でいう「月」が安定してくるとスムーズに出ますね。

 

自責の念が強い人、自他をボコボコにする人は、つねに自分にダメ出しをするという癖があります。

 

ここを直す(反省する)というより、もっと自分を甘やかす必要があります。逆のアプローチが必要です。

 

 

批判癖は「月」が満たされると不思議とでなくなります

ですから、わたしの提供する月回帰ワークセッションでは

まずは思いっきりその人の「月」を満たすことを考えます

つまり「月」を不安にさせません

 

それから、「主客分離」の思考に「主客一致」の思考を少しずつ取り入れていきます。仰々しく教えるようなことはしません。ただ世間話をするだけです。雑談の中で「奥行きの言葉」を入れていきます。

 

 

この資本主義社会は「幅の世界」です。

そこを否定しては絶対に生きていけません。

ただ「幅の世界」だけでは人間は健やかに成長できません

 

評価・比較・欲望が増幅する

資本主義社会だけの価値観になってしまう

 

そこには、「奥行き」が必要です

わたしはヌーソロジーで「奥行き」を学びたいと思います。そして、その学び全てを月回帰ワークセッションで発揮したいと思っています^^

 

 

ありがとうございます虹