昨日はヌーソロジーの動画を観ておりました^^
このまえリアタイでLIVEに参加したら家族から怒られました
「LIVEはデータを喰うからアーカイブでみろ」
お叱りをうけて、土曜日にLIVE配信されたシリウスファイル#
ヌーソロジーのいう”わたし”とは
「あなた」と「わたし」を包む空間そのもの
”わたし”の定義を
ヌーソロジーでは空間、時間、素粒子と捉えます。
わたしは「時間」
わたしは「空間」
わたしは「素粒子」
わたしたちが”わたし”と言っているものと
捉え方が根本的に違います
ヌーソロジーでは
素粒子を「人間の意識」
としてみます
つまり、
人間の意識が素粒子に働きかけているのではない(わたしたちの心が映写機で現実に投影されているのではない)
素粒子を「人間の意識」とみている
すべてを”わたし”としてみている
主客一致 の世界なのです
大自然を創造していく主客一致の思考
それがヌーソロジー
魂的唯物論の世界です
少し前のわたしならこの思考が全く頭に馴染みませんでした。
ちなみに辰巳天中殺です^^
どこまでも「経験的思考」の世界
自他を「対象化」した世界
「主客分離」した世界に生きておりました
しかし、いまは何故かわからないが…
ヌーソロジーが何を言っているのかわかるのです。
偶然にも月回帰ワークセッションが
それを後押ししてくれました
ともに喜べる仲間がいる!
この共感関係(自己他者関係)がわたしを「経験的思考」と「主客分離」
あなたの幸せはわたしの幸せ💖
いまは本気で感じる✨
たとえば「境界線」問題を抱えている人がいる
誰か苦手なことや、苦手な人がいるわけです。
月回帰ワークセッションでは、そこで「境界線」を決めてくださいと提案します。具体的に書いてくださいともいいます。
その伝え方もこれから変わってくるでしょうね。
たとえば、いまのわたしは「境界線」問題を「主客分離」で捉えません。自己他者関係で発生する問題の解釈はこうです。
「あなた」という名の「わたし」がなんかやりだしたぞ!笑
「あなた」という名の「わたし」は笑っている!笑
「あなた」という名の「わたし」が訴えている!笑
ぜーーんぶ、”わたし”
深刻になりません
どーせ全部が”わたし”なんだから。
またそのうち立ち直る
わたしだから「否定」する必要なし
てか、「否定」できない。わたしだから。笑
「主客一致」という観点から捉えると
単に「折り合いがついてない」くらいの解釈
それは相手が攻撃してきても悪口言ってきても
「主客分離」で「敵」とみなさない
なんか「あいて」という名の「わたし」が言っているよぉ〜
面白いね、という解釈。
自分が悪かろうが相手が悪かろうが、根本的なところでは悪いと思ってない、カラッとしてます。
あとこういう感覚は、占星術でいう「月」が安定してくるとスムーズに出ますね。
自責の念が強い人、自他をボコボコにする人は、つねに自分にダメ出しをするという癖があります。
ここを直す(反省する)というより、もっと自分を甘やかす必要があります。逆のアプローチが必要です。
批判癖は「月」が満たされると不思議とでなくなります
ですから、わたしの提供する月回帰ワークセッションでは
まずは思いっきりその人の「月」を満たすことを考えます
つまり「月」を不安にさせません
それから、「主客分離」の思考に「主客一致」の思考を少しずつ取り入れていきます。仰々しく教えるようなことはしません。
この資本主義社会は「幅の世界」です。
そこを否定しては絶対に生きていけません。
ただ「幅の世界」だけでは人間は健やかに成長できません
評価・比較・欲望が増幅する
資本主義社会だけの価値観になってしまう
そこには、「奥行き」が必要です
わたしはヌーソロジーで「奥行き」を学びたいと思います。そして、その学び全てを月回帰ワークセッションで発揮したいと思っています^^
ありがとうございます