例えば眼の前に”りんご”があるとする。
りんごがあったとしたら、だいたい直径10センチ、半径5センチ位のりんごが形作っている球空間を(僕らは)概念化して把握してるわけだよね。
じゃ、一方で宇宙の大きさ、どれくらいあるんだろう
…っていうふうに、僕らが考えるときに、
だいたい今の科学だったら半径が137億、8億光年くらいの巨大な「りんごを膨らませたような空間」で、この宇宙をイメージするわけだよ。
モノ一個の内部に広がる空間っていうのは、
ここで何を指しているのかというと、
”半径5センチの球空間”があると、
これは当然時空尺度にも変えられるけど、
それと同時に今度は
”半径137億光年”という
球空間イメージがあるとすると、
そのふたつの球空間っていうのは
尺度以外に何も
変わってないじゃないですか?
つまり全く同じ概念、同じ表象で、まさに”大きさ”という概念で空間を膨らませてイメージしてるよね、という話なんだよ
だから、じゃあこの大きな宇宙が”137億光年”あるよね、っていうこの丸く巨大な球空間のイメージは何から生まれているかって言うと、やっぱり”もの”から生まれてるんだよね
”もの”が基本になって、その尺度を付け加えて大きくして、巨大にりんごが膨らんだイメージとして、この宇宙空間をイメージしているでしょって言ってるわけ
だから、そういった意味じゃ「モノ一個の内部に広がる空間」っていうのが、私達が宇宙と呼んでいるものと何ら変わりはないでしょうと言ってるわけです。
だから今、僕らが普通に感じている一つの宇宙の中に自分がいるという感覚は、目の前のりんごという”りんごの球体”をむちゃくちゃ巨大にしたところに、自分が一緒に含まれていると考えることと全く一緒
ある種、次元がまったく生まれていないっていう言い方になるんだけどね(ヌースの場合だとね)
「その外に出る」ってことは
「モノから出る」っていうことだよね
モノから出るっていうことは、
目の前に「物が認識できる」ってことなの
「物と同じ空間」の中では物は認識できなくて、僕らが目の前に「物を認識している」っていうことはゲシュタルト心理学の言い方では図と地という関係があって、初めて物は見えるわけだから、そういう図と地の関係が生まれる時にはもう物から出てる。
本来はね
だから、単に尺度化した空間の中で遠く離れたから物が見えてるんじゃなくて「物が見える」ってこと自体がもう「次元が変わってる」と考えるのがヌーソロジー
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単に、この動画で語られていることを抜き出しただけですが、どうですか? ヌーソロジー面白いですよね^^
ヌーソロジーの面白さがわかると、松村先生の話が断然理解できるようになります。松村先生は独特の言い方をしているだけで、「ああ、そういう視点(次元)から解釈されてるのね」と理解できるようになります
今回の動画は、松村先生の過去動画
「わたしを見ているわたしを見ているわたし」の自己想起の構造を説明していると思っていもいいかもしれません。
「わたし」を物として認識するなら。
自己想起やってるときヌーソロジー的には「次元が変わっている」と表現できるでしょう。
松村先生の言ってることがヌーソロジーを知ると「何言ってるんだ?」ってならなくなります。たぶん、歴史上の哲学者の言ってることも「結局難しい言葉を使ってるだけで、こういう視点から切り込んで世界を見てるんじゃないの?」ってアテがつけられるようになります。それが、ヌーソロジーの「おもしろい」ところです♡
ありがとうございます
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