久しぶりの更新となってしまいました。

 

実はGW中に祖父が亡くなりました。

 

2年前の夏

なんか調子が悪くて食欲がないなと思っていたけれど

毎月通院していたにも関わらず

ただの夏バテだと思って

特に医師に相談していなかった祖父。

 

祖母から明らかに最近食べる量が減ったから

心配だと連絡があり母の勤務先の病院を受診したところ

肝臓がんが発覚。

当時は半年持つかな・・・と言われていました。

80代半ばと年齢も年齢なので

無理に治療はせずに通院しながら様子を診ることに。

 

告知されてすぐに

冬の祖父の誕生日前のまだ元気なうちに

思い出作りしようと温泉旅行を計画。

なんとか家族みんなで行くことができました。

 

その後は体調に波があったものの

余命半年と言われていたにも関わらず

歳がいっているせいか進行はゆっくりで

時々食欲が落ちたら1週間程度の入院を繰り返していました。

 

約半年前から通院するのも体力的にきつくなり

訪問看護に切り替えました。

 

今年の正月に地震が起きた時は

海に近い地域に住んでいるので津波警報がでていましたが

動くのもだるいから自宅にいると言っていました。

それでもやはり心配で祖父母の近くに住んでいる

いとこや叔父さんたちに無理やり避難所へ

連れていってもらいましたが

疲れ切った様子でした。

 

私たち家族は祖父母宅からは車で1時間半程の場所に

住んでいるのでいとこたちとLINEでやりとりし

祖父母の様子を教えてもらっていました。

 

それから少しずつ弱り始めましたが

格好悪い姿を見せたくないのか

動くのも辛いのにトイレは自分で行きたいと

なんとか起き上がって祖母が付き添って行っていました。

いつ何があってもおかしくない状況で

桜見れるかな?お祭り見れるかな?

とカウントダウンが始まっていました。

 

歩くのもきつくなってきた頃

簡易トイレに切り替え

さらに亡くなる2週間ほど前におむつに切り替えて

完全に寝たきりになってしまい

食事のときはベッドを起こして食べている状態でした。

 

4月に祖父に会いに行ったときは

「毎日夢の中であの世いっとるんよ」

「長生きしすぎたなあ」

と言っていました。

弱ってはいるけれど会話はできる状況でした。

 

それから1か月ほど経ち

GWに祖父母の地域のお祭りへ行くと

喋っているけど聞き取れないことも多く

痰が絡んでいるのか息もしづらそうで

「これからの過ごし方」という冊子によると

亡くなる1~2週間前くらいの症状が出ていて

もう長くはないなと察しました。

 

帰り際に

「じいちゃん、また来るね!」

と声をかけると

「気をつけてな」

とはっきり会話ができました。

 

しかし翌日の夕方頃に祖母から

ずっとぼーっとしていて

寝ているのか起きているのかわからない

ほとんど意識がないと連絡があり

夕飯などを済ませて泊まりの準備をして

21時過ぎに急いで祖父宅へ向かいました。

 

私はその時正直

昨日行ったばっかりだしな…どうしよう

と思っていましたが

妹たちが今から行くという話をしているのを聞いて

息子がどこへ行くかもよくわかっていないまま

「僕も行く!」と言ったので

一緒に行くことにしました。

この時本当について行ってよかった。

 

23時頃に着いて

「じいちゃん、来たよ。わかる?」と

話しかけてもあまり反応がありませんでした。

夜も遅かったので息子を先に寝かせたくて

「じいじにおやすみって言っておいで」と言い

元気に「じいじ、おやすみ!」と言ったけれど

やはり反応がなく。

 

私は夜型人間なのでそのままずっと眠れず。

看護師の母がずっと付き添って様子を見ていて

たまたま祖母が夜中1時半頃にトイレへ行き

その後、看護師の妹がトイレに行った後

祖父の様子を見に行くと

もう呼吸の間隔が長いからだめかもということで

近くの叔父一家を呼んでみんなが集まったところで

母と妹が脈も取れないし息もしていない

携帯のライトで目を見ると瞳孔が開いているということで

亡くなったと判断し

訪問看護の緊急連絡先へ連絡し

朝に先生が最終的な死亡確認をしにきてくださいました。

 

亡くなってすぐはまだ身体も暖かくて

祖母が「ほんとに?まだ暖かいのに?」と信じられない様子で

急に片付けなどを始めてそわそわしていました。

 

母と妹は死後硬直が始まる前に入れ歯を入れたり

身体の水分が出てくるからといろいろ敷き始めたり

てきぱき動いてくれました。

 

亡くなったことは悲しいけれど

ある程度覚悟ができていた分

何度も会いに行くことができたし

闘病中は辛いこともあったと思いますが

最後はみんなに見守られながら静かに息を引き取って

祖父は幸せだったんじゃないかと思っています。

 

ほとんど怒ることがなく

いつもにこにこして穏やかだった祖父。

遺影の写真には祖母と私の息子と

3人で撮った素敵な笑顔の写真を選びました。

 

GW明けの仕事始めの日にお通夜、

翌日にお葬式となったので

思いがけず長いGWとなってしまいました。

これもいつも仕事へ行きたくないと言っている私への

祖父からの最後のプレゼントかなと思っています。

 

じいちゃん、ありがとう。

天国でも元気でね。

 

ありがとうを伝えたい人

 

 

 

 

 

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