私の実家は山間部の小さな町です。

 

その山間部の小さな町の小学校で、私の祖母は用務員として雇われていました。

セキュリティ会社に加入している施設や家など、まだ珍しいとされる地域(または時代)のお話しです。

 

祖母は、その小学校に古くから勤続していることもあり、ほぼ家のような感覚で、朝早くから夜遅くまでの時間を小学校内で過ごしているような人でした。

校舎は古く、もともとは将校さんの施設だったと聞いています。

木造の2階建てで、玄関を入ってすぐの受付窓が印象的でした(職員室になっていました)

 

私の出身校でもあり、その小学校を卒業してからも、夜に祖母を迎えに行くと校舎内に入ることを許可してくださり(現在では校内に入ることさへ難しくなりました)祖母の仕事を手伝う体裁で(祖母の迎えと云うよりは《校舎内を歩きたい》という事が目的だったのかも知れません。ゴメンなさい)かつての小学校時代の思い出を懐かしみながらも、火の元や戸締りの確認もします。この時間は私の楽しみでもありました。

 

現在、この小学校は地域の過疎化に伴っての合併等の理由で、新しく建て替えられてしまいました。

 

そんなある日。

夏休みに入った時期だったと思います。高校生になっていた私は、郊外の高校を選んだこともあって、友人の輪も広がっていた故に郊外の友人と遊び歩くことも多くなり、家の自室で過ごすという時間がめっきり少なくなっていたのですが、この日は友人たちとの約束もなく、ポーンと時間が空いてしまい、久しく祖母の迎えを理由に(祖母に申し訳ない)小学校内を観たくなりました。

 

夏とは言え、山間部の夜は早く、19時を過ぎた頃には、すっかり夜の帳に覆われます。学校に残る教職員も少なくなったであろう頃合に、私は小学校に向かい校内へと入らせていただきました。

最後の教職員も帰られ、校内は祖母と私の2人だけとなりました。

祖母は職員室の湯飲みやゴミなどの片付けをしており、私はその間、図書室や図工室、音楽室などがある2階へと階段を昇りました。

 

学校と云う施設は、広いグランドを挟み、割に孤立した位置に建っているため(田舎では結構、山際とかが多いイメージです)本当に外部からの音が届かないのです。ましてや過疎地と言ってもいい程の地域。

昼間には子どもたちの声や音があるのに、人気の途絶えた校内は恐ろしいほどの静寂が押し包んでいました。

人間の身体とは不思議なもので、まったく音がないと音を作ろうとするのか、決まって耳鳴りが始まるのです(私だけ?)

木製の窓枠。経年の劣化に波打ち、歪んだガラスを通し見る外の景色は、闇が濃過ぎて、明かりがある校内の風景を写す鏡のようでした。

 

夜の大海に浮かぶ一隻の船の中に、独り取り残されたような錯覚さへ抱かせるのです。

 

私と祖母がいる場所は南校舎で、間に小さな庭を挟んだ向かい側に北校舎があります。

学年別に分かれた教室と、確か理科室や家庭科室も北校舎でした。一方、南校舎は職員室、音楽室、図工室、放送室があり、南校舎と北校舎は渡り廊下で繋がっています。

北校舎は、学生の気配が途絶えると、祖母は先に掃除、戸締りを済ませていました(1学年1クラスの小さな学校です)

 

私は耳鳴りがイヤで、古いねじ込み式の鍵を外し、中庭を望む窓を開けました(当時、この小さな中庭には街灯すらなかったのです)冷たい外気と夜の中庭。その小さな中庭を挟み、対面になった北校舎の窓に、電灯が灯った此方(南校舎)の風景が反射していました。

多少の歪みはありましたが、2階の窓を開け、逆光になって黒い私の姿。1階には用務員室の方向へと廊下を歩いている白い割烹着姿の祖母の姿がありました。

「キレイに反射しているなぁ」

私はボンヤリと、校舎の古い窓ガラスに反射し、映し出された光景を暫く眺めていました。やがて耳鳴りも止んだ頃、虫が入ってくるのを危惧した私は窓を閉め、諸々の戸締りを確認すると1階の祖母の元へと戻りました。最後は用務員室の鍵を閉め、懐中電灯のスイッチを入れ帰路につきます。

帰り道に祖母に、先ほどの窓の反射の件を話すと、最初は笑顔で聞いてくれていましたが、話を終えた後、少し考えた顔をし

「北校舎の窓は全部〔曇りガラス〕だよ」

と言うのでした。

私はハッとして「確かに曇りガラス」と思い出しました。

 

特に怖い思いをした訳でもないので、その後、この話はうやむやの内に消滅したと思います。

 

結局、あの光景は何だったのでしょうか?

学校が記録(または記憶?)し、映し出した幻だったのでしょうか?

 

現在。祖母が他界し、その祖母が働いていた校舎も様変わりしてしまいましたが、私の中では不思議でいて、懐かしいような、暖かいような、そんな大切な記憶として心に残っています。