なぜか?への持論 | 天賦の才

なぜか?への持論

ガールズバー店長に「ハイキック」 強盗の疑いで逮捕の男が…突然“土下座” 格闘イベント出場も(日テレNEWS NNN)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/0c8ff9718575aa4b275b25ed32b72d0ac33eb5c0/comments

 

もう二十年くらい前?

K1ブームくらいから

 

目ぇ血走らせて人の殴り合いを見るのが好き

眼の前で喧嘩があれば知らんふりして遠巻きに

今ならスマホで録画してSNS

 

まあ人の不幸が好き

谷の揉め事へのガヤ

出歯亀

日本人の気質。

 

格闘技ブームのときも

プロレスは八百長だ!所詮ショーだ

そのトレーニングや技食らったときの技術、その痛みも知らず、弱いものに、反抗できないものに一方的にみた技をかける

 

まあ、経験もなにもないのに他人からの聞きかじりの「情報」そうたよね。井戸端会議の話を人とまた話

孫録の裏ビデオみたいな解像度の情報を真実として見知らぬ誰かを傷つける

ザジャパニーズ!ザ 小市民よね

 

夢見てレスラーになって、死にものぐるいで頑張った人たちのステージを

「所詮イカサマ」とか一笑できる

そんな民度たぜ?

で、メディアが「これが本物だ!」って用意したものには「すごい!」って飛びついて高い金払って

ほんとカルチャーについても養殖民族だなぁと

 

ずーっと幼少期から何かしらの武術には関わって

まあ、いろんなことがあって(笑)

最終は子どもたちたちに教えることまでは

でも、子どもたちに武術。技や技術を伝えることは少なく、武道の方。道。心技体の心と体を伝えたかった

それがないと綺麗事を言っても他の暴力。喧嘩

じゃあ素手な必要ないし、どうやったって漫画じゃないんだから、武装した人間に勝てない 

嘘や欺瞞、そして武装が人間の爪と牙だもん

だから棒一本持てば、車に乗れば人間多くは強気になるし、武器を持ては被虐的になる

戦争や火事場のギリギリラインはきれいごとがつうようしない

ネットもそうだよね。匿名性のアドバンテージだけで

日本人はここまで残忍になれる

小市民はこうだ、侍だ武士道だいうよね

韓国の人を中国人が揶揄するとき高麗棒子ってある

日本鬼子みたいな?

日本人は悪魔のように中国て振る舞った

で、その悪魔のような日本軍のうしろで、銃をもたせると後ろから打つからと、棒を持たされ、その棒で虎の威を借りて中国人をいじめたという意味らしいけど

日本人だって何ら変わらんよね

侍だ武士だ大和魂だ言ってるのは

志があって、その道に生き、責務に生き、死んていった人たち

意思も思想もなにもない小市民はその名前とキャッチコピーに乗っかるだけだわな

どこの国もいつの時代もさ

 

話はずれたけど

まあネットとか見てて、これが基盤にあんだなーっておもうよ

体は鍛えることは強くなるってかあたりまえ

音楽でも「〜が弾ける」とかは当たり前じゃん

その研鑽。修練、努力がまず「道」。

「体」とはその修練の道と考えている。

心は抜かずの精神。いかなる困難、苦難にあっても

己の力を過信せず、慢心せず。使うべきところ、場所。その加減を理解し行使できる

他者を傷つけることは永遠の命の鎖を断ち切る責任。

その責任と覚悟と意味を理解し、それを使っていると理解できる心

少なくとも鉄の車に乗って強気になったり、地位や武器、金で人より上になってしまうようでは無理な話。

だからこそ体と心を鍛える

技は守るもので、人を傷つけるものではない。力がないと守れないこともある

ただし、「体」の力は暴力。そこに「心」があるからこそ「技」が生まれる

空手でもなんでも「武道」ならこれは当たり前のことで、これがあるからこその武道。

 

でもスポーツ、格闘技。ルールのある暴力。

無責任な「傍観者」はどんどんこれを選ぶ。そりゃ楽だもん。

体を鍛える必要もなく。スポーツのトレーニング。筋力を鍛え、持久力をつける。

暴力のために体を鍛える。ずいぶん原始的なことを最先端に金をつかってやるわけだ。

今の日本は「心」なんてもうない。尊敬も、信仰も、理念も、誇りも、情も義侠も。愛は自己愛しかない。

金にならない。故郷も家族も、信用も信頼も。金さえあれば。

レッテルと数字だけの究極の物質社会。競走という他者を蹴落とすだけの自己中心社会。

そりゃ「心」はない

武道すらおいらもそうだけど親御さんに「どうすれば早く段をとれますか?」「試合に勝つには?」

資格と結果。何がおかしいかもわかんないんだろうな。だって、「武道」なんて理解してないもん。

じゃあ、サッカーとかやりゃいいじゃん。

心と体を鍛えたくて。いやいや、キャッチコピーとしてしか理解してないじゃん。町道場もそういうの多いよね。

最新設備でね。喧嘩強くなりたいだけでね。

武術って本来はなんら刀や槍と変わらない。どんどんスポーツ。格闘技になってそれがなくなっていっただけ

そりゃ殴り続ければ、締め続ければ人は死ぬ。頭からコンクリにたたきつけりゃひとはしぬ。

そんなのは暴力でもなんでもない。人体は文明によってつくられた環境よりはるかに弱いだけ。

そして人体もその文明で弱くなっているだけに過ぎない。その当たり前を法や社会的ルールを無理して使って

強さって・・どうしようもないよね。もう。

じゃあ、鍛えれば素手じゃどうでもできないとでもおもってんのかな?

護身術ってのも別に痴漢やいじめられっこが加害者に向けて使うためにできたもんじゃないし

胸倉つかまれたときはずすやりかたじゃない

法やルールが喧嘩両成敗の他人事。社会ルールが性善説でやったほうもやられたほうも悪いなんて無責任だからそうなってる

本来は武器を持てばいい。持ったら急所か柔らかい場所を手加減せず動かなくなるまで殴ればいい

人には暴力的禁忌が本能にあって、そのリミッターがかかるから、それをなくす方法だけ知ってればいい。そんだけだ

今、それこそ上の記事でいう格闘技や強さがそうなら、いちばんつよいのはルールを守らない。法を守らない

他者を傷つけて平気ということ

そして安全圏でそれを見て強さがー!って目を血走らせてる「傍観者」もある意味おなじだよね

そう人の武器は「暴力のイニシアチブ」とともに「卑怯や欺瞞」。傍観者はそっちに寄ってるほうの人の武器だわな。

棒をもてばさぞかし強いんだろうって小市民的強さなんだろうな。

自分は痛いのがいやだ。鍛えるのもいやだ。耐えるのもいやだ。修練も研鑽もいやだ

だから人にやらせる。うん。実に人間。いや、日本人らしい。

 

もうおいらはまあ、そういう馬鹿がたたってw

いまや歩くこともままならない。走れないくらいだから到底なんもできない。

スポーツマンみたいに関節とかがダメになるとかじゃなくて、もう神経や骨だからなあ

お医者がどうやったらこうなるのか?ってびっくりしてたもん。

でも後悔なんてない。少なくとも同意ではあるけど、人を傷つけ、傷つけられたんだし。

楽しさで先払いしたようなもんだ。

くっつかない小指もいびつについたあばらも、いろんな細かいヒビたあとも

レントゲンやMRIを見るたび。自分の人生の足跡を見てるみたいな気持ちにもなる。

もちろん後悔はない。それは同じ傷を持つひとはみんな同じだと思いたい。

人生の航海を終盤に迎えても、その傷を誇りに思い。自分の人生の軌跡に思える

 

それはきっと心技体があったからと

おいらはせめて信じていたい