我が人生はジャンプとともに | 天賦の才

我が人生はジャンプとともに

小学校のころ、サーキットの狼やリングにかけろが一番最初好きになった漫画

それ以前のマジンガーZとかさすがにわかんないし、あとはあったものを読んでただけで

好きも嫌いもない。

中学からは電車通学だったので、チャンピオン、サンデー、マガジン、キング。

発売には買って電車とかで読む。駅で買えたから。

ボンボンでしたのでwそんくらいから、朝買って、帰りの駅で読み終わって捨てる。

それ以外は友達と帰ったり。まあ、行きかえりはプライベートにしたかったので、そこまでゲーム行ったり買い物行ったり

友達のうちにいったり、他人との交流に使う。なので、電車は本を読む場所だった。

ジャンプの前は主にチャンピオンだったような。ドカベンやがきデカ。らんぽう。そしてマカロニほうれん草。

 

先日鳥山明さんが亡くなった。中学校かな?「ドクタースランプ」が始まったのは

正直おいらはアニメはあまり見ないほうで・・まさかと思うかもしれないけど、たとえばジブリを劇場でみたのは

デートで行ったナウシカくらい

あとは放送や再放送で見たものを覚えているに過ぎない。特にジャンプアニメは小学校以降は北斗の拳やキャプつばもみてない。

 

まず最初に。鳥山明さんは天才。そうだろうな。ゲームチェンジャーではあった。イラストレーターである作風でうまいなんてレベルじゃない。というか素人にはわからん。

結果的にもドラゴンボールは世界的に知らんひとはいないくらい有名な作品になった。

偉人だ。間違いない。

 

で、それとは別でおいらがいつも感じる社会に対しての疑問。

 

著名人や有名人がなくなると、追悼だ。ご冥福や涙が止まらない。そうだよね。知っていた方。ファンだった方がなくなるんだ。

でもその人にもその人の人生があり、家族がいる。ジョンレノンもエイブラハムリンカーンも、涙を推して人の前に出る家族。

同じように悲しむ傍観者。いや、悼むこと、その人を愛していた証だ。悪いことじゃない

ただ、ネットの文字に違和感を感じる

例えばレスラーだった場合「その人のことは知らないけど」なんて言葉がつくことがある。

ひどいい場合ざまあなんて文字を見ることもある。

もう一度ね。その人もに愛する家族がいて、愛された人たちがいる。「そんなこと知らない」だろけど、それをなぜ文字にして流せるんだろう。

そして、今回も声優のTARAKOさんが亡くなったりたくさんの方が、たくさんの生活で聞いて伊いた声や、作品がなくなっていった悲しいよね。わかる

でもさ。同じようにたくさんの名もなき花が。もしかしたら、あなたのもう何十年も連絡もしていない同級生が

有名人やタレントとちがって、本当に自分の人生にかかわった人が今日亡くなってるかもしれない

有名でテレビやネットで見た人の最後をいたむ。悪いことじゃもちろんない

でも、なんかネットやテレビでみた、タレントがいったお店に押し掛ける。タレントが使ったものをすぐに買う

それとどう違うんだろう??って思ってしまう。

まああほなおっさんの小さな疑問だ。

 

鳥山明さんは偉人だ。それは間違いない。

でも長い間ジャンプをおいらは読んでて、鳥山さんが出てきたとき、イラストの作風やミリタリーの強い絵柄とか。

その時は鴨川つばめさんみたいだなって思った。タロさはトシみたいと思ったし、あかねもつばめさんのキャラのように思えた。

イラストとしての完成度は江口寿さんや桂正和さんもジャンプではすごかった。

馬鹿みたいに絵がうまいのに作品に恵まれず、消えていった作家さんも多かった。

読者様は「絵がうまいのに作品がだめなら、作家が津けばいい」「それも実力」とか結果論だけをいうんだろう

これもさ。有名俳優がでているから、すごい監督がとったから、有名作、素晴らしい作品なんだろうか?

少なくとも日本ではそうだろうな。たくさんのスタッフがたくさんの人たちが必死で作る。それは当たり前なんだ

出た結果。そして日本人。現代人は

メディアが、専門家がほめたたえるもの。それが見つけたものがすごい。

基本ポピュリズム、マスコミズム、ルッキズム

そこにアートもクリエイトもなにもないんだよな。

 

そして、素晴らしいもの、いいものという価値観。うまいとか上手とか

 

うちの義母もよく「お歌上手ね」って言われる。うん。紅白歌手だもん。日本の黎明期の歌謡、テレビやラジオの中の歌を

支えた人だもん。鳥山明さんの絵がうまい。そりゃそうだろ。ドラクエにドラゴンボールのイラストレーターもやるひとだ。

プロだから?職業でやってるひとがみんなそういうものを「生み出せる」のかな?

そういうとこなんだ

うまい下手。音楽なら「プロはうまい」そうかな?確かに譜面通り弾ける、練習して弾ける。でもそれができて当たり前ってのは

あるんだ。プラスアルファ。例えば譜面通り弾けるならその能力が解釈力が異常とかプラスアルファが必要になる

やたらコピーがうまいとか本人に近い。それは歌でいえば物まねに近くないかな?

今のテレビでよくやってる「歌がうまい」あれ、みんなカラオケ歌いだなって思う。顔がないなって。点数が高いから「歌がうまい」有名人がそういうから「歌がうまい」日本ってそういうレッテルと数字の国。わかりやすい。

特にネットなんて、評論家ばかり。評価という人の努力や研鑽にケチけることばかり

プロレスは八百長だといい、チンピラの喧嘩を見て闘鶏見てるように喜ぶ人たち。

研鑽や努力のためしあいを見るでなし

youtubeを見るように自分に責任無く、努力もなく

誰かの結果の傍観者が文句と批評だけを「評論」する社会。

研鑽も経験も努力もなく

情報と反射だけの評論家

嗜好が正論と勘違いしたまま、歪んだ理を叫び、駄々っ子のように暴れる。

そして、学歴社会、競争社会が常識の国のそれしか考えられない「結果論」という正論(笑)

例えばクラッシック音楽とか芸術でも学問とかの世界ならその技術を学び、研鑽する。当然訓練と勉強。学問だからね

歴史のトレースと研鑽を次の進歩につなげる。

でも表現、創造。アートやクリエイトになると、それは次なるものを生み出すエッセンスの一つでしかない。単なる材料

ただ、有名になる。売れるというならユーチューブがわかりやすいけど

伝わりやすく、食べやすくするという行為が必要。それをして初めて素人さん。それを知らない人、学んでない人。

大衆が理解できるものになる。インターネットはそれを知らないのに、いきなり味噌もくそもいっぺんにして、あらゆるものに

大衆様が意見して、文句いって、ケチつける。自分のファンとアンチ。紅組白組を分けて好き放題いえる世界ができた

じゃあみなきゃいいのに。加害者も被害者もそうだけど、そうはいかないのはお互い様だあな。

おいらはインターネットはそりゃ創造や表現をする人たちにも素晴らしいものだとは思うけど、

逆に創造や意思、啓蒙や表現を阻害するものとも感じている

大衆いう無責任でわがままで傲慢にあふれた意思が無作為で制限なく暴れまわることができるから。

 

若くして。といえど昔なら平均寿命に近いが

宣伝文句なら「人生百年」世代。まあ団塊移行は食生活の西洋化。運動不足。さらに加工食品やファストフードの一般化

添加物やら科学物質。もう、文明というか、誰かの利益と刹那の利便性のために人類ってのはかなり傾いてるように思える

果たして今、70代以上の人と同じ体をそれ以降が持っているだろうか。

若いからどうにかなってるってのは10歳年を取るごとに思うぜ?人は主観がすべて、そういうひとほど、自分がそうなってることにもわからない。今は特に比較がないと、数字がないと思考がないからわからない

医学も健康も数値と平均。それが進歩?みててみな。健康年齢なんてぐーーとさがる。

みんながんに糖尿に高血圧。なんか名前つけられるぜ。でくそみたいなに気を付けても心筋梗塞や脳梗塞、血管が切れたりつまったり

それは糖尿だ高血圧だ。結果論だぜ?実際は。まあ、信じたいものだけ信じてりゃいいよ。日本人。

 

今回、ひごろ書いてる愚痴の違和感の根源の一つを書いてみた。

単なる昔から漫画ばっかり読んでる低学歴で低層、無知で馬鹿な老害のたわごとだ。

目くじら立てることじゃねえわな。

 

まず日々いつも、鳥山さん、TARAKOさんを含め、先立つ英霊。

日本、世界でその天命を終えた名もなき命。

誰かを愛し、誰かに愛され一生を、長くも短くも終えたたくさんの命

有名な大樹から路傍の草まで。

無数の英霊たち。

冥福はおいらは冥途とやらがあるかわかんねえし、その人の信仰もしらねえ。

お悔みもその人の生活も人生もしらねえからいわねえ。

 

ただ、感謝します。

あなたの命があったこと。あなたの努力。あなたの愛情。あなたの日常

それが重なり、この星の命になり、自分の命にもなっていたことを。

いつか自分にその日が来たときも

その天命を受け入れ、等しくその英霊になり

悲しみや無念、涙より

未来と笑顔をのこせることを。