ナンバー2413 2026.08.08 ナポレオンと対仏大同盟
1806年11月にナポレオンは大陸封鎖令(ベルリン勅令)を出したにもかかわらず、ロシアがイギリスに穀物を輸出したことを知ると、その制裁として1812年に60万の大軍でモスクワ遠征をします。ロシア軍はわざと敗北を重ねて後退する作戦で、広大なロシアの大地にナポレオンをおびき寄せて冬の寒さの中で大反撃すると、ナポレオンの60万の軍隊は戦死と凍傷で5千人にまで敗北します。
ナポレオンがロシア遠征に大敗すると、このチャンスにつけこもうとする反ナポレオンの動きが急速に強まり、「革命の拡大を防ぐ」という共通の目標のもとにヨーロッパ各国が集まり対仏大同盟を結成しますが、これは利害まみれの多国籍連合でした。
1813年10月ドイツ東部のライプツィヒ郊外で戦いが起こり、19万のナポレオン軍が25万のプロイセン・オーストリア・ロシア、スウェーデンの連合軍に攻撃を仕掛けますが、ナポレオン軍は阻止されたため休戦を申し入れます。しかしナポレオンは連合軍に休戦を拒否されて敗退すると、ナポレオンのドイツ支配が崩れます。翌年、連合軍はパリに進撃して占領すると、ナポレオンの没落は決定的となります。ナポレオン軍と戦うロシアとオーストリア・プロイセンの同盟軍がパリに入城すると、1814年4月2日にナポレオンは退位させられてエルバ島に追放されます。ナポレオン戦争の戦後処理のための会議が1814年9月からウィーンで開かれ、フランス革命以前の支配体制と王室を正当にし、各国の力のバランスをとろうとしますが、各国の利害の対立や連携不足から「会議は踊る、されど進まず」の状態が続きます。その間にナポレオンは、1815年2月にエルバ島を脱出して3月にパリに戻ります。会議中だったイギリスやプロイセンなどはあわてて結束を固めると、ワーテルローの戦いが同年6月に勃発し戦争に突入しますが、ナポレオン皇帝の復権を賭けて挑んだナポレオンは完敗します。
ナポレオンに対抗する同盟諸国にイギリスが資金援助をするにあたり、ネイサン・ロスチャイルはイギリスの国債を大量に発行することで戦争の費用を調達しますが、もしもイギリスが負ければ、イギリスの国債は大暴落する状況でした。
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