長文。 のがみ | 俺達のプロレスオフィシャルブログ「ワールドプロレスリング実況アナの俺達のプロレス」Powered by Ameba

長文。 のがみ

東京ドームの最後を締めくくるのは、

中邑VS棚橋

となりました。

今回は、
その最終試合について。




プロレス実況担当になって、
初めて担当した東京ドーム大会が、
2008年1月4日。


そしてその時のメインイベント、

IWGPヘビー級選手権が、


棚橋VS中邑
でした。


挑戦者だった中邑選手が、
ベルトを巻いた試合を、
鮮明に覚えています。



あれからずっと、この2人が、
新日本の中心に立ち続けてきたということは紛れもない事実かと思います。



私はこれまでずっと、
この2人を一括りで呼ぶ時、


『棚橋中邑』


この順番で呼んでいた、
ように思います。


きっとそれは、

IWGPヘビーのベルトを、
棚橋選手が巻いている期間が、
極めて長かったから。

団体を象徴するベルトを守り続け、
如何なる時も、
『愛』を叫ぶ棚橋選手を見て、

その輝きに励まされる場面が、
これまで本当に多々ありました。



去年の7月、
山形で、
初めてIWGP戦を実況した時のこと。


試合終了後、
放送席の周りに棚橋選手めがけて、
ファンが大挙しておしかけ、
実況席でもみくちゃになったことを、
印象深く覚えています。



そうした温もりと一体感があったからこそ、この数年間、


私は2人を一括りで呼ぶ時、


『棚橋中邑』と、
呼んでいたのかもしれません。



しかし、今、

翻って、状況はどうでしょう?



改めて、


東京ドームの、
最終試合に相応しいのは、


IWGPヘビー

よりも、

IWGPインターコンチ

と、ファンが選んだのです。



そして、

そのインターコンチのベルトを、
輝かせてきたのは、


他でもない、


中邑真輔選手なのです。


紛れもなくこの戦いは、


『中邑棚橋』戦。

この一戦の主導権を握るのは、
中邑選手。


絶対的な王者として、
挑戦者棚橋選手を、
迎え撃つ形です。


しかしそれでいて、
中邑選手は会見で、


棚橋選手を『光』と表現しました。


『刺激』ではなく、『光』

『刺激を、はるかにしのぐ、光』


おおよその想像を超える、
中邑選手から棚橋選手に、
或いは初めて送られた、
賛辞にも似た表現でした。



とうの『光』である棚橋選手も、



『中邑が、自分の名を挙げてくれたことは正直嬉しい。自分のことなんて眼中に無いと思っていたから。』



こんなふうに話しました。


平たく言い換えれば、


『あの中邑が、俺を指名してくれた。』



そう言っているようにも、
聞こえました。


この発言もまた、
棚橋選手が中邑選手に、
初めて送った、
賛辞にも似た表現だった、
と、私は感じました。



IWGPを背負い、
誰もが認めるエースとして、
団体の中心に立ち続けた棚橋選手が、


独自の道で、
己の価値観を突き進んだ、
中邑選手に対して抱く、


ある種の、
『憧れ』ともとれるような想いを、
隠さなかったのです。



2005年1月4日。
東京ドーム。



初対決から、9年。


9年経って初めて、
互いが互いを認めました。


多くのものを背負う一方で、
『自分にはないナニカ』を、
確かに認めあってきた期間だったのかもしれません。



お前がいたから、
今の俺がある。

お前にとっての俺も、
そんな存在であれたらいいと思う。



皆さんにとって、


唯一無二のライバルとは?



究極のライバルストーリー集大成。


その舞台は、


東京ドーム。
最終試合。


どうにもこうにも、
忘れられない戦いになりそうです。