今の私には、とりあえず、何にも、役に立たない。
どんな言葉も、どんな文字も。
なんとも都合の良い、この五感に、感謝する。
私にとって、誰とも会わず、引きこもるということは、
自分を偽ることをしなくても、いいということで。
そんなにも、他人が、嫌なのかと、問われても、
答えは、そんなことは、ないと答えるのだが、
その場に合った服装をするように、
用途に合った靴を履くように、
そんなようなものと、表現してみる。
この感覚が、伝わるのか、よくわからないが、
他人と関わる自分と、そうでない自分は、
どうやら、違うようで。
そんなことは、もうすでに解っている人もいるかもしれない。
私は、最近確信したのだ。
それを、確信してしまったのだ。
と、いうことは、私は、私で、いるためには、
ある程度、自分ってものを見つめ直す時間、というか、行為が
必要だと、いうことである。
なんとも、面倒臭い。
しかし、でないと、他人とは、関われないということである。
いま、以前より、死にたくなくったし、
立ち直りも早い。
落ち込みも、早いけど。
気持ちの切り替え。
割り切り。
区別する。
いろんなことが、たくさん起こって、それを、すべて、一緒にしてしまうから、
ややこしくなる。
それを、紐をほどくように、ゆっくり、何回も、
気持ちの整理をして、いかないと、
先には、進めないらしい。
もう、30も近いのに、
最近、確信いたしました。
「面倒くさいから、やらない。」は、ついに、タイムリミットを迎えたようだ。
成長?それとも単なる鈍感か。