☆自己紹介☆ | 宮崎県都城市の脱毛&リンパケアのエステサロン「アリア(ALIA)」

宮崎県都城市の脱毛&リンパケアのエステサロン「アリア(ALIA)」

宮崎県都城の脱毛・リンパケアサロン。ムダ毛という外見的悩み・身体を内側から健康にする内面的な働きかけ。フォトフェイシャル、脱毛、アロマ、ニキビケア、ハーブボディー、 小顔リンパなどお任せ!

きらきら!!はじめましてきらきら!!


美肌美白脱毛・リンパケア・フェイシャル 『Anantara』オーナーセラピストの菊池明子です


お店の名前 Anantara(アナンタラ)は、

サンスクリット語で無限大という意味です


今、自分が持っている知識や技術・資格は、

ほんのわずかなもの


基本は崩さず

これから身につけていくもの、

入って来た良い情報や技術を

出し惜しみせず

メニューに取り入れていく


これから出会う人と繋がり

色々な良いことが無限大に広がって

ここから発信していけるよう


この名前をつけました四つ葉


心と身体の健康は切っても切り離せません

そして美しさは健康があってこそです


エステ選びに失敗する人を減らし、悩みを克服し

心も体も健康に・・・そして、美しさを取り入れることで

多くの女性が前向きに自信を持って毎日を楽しく過ごしてほしい


との想いでこのサロンを始めました


自宅の一室の小さなサロンですが、お客様にご満足いただけるよう真摯に取り組んでおります。

日々技術の向上にも力を入れています。


「興味はあるけど不安だわ・・・」

と思われていらっしゃる方もいらっしゃるかと思います。

その時はどうぞ遠慮なくご連絡ください


あなたのお越しを笑顔でお待ちしています



<菊池 明子 プロフィール>

9月21日生まれ・動物占いはチーター

生まれも育ちも都城


・新しいもの


・スピリチュアルなこと


・美のこと


・食べること


・体のこと


・イベント  など


知らないことを学んだり教えてもらったり行動することが大好き


なんにでもアンテナをはって行動することが自分のストレス発散


とりあえず興味を持ったことは自分でやってみる


アクセサリー作りも


洋服作りも


お菓子作りも


陶芸も


ブリザードフラワーも


個性心理学に


姓名判断に


言数学に



色々と学んできました


諦めるのも早いけど、立ち直りも早い


短大を卒業し保育士の資格を取得後、


13年間保育園に勤務


保育士の仕事は、大好き


キラキラと輝いた目をした純粋無垢な子供たちと毎日過ごせて


教えたら教えただけ反応し成長していく


良いことも悪いことも全部吸収するし


何よりも子供たちと過ごす時間にはストレスがない


園によって、


職員間同士での人間関係や保護者との人間関係に若干ストレスは感じるものの


それは、社会の中では当たり前のものだし、私は人に恵まれた環境だったと思う


でも、都城の保育園はほとんどが結婚退職か出産退職を余儀なくされる


復帰後は、色々な保育園を1~3年のペースで転々と働くことになるのが現状だった


せっかく職員と打ち解けられるようになって、保護者との信頼関係を築いても


1~3年ごとにリセット、またリセット・・・という現実


保育士という仕事は好きでも、これでは、一生の仕事にならない


自分には何が一番向いているのか、合っているのかをず~~~~っと探し求めていました


そんな中、転機が起こります


2009年に海綿状血管腫という病気を発症


(簡単にいうと、脳に腫瘍が出来て、発作が起こるたびに腫瘍が大きくなっていきました)


気がつくと、てんかんの症状のような自分の意識のない空白の時間が出てくる


薬の副作用で、弱い薬を服用するが、その薬では発作が止められなくなり


2年後には、週に4・5回、時間にして20分以上意識がないような発作が頻繁になり


車は運転できないばかりか、常に誰かが一緒にいないと生活出来ないまでになる


まるで監視されてるかのような日々

その腫瘍の圧迫が原因で、今までの記憶がどんどんなくなっていき


新婚旅行のこと、子供の卒園式のこと、病気を発症してから出会った人・出来事など


昨日あった人の名前・仲の良い知人の名前までも分からなくなり


そこからウツへ


誰とも会いたくない


外に出るのが恐い


人としゃべるのが恐い


記憶がなくなるのが恐い


他の人が私が病気と分かったとき、どんな対応をするのか恐い


など、今までどんなこともポジティブにしか物事を考えなかった私が一転


何をするにもネガティブにしか物事が考えられなくなっていた


その時初めて、病気になった人の心情を知ることになる


そして、病院を変え検査をするとその時、すでに4cm×3cmの腫瘍に・・・


手術が5ヵ月後に決まる


忙しい旦那さまに心配をかけてはいけない・・


手術に反対している母親に不安を悟られてはいけないと、


旦那さまにすら母親にすら涙を見せることはなかった


でも、ほぼ毎日泣かない日はないくらい泣いてました


手術の前日まで、失敗したら・・・という不安に支配されていて


「私が下半身不随になったら・・・、記憶喪失になったら・・・」


と、手紙にその時の想いを込めて家族に手紙まで書きました


10時間に及ぶ手術は無事に成功


やっと、一筋の光が差した瞬間でした


そして、入院中に一度だけ髪の毛を洗ってもらい、その時軽くハンドマッサージをして頂き


その時の気持ち良さがすごく印象に残ったひとときでした


脳の手術の時に使用した麻酔が強かったのか、


合わなかったのかなかなか体の中から出ず


強い臭いが一切駄目になり


つわりのような状態が半年以上続く


ご飯の臭い、魚の臭い、味噌汁の臭い、肉の臭いなど


食べることが一切おっくうになり


食べる物も果物や冷たいものが中心で


料理すら出来ない日々が続く


手術後半年間の体重は38kg・・・


会う人・会う人、痩せすぎている私に


「大丈夫?」


「何があったの?」


と言われることがストレスに・・・


食べることが楽しいと思えない自分


増えない体重


自分の体との戦いでした


でも、時間の経過と共に、食べられるものも多くなり


食べられることが自信へと繋がっていき


活力へと変わっていくのが目に見えて分かるようでした


今までしてきた仕事を辞め、今、自分が何がしたいか考えたとき


病院でしてもらったハンドマッサージがずっと心に残っていて


技術を習得さえしていれば


身ひとつで何処へでも、どんな人へもマッサージが出来るって


なんて素晴らしいことなんだろう・・・と


私がしてもらったことを人に返していくことが出来るようになりたい


と思うようになりました


病気を通して、


人の痛みに気付き


人の優しさに気付き


当たり前の日常に感謝


人との壁を作っていたのは自分で


見方を変えると世界が変わっていきました


よく、『その人に乗り越えられないことは起こらない』っていうけれど


どん底の時には、そんな風に考えられるわけがないって思っていました


でも、今は本当にその通りだな~と実感します


そして、『人は思ったとおりの人生を歩む』ということも


自分がやってみたい


人のお役に立ちたい



って思ったことを口に発するようになると


知り合いに雑誌やセミナーで活躍中で、震災ボランティアにも力を注いで


いる有名な家元 優(いえもと ゆう)先生と知り合いとのこと


すぐに連絡を取って下さり


刮莎リンパケアの資格を取りに行くことになりました


また、同じ時に自分の通っていたエステティシャンの方から


脱毛のことを教えていただき


本社の方に会う


毛深くて学生から社会人になって、そのときに稼いだお金は、


全てエステ(脱毛)につぎ込んだといってもいいくらいだった


私のようにエステ選びに失敗する人を減らしたい


私のように病気で身動きできない人に「手当て」出来る技術を習得したい


そんな二つの強い想いがサロンを開くきっかけでした


死ぬかもしれないと思って挑んだ手術の後に


後悔しない人生を歩みたい


人生はいつ・何があるか分からない


やらなかった後悔よりも


やったあとの後悔なら悔いはない


気付いたときに何度でも人生はやり直しができる


な~んて想いが無知な私を開業という行為に導いてくれました


私を大きく成長させてくれた・沢山の気付きをくれた病気に今は感謝します



そして、影で支えてくれている家族に


出会っている全ての人に感謝します