末期癌の父に「緩 和ケア」を施しながら、「わたし」は「苦しみの果て」に訪れる平安に思いをいたす一方で、直接父から凄惨(せいさん)な経験談をほとんど聞かないままで終 わったことを埋め合わせるかのように、文学的想像力によって、被爆の「実相」を描きだそうと考える。その意味では高度に「文学的」な作品である。タイトル はフォークナーから来ているし、宮沢賢治の童話や赤十字の創設者デュナンの回想が随所に引かれる。そしてクロード・シモンの「フランドルへの道」の影響下 に父の被爆体験を再構築した文体実験が、作品のクライマックスになっている。
北野道夫の中編「305」(『すばる』)は、「関東平野」の団地に育った女性アイをめぐる物語。彼女はいま別の場所の、しかしやはり同じような団 地で乙部という男と同棲(どうせい)している。乙部は彼女が風俗で働いていたときの客だったが、いまでは彼に結婚
を迫られている。そんなとき、兄からメー ルが届き、「305が解体される」と知らされる。「305」とは昔住んでいた公団
住宅の棟番号だ。
こうしてアイは過去
の記憶を呼び起こされるのだが、この 作品
で面白いのは、アイは乙部とのなれそめを兄に説明するため(風俗で知り合ったなどとは言えないから)、乙部とともに別の物語を組み立てようとするとい うことで、小説は現実
と並行して、「放浪する孤独な旅人」と「本格的な売春婦」の物語を紡ぎ出す。それが閉塞(へいそく)感に満ちたこの小説の世界
に、風 穴を開けることになるだろうか。