昔
勉強を兼ねて参加したセミナーで先生が
「このセミナーを受けたからといってプロとしてやって行ける訳ではありません」
「向いてない人にはお客様はつかないから、結果仕事になりませんから」
当たり前のことですが
それ、ヒーラー養成をうたってるみっちり二日間のセミナーですよ
何十人も参加されてて
多分、皆さんヒーラーになりたいと来られてるんでしょう
内容は推して知るべしで これで仕事にならなかったら本人のせい、て酷だなと思いました
まぁ、たった二日間でヒーラーになれる方が不思議なんですが
10年位前はちょっとブームみたいなとこありましたから
スクールを始めるにあたり、他ではどんなことをされてるのか幾つかまわってみたんですが
結論として、既成の方法ではまともなヒーラーは養成出来ない、となりまして
今のやり方にしたんです
スクールの募集やめたのも
途中で終わってしまったら無責任だからです
一気に何十人、期限を切れば主催者側には何百万
人によったら何千万が手に入ります
いわゆる成功者の『法則』と同じで、方法を教えると言う者にお金が集まるシステム
ヒーリングは方法ではないので
各人得意分野が違うし
表現も違う
マニュアル通りには行かないものです
で、講師は
そのことが分かっている必要がある
何度やっても出来ないものは出来ないし
やりたくないと思う人もいる
しんどいことはせず好きなことだけやろうとする人もいる
そんな時に怒っていては 講師の役割は果たせない
生徒さんが沢山いる面前で一人の生徒さんを延々罵倒した先生もいます
その授業には全く関係ない人格を否定するようなことを
このご時世、モラハラで訴えられる可能性も含んでいますし
怒りをぶつけたところで 相手に伝わる訳でもなく
萎縮した脳や心では
成長しようという作用より
怒られないようにしよう、とただそれだけになります
物事の本質よりも
その場を支配する人が気に入ることをしようとする
良い生徒が良いプロになるとは限らないのは、そういうことです
仕事をしていても
『先生』と呼ばれる時がありますが
お願いして名前で呼んで頂いています
お互いの中に先生という意識が生まれた瞬間から
先生の言うことを聞いていれば大丈夫、という依存が生まれる気がして
私は私の得意分野でお役に立てば良いことで
先生でも何でもない
伝える、教えるには
怒りの感情をコントロールすることが必要です
全員が全員
スムーズに覚えて出来る訳ではないので
自分が出来たからと言って皆出来る訳ではない
出来なかったら、それは 講師の責任でもあるのに 生徒さんを叱責するのは どうかと
だったら、生徒さんからも叱責されないとおかしい
どちらかが100% 良いとか悪いなんて無い訳で
特に何かを修得して行く過程では共同作業なので
自分の不甲斐なさや自我のプライドを傷つけたくないからと相手を怒鳴る、怒るはお門違いです
て、言ってる私も
怒る時あります
それは、危険な時や怪しい方向へ逸れた時等々
そういう怒りに対しては 人は、ハッと気づいてくださるもので
良かったよ~とお互いに涙してたりするんですが
だから、怒りは必要ですがコントロールすることが大切です
強い犬ほど吠えないんです
自分が成長する段階には気にしなかった人が
成長して、次に誰かに伝える練習の段階に入ると
気持ちを逆撫でする人が現れます
どう対応するのかリアルに試せる
勉強出来るんです
実践とはそういうことで 日常を丁寧に過ごせないと幾ら知識を詰め込んでも 意味は無いんです
「お客様が来ないから仕事にならない」
ある意味、本当のことです
心のない人のところに
人は集まりません
勉強を兼ねて参加したセミナーで先生が
「このセミナーを受けたからといってプロとしてやって行ける訳ではありません」
「向いてない人にはお客様はつかないから、結果仕事になりませんから」
当たり前のことですが
それ、ヒーラー養成をうたってるみっちり二日間のセミナーですよ
何十人も参加されてて
多分、皆さんヒーラーになりたいと来られてるんでしょう
内容は推して知るべしで これで仕事にならなかったら本人のせい、て酷だなと思いました
まぁ、たった二日間でヒーラーになれる方が不思議なんですが
10年位前はちょっとブームみたいなとこありましたから
スクールを始めるにあたり、他ではどんなことをされてるのか幾つかまわってみたんですが
結論として、既成の方法ではまともなヒーラーは養成出来ない、となりまして
今のやり方にしたんです
スクールの募集やめたのも
途中で終わってしまったら無責任だからです
一気に何十人、期限を切れば主催者側には何百万
人によったら何千万が手に入ります
いわゆる成功者の『法則』と同じで、方法を教えると言う者にお金が集まるシステム
ヒーリングは方法ではないので
各人得意分野が違うし
表現も違う
マニュアル通りには行かないものです
で、講師は
そのことが分かっている必要がある
何度やっても出来ないものは出来ないし
やりたくないと思う人もいる
しんどいことはせず好きなことだけやろうとする人もいる
そんな時に怒っていては 講師の役割は果たせない
生徒さんが沢山いる面前で一人の生徒さんを延々罵倒した先生もいます
その授業には全く関係ない人格を否定するようなことを
このご時世、モラハラで訴えられる可能性も含んでいますし
怒りをぶつけたところで 相手に伝わる訳でもなく
萎縮した脳や心では
成長しようという作用より
怒られないようにしよう、とただそれだけになります
物事の本質よりも
その場を支配する人が気に入ることをしようとする
良い生徒が良いプロになるとは限らないのは、そういうことです
仕事をしていても
『先生』と呼ばれる時がありますが
お願いして名前で呼んで頂いています
お互いの中に先生という意識が生まれた瞬間から
先生の言うことを聞いていれば大丈夫、という依存が生まれる気がして
私は私の得意分野でお役に立てば良いことで
先生でも何でもない
伝える、教えるには
怒りの感情をコントロールすることが必要です
全員が全員
スムーズに覚えて出来る訳ではないので
自分が出来たからと言って皆出来る訳ではない
出来なかったら、それは 講師の責任でもあるのに 生徒さんを叱責するのは どうかと
だったら、生徒さんからも叱責されないとおかしい
どちらかが100% 良いとか悪いなんて無い訳で
特に何かを修得して行く過程では共同作業なので
自分の不甲斐なさや自我のプライドを傷つけたくないからと相手を怒鳴る、怒るはお門違いです
て、言ってる私も
怒る時あります
それは、危険な時や怪しい方向へ逸れた時等々
そういう怒りに対しては 人は、ハッと気づいてくださるもので
良かったよ~とお互いに涙してたりするんですが
だから、怒りは必要ですがコントロールすることが大切です
強い犬ほど吠えないんです
自分が成長する段階には気にしなかった人が
成長して、次に誰かに伝える練習の段階に入ると
気持ちを逆撫でする人が現れます
どう対応するのかリアルに試せる
勉強出来るんです
実践とはそういうことで 日常を丁寧に過ごせないと幾ら知識を詰め込んでも 意味は無いんです
「お客様が来ないから仕事にならない」
ある意味、本当のことです
心のない人のところに
人は集まりません