小学生の国語の教科書に
『一片のパン』
という話が載っていました。
第二次世界大戦時、ドイツ軍から逃げるユダヤ人少年の話です。
強制収容所へ向かう列車から少年は逃げ出します。その時、ある老人が少年に布に包まれた小さな塊を差し出します。
「これはパンだ。私はこれを皆に分からないように持って来たが君にあげよう。これ以上駄目だと思った時に食べなさい」
「それまでは絶対に食べてはいけないよ」
少年はそのパンを懐に入れ、ドイツ軍の力が及ばない国を目指します。
途中、何度もひもじくてパンを食べようと思います。懐に手を伸ばし布の上からパンに触れます。
老人も長い間このパンを持っていたのか、とても固くなっています。
少年は自問自答します。 今がもう駄目な時なのか?
ドイツ軍に捕まって何か食べ物をもらう方が楽なんじゃ?
いやいや、
まだ我慢して頑張れるんじゃないのか?
そうだ、まだ頑張れる。 もう少し行ってから食べよう。
そうやって国境を無事に通過した時、少年は初めて布を開けます。
中から出て来たのは、一片の木材でした。
私は授業そっちのけで何度もこの話を読みました。
老人の知恵が少年を救います。でも、これは少年次第の賭けです。
一片のパンは少年の希望です。いつでも食べることが出来るという思いが少年に余裕を与えます。
その余裕が少年を国境へと導きます。
もし、さっさと布を開けていたら。
我々にも『一片のパン』があれば、やり抜くことが出来るかも知れません。
それは、優しい嘘ですが信じる力が嘘をまことに変えるのです。
その嘘を誰が責めるでしょう?
辛い、悲しい現実ばかりでもその中に希望を見いだすこと。希望を信じる素直さを持つこと。
少し我々は賢くなってしまったのかも知れません。
知識は希望を与えてはくれません。
知恵が与えてくれるのです。
今の日本には必要だと思います。
我々にとっての『一片のパン』
個人個人の『一片のパン』
『一片のパン』
という話が載っていました。
第二次世界大戦時、ドイツ軍から逃げるユダヤ人少年の話です。
強制収容所へ向かう列車から少年は逃げ出します。その時、ある老人が少年に布に包まれた小さな塊を差し出します。
「これはパンだ。私はこれを皆に分からないように持って来たが君にあげよう。これ以上駄目だと思った時に食べなさい」
「それまでは絶対に食べてはいけないよ」
少年はそのパンを懐に入れ、ドイツ軍の力が及ばない国を目指します。
途中、何度もひもじくてパンを食べようと思います。懐に手を伸ばし布の上からパンに触れます。
老人も長い間このパンを持っていたのか、とても固くなっています。
少年は自問自答します。 今がもう駄目な時なのか?
ドイツ軍に捕まって何か食べ物をもらう方が楽なんじゃ?
いやいや、
まだ我慢して頑張れるんじゃないのか?
そうだ、まだ頑張れる。 もう少し行ってから食べよう。
そうやって国境を無事に通過した時、少年は初めて布を開けます。
中から出て来たのは、一片の木材でした。
私は授業そっちのけで何度もこの話を読みました。
老人の知恵が少年を救います。でも、これは少年次第の賭けです。
一片のパンは少年の希望です。いつでも食べることが出来るという思いが少年に余裕を与えます。
その余裕が少年を国境へと導きます。
もし、さっさと布を開けていたら。
我々にも『一片のパン』があれば、やり抜くことが出来るかも知れません。
それは、優しい嘘ですが信じる力が嘘をまことに変えるのです。
その嘘を誰が責めるでしょう?
辛い、悲しい現実ばかりでもその中に希望を見いだすこと。希望を信じる素直さを持つこと。
少し我々は賢くなってしまったのかも知れません。
知識は希望を与えてはくれません。
知恵が与えてくれるのです。
今の日本には必要だと思います。
我々にとっての『一片のパン』
個人個人の『一片のパン』