コミュ障とかいう言葉が一般的になるほど、

最近はコミュニケーションや

人との距離の取り方に

悩む人も多いかと思います。

 

 

 

なんと言ったら相手に理解されるのか

 

誤解されないように細心の注意を払って

話そうとするあまり

何も言えなかったりする。

 

 

またこんな人もよくいます。

 

 

 

話した後、

後悔の連続・・・

 

 

 

「なんで、あんな言い方したんだろう」

 

 

 

そんなことを寝るときに考えてしまい、

睡眠不足になる・・・

 

 

 

私が今までお会いした方たちは、

 

 

 

何か発言しても否定されて育ってきたか

そういう環境にあった人か

 

 

 

誤解を生みやすいくらい

ユニークな考え方の持ち主か、

 

 

 

といった方が多いかったと思います。

 

 

 

 

私自身も3歳から6歳の頃、

 

 

場面緘黙(家くらいでしか普通に話せない)

になるくらい

人とのコミュニケーションが苦手だった。

 

 

その時に心の中で思っていたことは

 

 

「どうやったらみんなみたいに

 話せるんだろう」

 

 

 

「どうやったらみんなが言ってることを

理解できるんだろう」

 

 

ってこと。

 

 

それを克服するのは、

すごく時間がかかり、

 

 

 

心が自由になったのは、

家を出て自由になった18歳以降。

 

 

自分のことを

面白い人だとか、

認めてくれる人たちと

たくさん出会えて、

 

 

ようやく私は自分自身を

伸び伸びと表現できるようになっていけた。

 

 

そこで、

 

 

私は相手に対して

 

 

 

どう思われるんだろうか、

変に思われないか

 

 

とか、相手の視点ばかりみていた

ことに気づいたんですよね。

 

 

それで自分を縛り、

がんじがらめになっていた・・・

 

 

 

 

小さい時の周りの環境、

両親、

同年代の子たち

学校

 

とかで言われたこと。

 

 

それは、本当の自分自身のことを

反映していないってことを。

 

 

 

 

相手は

自分のことをコミュニケーションを

うまく取れないと思って、

勝手に解釈してるだけで・・・

 

 

 

 

そんな時

自分に批判的になる人は、

別のフィルターを通して

あなたをみていたりします。

 

 

 

それで感情的になる。

 

 

その結果、「私は悪いんだー」

 

 

って思い込む。

 

 

 

 

この経験を通して学んだことは。

 

 

コミュニケーションがうまく取れない苦しさ。

 

分かってもらえない辛さ。

 

 

こんな感覚なんだな、っていうこと。

リアルで感じられる。

 

 

そして、それが

私は心理学を学び、

スピリチュアルを学ぶ

 

きっかけになりました。

 

 

きっと

私の魂がその経験を求めていたんだなって、

思う。

 

 

 

コミュニケーションが苦手ということで、

人との関係にとても繊細になった。

 

 

関心を持つきっかけになった。

 

 

 

自分自身の存在の中にくつろぐこと、

ってどういうことか知れた。

 

 

そしてそれを

わかりやすく人に伝えられるだろう、

 

ということを学ぶきっかけにもなっている。

 

 

 

 

 

誤解される、

どうしたらうまくやれるんだろう

 

 

と思いすぎると、

 

 

 

誤解されないように話さなきゃ

うまく伝えられるかな、

変なこと言って傷つけてないかな

 

 

 

そちらの思いばかり巡らしてしまう。

 

 

頭の中がぐるぐるし

そのことでいっぱいになってしまう。

 

 

 

絶対一番正しいことを言わないと

と、いう気持ちでいる

 

 

それで疲れてしまう。

 

 

 

それをなんとかうまく克服し、

1対1のコミュニケーションが

うまくなったとする。

 

 

 

人前で話すようなことが

あなたの魂の望みを叶えるのに必要だとしたら、

 

 

 

例えば、

 

セラピストになりたい、

 

でも・・・

 

募集したくても

みんなの反応が怖くて、

 

 

考えるだけで

疲れてしまう。

 

 

それで何も言えなくなったり、

動けなくなってしまう。

 

こともあるかも知れない。

 

 

この経験を通して、

克服するプロセスを通して、

 

あなたはまた何かを得て、

 

人はそれを見て、

勇気をもらうかも知れない。

 

 

 

そう思うと、

 

魂が求めることを赦して行くと、

 

うまくいかないと一見思えることも、

 

 

それさえも

魂が求める計画の一部

だったかも知れないと

感じる。

 

 

 

もしあなたが自分のことを話して、

相手が怒ったとしたら、

 

それは何かが明るみになった

 

 

ということ。

 

 

そういう経験をお互い

違いがあったということを知ること。

 

 

 

それで関係性が深まることもあれば、

終わることもある。

 

 

終わった時、

それは悲劇ではなく、

 

一つの関係性が完了した。

 

 

ただ、それだけ。

 

 

 

もちろん、それは

気持ち的に悲しいことだけどね。

 

 

 

 

また次に始まるかもしれないし

終わったままかもしれない。

 

 

今わからなくても、

後からわかることも

あるかも知れませんね。

 

 

 

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