すべては主の計画 〜乳海撹拌のお話から学ぶ〜 | アナンのブログ

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インド哲学『バガヴァッドギーターあるがままの詩』に出会って15年。ギーターに書かれている人生哲学のエッセンスをお伝えするブログです。

はりぼー!
アナンです。
今日はヴェーダ経典『シュリーマド・バーガヴァタム』から乳海撹拌のお話を紹介します。

乳海撹拌とは、カンボジアの有名な世界遺産アンコールワットの壁画にも浮き彫りで描かれている有名なお話で、あるとき神々と悪魔たちが、協力してミルクの海を撹拌し、そこから甘露のアムリタを取り出すというお話です。

当時神々は、悪魔たちの勢力が強くなったために弱っていました。
そこで神々はみんなで連れ立って主ヴィシュヌのところに悩みを聞いてもらいにいきました。
すると至高主ヴィシュヌは、神々たちに言いました。悪魔たちと一緒に協力して乳海を撹拌し、そこから出てきた甘露を飲みなさい、そうすれば神々は助かる、と。

そこで神々たちと、悪魔たちは協力し、主ヴィシュヌ神に助けられながら、マンダラ山を持ち運び、ヴァースキという大蛇を撹拌の紐にして、撹拌をします。するとマンダラ山が大海のなかに沈んでしまいました。
山が沈んでいくので撹拌できずみんなが失望していたとき、主ヴィシュヌは亀の姿をとって、マンダラ山を持ち上げました。

そして無事に神々は悪魔たちと一緒に撹拌することに成功しました。

そのお話のなかで、金でできたマンダラ山が沈んだとき、みんな失望しました。
ですが主が亀の姿になってみんなを助けた話から、以下を学ぶことができます。

SB8-7-8 シュリーラプラブパーダによる解説より抜粋

至高の力によって障害に見舞われるということは、誰もが経験しているはずです。悪魔的な人はこうした障害をただの事故や偶然と捉えますが、献身者は至高の支配者から与えられたものと受け入れます。ですから献身者はこうした障害に会うと、主に祈ります。 Tat te ’nukampāṁ susamīkṣamāṇo bhuñjāna evātma-kṛtaṁ vipākam. 障害物は至高人格神によって与えられたものであり、恩恵であると献身者は受け止めますが、悪質な人間は至高の支配者を理解できず、そうした障害を事故とみなします。ここでも、もちろん至高人格神はその場にいらっしゃいました。その障害があったのも主の御意志ですし、それが取り除かれたのも主の御意志でした。主は亀となって現れ、大きな山を支えました。 Kṣitir iha vipulatare tava tiṣṭhati pṛṣṭhe.主は大きな山を背中に乗せて支えられたのです。
Keśava dhṛta-kūrma-śarīra jaya jagadīśa hare. 危険を創り出すのも至高人格神であり、それを取り除くのも同じ主です。献身者はそのことを知っていますが、悪魔たちには理解できません。

ここでいう悪魔たちというのは、主を信じない人たちのことです。一方神々というのは、至高主に仕えていて、何らかの役割を主から与えられている人たちです。

つまり、神を信じない人たちは、
いろんな障害や
苦難が起こったとき、
すべては偶然であり、
事故であると考えますが、
神を信じる人たちは、
すべては主の計画だと考える。

そして、プラブパーダは、
その苦しみを取り除くのも
主であると
言っています。

つまりは、
すべては主の計画で
起こっている
ということです。

苦しみを取り除くのも、
主がやってくれる。

どうにもならないことは、
どうにかしようとしなくていい。

すべては主の計画だから。
主にお任せできるところは
していいんです。
お任せしましょう。

今日も読んでくださって
ありがとうございました。