開祖が居ない
ヨガがインド思想の根本で、ヨガのサマーディ(解脱体験)をどう理解してどう説明するかで二元論のサーンキヤ哲学や一元論のヴェーダーンタ思想やゼロ元論の仏教になったりしまして、私はこの中でサーンキヤ哲学が最も優れていると思うのですが、日本ではサーンキヤ哲学もヴェーダーンタ思想もあまり知られておらず仏教だけがポピュラーですね。日本やタイやスリランカは仏教国だと言われていますがそれは何故でしょうか。私はサーンキヤ哲学が仏教と同じくらいポピュラーになれば良いのにと思うのですが。
本多恵さんはサーンキヤ・カーリカー以前の諸学者として先ずはカピラを挙げますがカピラはサーンキヤ哲学の開祖ではありません。カピラ、アースリ、パンチャシカ、ジャイギーシャヴヤ、アシタデーヴァラ、サナンダナ、ヴォーヅ、パウリカ、パンチャーディカラナ、パタンジャリ、ヴァールシャガニヤ、ヴィンディヤヴァーシンの名があがり、そしてイーシュワラクリシュナ著のサーンキヤ・カーリカーで打ち止めになるのだそうです。まだまだ粗雑だったカピラの説をあとの人達が徐々に磨き上げ、イーシュワラクリシュナ著のサーンキヤ・カーリカーで完成したと言う事でしょうか。このようにサーンキヤ哲学には開祖が居ませんね。
それではヴェーダーンタ思想はどうでしょうか。ウパニシャッドにはヤージニャヴァルキヤや、ウッダラーラカ・アールニとシヴェータケートゥの親子、またナチケータスなどの哲人達が登場します。
またウパニシャッドをヴェーダーンタ思想として完成させようとしてシャンカラやラーマーヌジャがそれぞれの説を展開します。そして近代ではラーマクリシュナやラマナマハリシが現れてヴェーダーンタ思想を現代に生きる思想としましたね。しかしウパニシャッドから現代に到るヴェーダーンタ思想にもその開祖は居ません。
サーンキヤ哲学もヴェーダーンタ思想もその開祖が居ない、純粋な内的思想の潮流なんですね。
私は仏教やキリスト教、そしてイスラム教が何故世界の3大宗教なのか、それは3大宗教には開祖が居るからだと思い至りました。サーンキヤ哲学やヴェーダーンタ思想は開祖の居ない内的哲学思想です。なので深い内省は有りますけれどそこに現実的な生活指導は有りません。
世界の3大宗教の仏教やキリスト教やイスラム教では開祖達がその思想を教えるだけで無く生活指導をしましたね。世界の人達は深い内省だけでは物足りず、現実の物質世界での生活指導の行き届いた教えを好むのでしょうね。