「怖い」は感情?

 私達は常日頃、喜怒哀楽の感情と言いますね。ここで感情とは何でしょうか。私は感情とは環境世界からの刺激に対する反射、反応覚だと思っています。欲しい物が手に入ると嬉しい「喜」、欲しい物が手に入らないと怒る「怒」、持っているものを失うと悲しい「哀」、環境が快適だと楽しい「楽」の4つは環境世界からの刺激に対する反射、反応覚なのが良く分かります。

 この喜怒哀楽に加えてブッダの4つの態度と言うのがあります。それは慈悲喜捨の4つ。子供が可愛いと思う「慈」、親が自分より先に死ぬのが悲しい「悲」、友達が良い事をすると嬉しい「喜」、悪い事をする人とは関係を断つ「捨」の4つですが、これも環境世界からの刺激に対する反射、反応覚ですから感情と言っても良いでしょうね。ここで感情とは環境世界からの刺激に対する反射、反応覚だと定義しておきましょうか。

 さて、ヨガのブログを書いているおばさん(お姉さん?)が喜怒哀楽に怖いの「恐」を加えて喜怒哀楽恐とした5つの感情と言う表現をしています。なるほど、面白いですね。確かに恐怖は環境世界から受ける生命の危機に対する反射、反応覚ですからこれも感情と言えますね。未来に起こるかも知れない生命への危機に対する「不安」もいちおう反射、反応覚と言えますでしょう。そして、ここで。

 人間が生き残る為の内的な衝動と言うのが有りますでしょう。本能による衝動です。食欲、性欲、睡眠欲、そして便意や尿意もこれに当たるでしょう。「痛い!」の痛覚もかな。感情に対する内的な衝動。

 先程感情のカテゴリーに入れた恐怖の感覚、これは人間が生き残る為の本能的で内的な衝動とも言えますよね。未来に対する「不安」もそうです。そうしますと「怖い」の「恐」の感覚は感情であると同時に内的な衝動であるとも言えますね。

 そこで、とりあえずの結論としては怖いの感覚「恐」は感情でも有り、また生き残る為の内的な衝動でも有る、感情と衝動の中間あたりに位置するとしておきましょうか。

 しかし、喜怒哀楽は感情的と言いますが恐怖を感情的とは言いませんね。情緒的もそう。