はじめての長崎

 私は熊本の出身なのにまだ長崎へは行った事が有りません。そこで「はじめての長崎3日間」と言うパッケージツアーを見つけ、大学時代からの親友の夫婦を誘いうちの夫婦との4人で長崎へ行って来ました。

 1日目

 お昼過ぎに羽田を出発の飛行機なので長崎に着きますとすぐにホテルへ向かってチェックイン、夕食はバイキングなのでつまりませんでしたがホテルの部屋からの眺めは素晴らしく長崎の海が一望出来ました。

 2日目

 この日は平戸大橋→平戸の田平天主堂→佐世保の展海峰からの九十九島(くじゅうくしま)の展望→長崎の平和公園の観光でした。昨年に山口県の日本海側の角島大橋の(これが日本の景色なのかと思わせるような)絶景を見たばかりでしたので平戸大橋の景色はいまいちでしたね。次には平戸の田平天主堂へ行きましたが、ここは私に強い印象を与えてくれました。観光客も少ない小さな赤レンガ作りのカトリック教会でしたが、教会から一段下の芝生の庭の側面には岩窟が作って有り、岩窟には聖母マリアの像が有ります。これをルルドと言うそうですが、フランスのルルドの奇跡を表現したものだそうです。

 次にバスは佐世保の展海峰と言う小高い丘に向かい、そこからは九十九島の(昔のシネラマを思わせるような)広大な景色を展望しました。そして昼食を挟んで長崎の平和公園へ。

 平和公園にはテレビでよく見る巨大な平和祈念像が有ります。その近くには黒い塔が有り、原爆の爆心地を示す標識だそうです。黒い塔の近くには茶色の塔が有り、これは浦上天主堂の焼け焦げた壁を移設したものでした。そして近くには長崎の鐘が移設してあります。サトウ・ハチローの作詞で藤山一郎が歌った「長崎の鐘」、42才の時に39才の先の妻を亡くした私はこの「長崎の鐘」の2番「召されて妻は天国へ」のところで涙が出そうになります。

 この日の観光を終えてバスは細くて急で曲がりくねった山道を登ってホテルに着きました。夕食は美味しいしっぽく料理を堪能、そしてホテルの窓からは長崎の夜景(これは絶景)を見降ろします。パンフレットには世界三大夜景と書いてありますがこれは日本三大夜景の間違いでしょうね。三大夜景とは長崎?神戸?熱海?と私達は語り合いましたが、熱海では無く函館だったようです。

 3日目

 夜中は大変な雨風の嵐でした。早朝にホテルの庭に出ますと一面の霧、軍艦島の観光は出来るのでしょうか。そして案の定、バスに乗り込みますと添乗員の女性は言います、「時化(しけ)の為、今日の軍艦島観光は中止です」。

 軍艦島上陸クルーズが中止になりましたのでこの日の観光は時間が大余り。先ずはグラバー園、グラバー亭は小高い丘の上に有りますので長いエスカレーターを何本も乗り継いで丘のてっぺんへ向かいました。グラバー亭の中をぐるりと回り、庭からは多くの船が浮かぶ長崎の港が一望出来ます。しかし、そもそもグラバーとは何者か。アメリカで南北戦争が終わり多くの武器が余りますと武器商人がこれを日本に持ち込み薩摩や長州に高く売りつけたようです。グラバーはその武器商人、死の商人だった訳ですね。庭園は綺麗でしたがその仕事は汚いものでした。
グラバー園の近くには大浦天主堂が有ります。そして教会の入り口には聖母マリアの像が有りました。私の親友夫婦は教会の中で録音された説明を聞くふりをしながら、グラバー園で歩き疲れた脚を休めていました。

 ここで私は考えます。昨日の田平天主堂と言いこの大浦天主堂と言い、聖母マリアを大切にするのは何故だろうか?佐保田鶴治さんが何かの本に書いていましたが、「男の神様も偉いけれど男の神様は何もしてくれない」。紛争時には神様は正義を振りかざしてくれますが、平時に人々が求めるのは愛でしょう。愛と言えば聖母マリアですね。ところで宗教とは何か?信仰とは何か?私が思いますに宗教とは「自己の探求」、そして信仰とはその「自己の探求を神様にお預けする事」でしょう。すると日本にはキリスト教と同じく「信仰」を教える浄土真宗が有りますよね。どうして長崎の人達は浄土真宗では無くキリスト教を選んだのだろうか?そう、浄土真宗には女性の神様がおられません。私はこれで納得しました。

 入場料が1800円もする軍艦島デジタルミュージアムを見て長崎新地中華街で昼食のあと、私達は眼鏡橋と出島の観光をしました。眼鏡橋のあたりを歩いていますと、眼鏡橋が掛かる川は熊本の熊本城の下を流れる坪井川のようだと感じました。同じ九州の匂い。

 私達の長崎観光はこれで終わり、私達は何故か佐賀空港から羽田へ戻りました。今回軍艦島観光は出来ませんでしたが気心の知れた親友夫婦との旅行は終始笑いが絶えず、楽しい思い出となりました。