浅い思考と深い直観
インドへ行くと人生観が変わるの?と聞く人が居るようですが、人生観は変わりません。ただ思考が深くなるだけ。浅い思考は環境世界からの刺激に分かり易く反応するだけですが深い思考は内向きに潜って行きます。丁度潜水艦が海底に向かって沈んで行くような感覚で、行き着いた海底では直観の目が開きます。
シヴァ神の顔、眉間のちょっと上あたりに第3の目が有りますでしょう、あれが直観の目です。両目が浅い思考の目で第3の目が深い直観の目と言うことになりまして、シヴァ神の表情には浅い思考と深い直観が併存しています。ここで両目だけが有るのには違和感を感じませんが、第3の目だけが有って両目が無いと変でしょう、浅い思考と深い直観の併存が大事なのです。
私は34才の時に初めてインドへ行きましたが、カルカッタの街を歩いていますと大勢の子供達がお金ちょうだいお金ちょうだいと群がって来て同行の現地ガイドがチャラ、チャラと怒鳴って子供達を追い払います。そして何度も群がって来る子供達を見ていますと手を差し出している子供達の3分の1くらいの子達の手の平には指が有りませんでした。子が生まれると乞食の親が赤ん坊の指を切るのだそうで、指の有る子より指の無い子の方がかわいそう、更に大きな子より小さな子の方がかわいそう、そうしてお金を貰い易いようにとの事のようで群がって来る子供達の表情は生き生きとして楽しそう、これは堪(こた)えますよ。
こんな時に乞食の親がけしからんとか行政は何をやっているのかとか考えても受ける衝動が腑に落ちる事は有りませんで、人間の欲や親子の愛や乞食達の生きるパワー等に打ちのめされて心は内に向かって沈んで行きます。
この指の無い手とはまるで逆なのですが、タラケッシャルからカルカッタへ向かう汽車の中で汚い盲目の乞食が(暑さの為に)全開になっている扉から落ちないようにと乞食の背中を左手で抱えるようにして誘導して助けた右腕に赤ん坊を抱えた若い母親。感染症などで赤ちゃんが危ないのにこんな事をするのか、これもショックでしたね。私が小銭を投げて追い払った乞食。
ニューデリーではホテルの庭で出会ったヨガマジシャンの、私の妻の誕生日や母の名前を言い当てた不思議、これらのように理屈では説明出来ないような事象に次々に出会いますと浅い思考では何とも腑に落ちずに心は内向きに沈むのでした。
このように日本では経験しない内向きに沈む心をインドでは度々(たびたび)経験しますので、これが内向きに潜る深い直観へと繋がって行ったんでしょうね。
インドへ行くと人生観が変わるの?と聞く人が居るようですが、人生観は変わりません。ただ思考が深くなるだけ。浅い思考は環境世界からの刺激に分かり易く反応するだけですが深い思考は内向きに潜って行きます。丁度潜水艦が海底に向かって沈んで行くような感覚で、行き着いた海底では直観の目が開きます。
シヴァ神の顔、眉間のちょっと上あたりに第3の目が有りますでしょう、あれが直観の目です。両目が浅い思考の目で第3の目が深い直観の目と言うことになりまして、シヴァ神の表情には浅い思考と深い直観が併存しています。ここで両目だけが有るのには違和感を感じませんが、第3の目だけが有って両目が無いと変でしょう、浅い思考と深い直観の併存が大事なのです。
私は34才の時に初めてインドへ行きましたが、カルカッタの街を歩いていますと大勢の子供達がお金ちょうだいお金ちょうだいと群がって来て同行の現地ガイドがチャラ、チャラと怒鳴って子供達を追い払います。そして何度も群がって来る子供達を見ていますと手を差し出している子供達の3分の1くらいの子達の手の平には指が有りませんでした。子が生まれると乞食の親が赤ん坊の指を切るのだそうで、指の有る子より指の無い子の方がかわいそう、更に大きな子より小さな子の方がかわいそう、そうしてお金を貰い易いようにとの事のようで群がって来る子供達の表情は生き生きとして楽しそう、これは堪(こた)えますよ。
こんな時に乞食の親がけしからんとか行政は何をやっているのかとか考えても受ける衝動が腑に落ちる事は有りませんで、人間の欲や親子の愛や乞食達の生きるパワー等に打ちのめされて心は内に向かって沈んで行きます。
この指の無い手とはまるで逆なのですが、タラケッシャルからカルカッタへ向かう汽車の中で汚い盲目の乞食が(暑さの為に)全開になっている扉から落ちないようにと乞食の背中を左手で抱えるようにして誘導して助けた右腕に赤ん坊を抱えた若い母親。感染症などで赤ちゃんが危ないのにこんな事をするのか、これもショックでしたね。私が小銭を投げて追い払った乞食。
ニューデリーではホテルの庭で出会ったヨガマジシャンの、私の妻の誕生日や母の名前を言い当てた不思議、これらのように理屈では説明出来ないような事象に次々に出会いますと浅い思考では何とも腑に落ちずに心は内向きに沈むのでした。
このように日本では経験しない内向きに沈む心をインドでは度々(たびたび)経験しますので、これが内向きに潜る深い直観へと繋がって行ったんでしょうね。