死ぬ瞬間の意識

 私は現在74才、今年の11月で75才の後期高齢者になります。そうしますとこれから生きるのもあと10年かそこらでしょう。ところが、ところが、あとこれから先10年に向かっての先詰まり感が全然無いのです。一生を30cmの定規と例えますとあと3cmとちょっとの命ですから先詰まり感が有ってもおかしく無いのに何故でしょうか。

 それは時間を定規で計るのが間違いなのです。私達は時間を現在、過去、未来と3つに分けて考えますが、それがそもそもの間違い。過去に経験した出来事を思い出して見ましょう。その時は間違い無く「今」でしたね。実体は「今」が転変しているだけ。過去の「今」が転変して現在の「今」となり、そして未来が実現する時には、その時は「今」なのです。

 「今」が転変しているだけなので先詰まり感が無い。転変している永遠の「今」。

 しかし幼年期、少年期、青年期、壮年期と来て今は老年期。私が死に向かって着実に変化しているのは間違いの無いところ。

 それでは死ぬ瞬間の意識とはどんなものでしょうか。死とは何か。私達はどこから来てどこへ行くのか。

 死ぬ瞬間に悲しみや苦しみは有りません。有るのはただ驚きだけ。

 私達は死んで消え去る訳でも無く知らないどこかへ行くのでも無く、生まれる前の世界に戻るだけ。そしてそれを目撃する際の驚き。

 パーソナリティは死後も残るのか。

 サーンキヤ哲学では心と身体と環境世界は同根でひとくくり。ですから人が死ぬ時に心は身体に戻り、身体は環境世界に戻ります。そして身体が消滅しますと心も消滅しますから、残念ですがパーソナリティ(人格)も消滅します。しかし、永遠の私、これをサーンキヤ哲学ではプルシャと言いますが、これは有り続けます。

 間違い有りません。私が見たのですから間違い有りません。

 私は真っ白な光で有り、またそれを見る者です。それをヨガではサット(有る事)チット(有る事を知る事)アーナンダ(有る事を知る事で湧き上がる歓び)と表現しています。