家庭は過程
家庭は過程、自分は過程、人生も過程、そして世界は過程で有ります。
家庭は過程
好きな人と一緒に居たいと思って結婚しましたら彼女の実家と結婚してしまったような重たい気分になりました。しかしそれから3人の子供達が生まれ、生まれてみますと子供達の可愛い事。しかしその時家族を守り育てる義務が発生、思ってもいませんでしたね。そしてあの可愛かった子供達も今ではおじさんおばさん。42才の時に先の妻が他界、それから1人で3人の子供達を育てる事になったのですが既に心も体も疲労がひどくて、会社の配慮で東京近郊の支店に異動になっていましたが、出勤の際に電車が最終駅のプラットホームに侵入する時に電車が左右に大きく揺れる為、私は立って居られず電車の床にゴロゴロと転がる始末でした。それから12年後に再婚しまして現在に至る訳ですが、現在の妻とは一緒に子育てをした思い出も無い訳ですから、出来るだけ海外旅行をして一緒の思い出を作るように心がけては来ました。
自分は過程
幼少期の私は幼少期の身体に立脚した心の動きをしていて使う言葉もそれらしいものでした。小学校から中学校のあたりでは私の政治的社会的な考えは両親の考えをなぞるような主体性の無いもので、私の心は発達途上の身体に立脚していたのだと思います。青春期になりますと性欲の働きが活発で、それが生活の動力になっていました。動力のままに結婚し、子供達が生まれ、先の妻が亡くなり、そして数々の苦難を乗り越えた私は今、老人の身体に立脚しております。こうして振り返って見ますと心と身体と環境世界は同根でひとくくり、サーンキヤ哲学のプラクリティ(物質原理、現象世界)そのままです。そしてプルシャ(精神原理、真我)はいずこに。
人生も過程
成人するまでは身体の発達に伴った心の働きをしていました。成人してからも私はちゃらちゃらした生活をしていましたが、結婚して子供達も生まれ、社会的には満たされた時期にも不安を抱え、そしてヨガに出会って素晴らしい精神世界を知り、39才の時に解脱体験(サマディ)をし、それから42才の時に先の妻を亡くし、子育てのあとに54才で再婚し、以来、社会的には凡人として人生を過ごして来ました。人生は留まる所を知らない過程の中に有りまして、自分の人生の真実を知るのは死ぬ間際なのでしょうか。
世界は過程
私が初めてインドへ行きました34才の頃、世界は仕組み社会で出来ていました。日本人の私は日本の仕組みの中で生きていて、インド人はインドの仕組みの中で生きている、そしてそれぞれの仕組みが交わる事は有りませんでした。インドの優秀な青年は一生自動車の運転は出来ないだろうと思ったものです。しかし革命は起こります。2014年にインドへ行きました時に現地では皆がスマホを使っていました。スマホには電柱も電線も要らず、しかもインターネットで世界と繋がれます。世界中の国々がそれぞれの仕組みを持っていた、その仕組みの壁が僅か40年で取り払われてしまったと思ったものです。スマホは新しい文明を作っていますね。スマホ文明の曙(あけぼの)。
世界は今も過程のさなか。CCRの「プラウドメアリー」の様に、またテレビ西部劇の「ローハイド」の様にローリン、ローリンと転変しております。
家庭は過程、自分は過程、人生も過程、そして世界は過程で有ります。
家庭は過程
好きな人と一緒に居たいと思って結婚しましたら彼女の実家と結婚してしまったような重たい気分になりました。しかしそれから3人の子供達が生まれ、生まれてみますと子供達の可愛い事。しかしその時家族を守り育てる義務が発生、思ってもいませんでしたね。そしてあの可愛かった子供達も今ではおじさんおばさん。42才の時に先の妻が他界、それから1人で3人の子供達を育てる事になったのですが既に心も体も疲労がひどくて、会社の配慮で東京近郊の支店に異動になっていましたが、出勤の際に電車が最終駅のプラットホームに侵入する時に電車が左右に大きく揺れる為、私は立って居られず電車の床にゴロゴロと転がる始末でした。それから12年後に再婚しまして現在に至る訳ですが、現在の妻とは一緒に子育てをした思い出も無い訳ですから、出来るだけ海外旅行をして一緒の思い出を作るように心がけては来ました。
自分は過程
幼少期の私は幼少期の身体に立脚した心の動きをしていて使う言葉もそれらしいものでした。小学校から中学校のあたりでは私の政治的社会的な考えは両親の考えをなぞるような主体性の無いもので、私の心は発達途上の身体に立脚していたのだと思います。青春期になりますと性欲の働きが活発で、それが生活の動力になっていました。動力のままに結婚し、子供達が生まれ、先の妻が亡くなり、そして数々の苦難を乗り越えた私は今、老人の身体に立脚しております。こうして振り返って見ますと心と身体と環境世界は同根でひとくくり、サーンキヤ哲学のプラクリティ(物質原理、現象世界)そのままです。そしてプルシャ(精神原理、真我)はいずこに。
人生も過程
成人するまでは身体の発達に伴った心の働きをしていました。成人してからも私はちゃらちゃらした生活をしていましたが、結婚して子供達も生まれ、社会的には満たされた時期にも不安を抱え、そしてヨガに出会って素晴らしい精神世界を知り、39才の時に解脱体験(サマディ)をし、それから42才の時に先の妻を亡くし、子育てのあとに54才で再婚し、以来、社会的には凡人として人生を過ごして来ました。人生は留まる所を知らない過程の中に有りまして、自分の人生の真実を知るのは死ぬ間際なのでしょうか。
世界は過程
私が初めてインドへ行きました34才の頃、世界は仕組み社会で出来ていました。日本人の私は日本の仕組みの中で生きていて、インド人はインドの仕組みの中で生きている、そしてそれぞれの仕組みが交わる事は有りませんでした。インドの優秀な青年は一生自動車の運転は出来ないだろうと思ったものです。しかし革命は起こります。2014年にインドへ行きました時に現地では皆がスマホを使っていました。スマホには電柱も電線も要らず、しかもインターネットで世界と繋がれます。世界中の国々がそれぞれの仕組みを持っていた、その仕組みの壁が僅か40年で取り払われてしまったと思ったものです。スマホは新しい文明を作っていますね。スマホ文明の曙(あけぼの)。
世界は今も過程のさなか。CCRの「プラウドメアリー」の様に、またテレビ西部劇の「ローハイド」の様にローリン、ローリンと転変しております。