親友が他界

 4月29日、Aが亡くなりました。昨年の8月に強烈な腹痛を訴えて救急搬送、そこで複数の臓器に癌が見つかって即入院手術。それから入退院を繰り返して8ヶ月の闘病の末でした。彼がどう思っていたかは分かりませんが私は彼を親友だと思っていました。

 私達は皆、大学の広告研究会のメンバーでした。田舎から上京した私はシティボーイのBと密に付き合っていたのですが、親友Aは私達2人についてこう評価しました、

 抽象世界に遊ぶお前と現実世界に遊ぶシティーボーイBは良いコンビだね。

 親友Aは私が自分で思いつきもしない事を明確に言葉にします。また私が不用意な発言をしますといつも容赦なくそれを指摘して追いつめてくれました。鈍馬だった私は随分鍛えて貰ったものです。そして彼は広告研究会のメンバーであれば誰もが憧れる電通に就職が決まりました。卒業の前に彼はお前とはこれから良いライバルだねと言ってくれました。

 就職してからも私はシティボーイBと付き合っていたのですが私が結婚した数年後にある事がきっかけで、これ以上シティボーイBと付き合っても時間の無駄だと、私はシティボーイBとの交友を断ちました。すると親友Aは私に「シティボーイBが戸惑ってるよ」と言います。私はそれで良いのだと応えました。

 私の先の妻は私が42才の正月に亡くなりましたが、その同じ42才の桜の頃にシティボーイBは他界しました。それから1年、私達はシティボーイBの一周忌に呼ばれました。お坊さんの読経が終わって振舞いの席に着きますと親友Aは私に聞きます、「シティボーイBは真言宗の葬式を希望していたけどあの坊さん真言宗?」、私がさっきのは阿弥陀経で今のは無量寿経だから浄土宗だねと答えますと「お前は宗教家になれよ」と言います。私は、僕は既に宗教家だよ、宗教は極めて個人的な体験だからね、と応えました。

 さて、私は鎌倉のCとは大親友です。最初の結婚では鎌倉のCのご両親に仲人をやって貰いましたし、現在の妻を紹介してくれたのも鎌倉のCです。しかし、鎌倉のCと私が大親友になるについては親友Aのきっかけの言葉が有りました。それまで鎌倉のCとは顔は知っているけれどと言う程度の普通の友達でした。

 皆の就職が決まった4年生の夏、後輩達が私達の追い出し合宿を企画してくれました。

 合宿先の屋外の会場で飲み会は始まったのですが気分の良い私はすっかり酔っぱらってしまいました。後輩が私にビールを注ぎますと私はこんなビールが飲めるか、もっと美味しいSU社のビールを持って来んかい!とコップのビールを地上に撒き散らします。しばらくは我慢していた後輩達もすっかり腹を立て、私を数人で担ぎ上げて近くの小屋に閉じ込めてしまいました。酔っぱらったままの私が小屋の中で当惑していますと今度は鎌倉のCが小屋に放り込まれました。そして私達は語り合い、2人が一緒につかまらないようにとそれぞれに小屋の別々の窓から逃走したのです。

 追い出し合宿も終わり私が大学近くの雀荘を覗いてみますと親友Aが雀卓を囲んでいました。私が後ろで観戦していますと親友Aがつぶやきました、「お前、良い友達が出来たなあ」。あっ、そう言う事か!

 以来鎌倉のCと私は無二の親友になったので有りました。

 2006年のリタイア以来、私達S44卒広告研究会のメンバーは年に1度OB会を開いています。2012年のOB会で私は渋谷のDさんと一緒に幹事を仰せつかり赤坂のトルコ料理のレストランで開催する事にしました。レストランにお願いしてベリーダンスのショウを入れて貰いましたので、皆さんの助べえ顔を写真に撮ってねと親友Aにお願いし、それからは親友AはOB会の写真担当になりました。そして渋谷のDさんは永代幹事に。

 それからはOB会会場の下見と称しては親友A、渋谷のDさん、そして私の3人か4人で昼飲みをするのが習慣になっていました。最後は2019年でしたね。

 今日は親友Aの通夜、そして明日は告別式ですが、コロナの為に参列出来ません。本当の私を知ってくれる友達が亡くなるのは寂しくて辛い事です。