ラマナ・マハルシの思想
ラマナマハリシの思想を理解するのは難しいです。特にヨガの初心者には大変でしょう。
ラマナマハリシはウパニシャッドやサーンキヤを勉強した末に解脱体験をした訳では無く、先ずは解脱体験が有りその後でウパニシャッドやサーンキヤの勉強をし、それらの用語が自身の解脱体験を説明するのに便利な事に気付き、ウパニシャッドやサーンキヤの用語を使って自身の世界観を説明しています。
またヨガの練習を重ねた末に解脱体験に至った訳でも無く、ひたすらに「私は誰か」を自身に問い詰めた末に解脱体験に至っています。こんな事が普通の人に出来ますでしょうか。ラマナマハリシが見たのと同じ光を見なければラマナマハリシの言葉を本当に理解する事は出来ません。ですからラマナマハリシの思想は難しいのです。
ラマナマハリシはサーンキヤ哲学の、プラクリティの展開の末の方から大元の方へと点検を進め、アハンカーラ(自我意識)→ブッディ(統覚)へと進んだ後にプラクリティからプルシャへの跳躍を体験して解脱体験に至ったようです。しかし一方でプラクリティ(現象世界)をマーヤー(幻)で有るとして退けていますので、ラマナマハリシの思想はサーンキヤでも仏教でも無くヴェーダーンタ思想だと言えます。
さて、東方出版発行、真下尊吉著の「ラマナ・マハルシの思想」を読んで見ました。この本は3部構成となっており、第1部はラマナマハリシの言葉のピックアップ、第2部はバガヴァッド・ギーターからラマナマハリシが選んだ42の詩句の解説、そして第3部は真下尊吉さんがアルナーチャラを訪問した際の紀行文です。私は第3部の紀行文を楽しく読みました。ラマナのアーシュラムやラマナマハリシがシヴァ神と呼んだアルナチャーラと言う山の様子は一般の本にはこんなに詳しくは書かれていません。ラマナマハリシを知りたいと思う人は先ずはこの第3部の紀行文を読んで親しみを感じられる事をお勧めします。
しかしこの紀行文を読んでも何が何やらと言う方もおられる事でしょう。先ずはラマナマハリシについての予習も必要ですね。キリスト教の新約聖書のうちイエス・キリストの行(おこな)いと言葉を記述した部分は福音書と呼ばれているようですが、ラマナマハリシについても同じ事が言えそうでして、私達はラマナマハリシの言葉と同時にラマナマハリシの足跡(人生)をも知っておきたいですね。
ラマナマハリシの予習については株式会社ナチュラルスピリット発行、アーサー・オズボーン著の「ラマナ・マハルシの伝記」をお勧めします。これを読んでおけば真下尊吉さんの紀行文も楽しく読めますでしょう。
しかし、ヴェーダーンタ思想では現象世界はマーヤー(幻)だそうですからこの紀行文もマーヤー(幻)、淋しい事です。私はやはりプラクリティ(現象世界)を実在とするサーンキヤ哲学が好きです。
さて、ラマナマハリシの言葉について。
真下尊吉さんの「ラマナ・マハルシの思想」の第1部から3つほど抜粋しておきましょう。抜粋文の後ろの(かっこ)内に私の感想を書きます。
この身体の中から、「私」として顕れるものこそ、まさに「心」です。私という想念が、この身体のどこから顕れるのかを調べると、ハート(心)から顕れることが分かります。~ 第一人称の「私」が現れた後にだけ、第二人称と第三人称が現れることが分かるでしょう。第一人称がなければ、第二人称も第三人称も存在することはありません(25頁)。(ラマナマハリシの点検の様子が良く分かりますね)。
この心と呼ばれるものは、アートマ(本来の自己)の中に住みついている、ある驚くべき力(パワー)です。記憶されたすべてのことがらや、想念が生み出されます。~ 世界が現れているときは、アートマは、隠れています。(逆に)アートマが輝いている時には、世界は顕れません(27頁)。(アートマンとマーヤーの関係が説明されています、ヴェーダーンタ思想ですね)。
プラーナーヤーマ(呼吸法)によっても、心は鎮まりますが、あくまで、呼吸が制御されている間だけのことであり、その状態が過ぎると、普段の呼吸に戻り、心は再び活動し始め、自然に外へと向かい、想念が湧いてきて心は外へ流れ始めます。心と呼吸の出所は、まったく同じ場所なのです。~ 呼吸は、心が物質的な姿になったものです(43頁)。(身体に圧を加える事で心を変容させようとするハタ・ヨガをラマナマハリシは否定しています)。
最後に。私は昨年の11月に南インド旅行をしましたが、チェンナイから南西へ下った所にインド7聖地のひとつカーンチープラムが有ります。カーンチープラムにはエーカンバラナータル寺院と言うシヴァ神を祀った寺院が有ります。エーカンバラナータル寺院にはクリーム色の巨大なゴープラム(塔門)が有りまして、ゴープラム(塔門)をくぐってお寺の中へ入る通路の左側の壁面に大きな絵が掛けて有りました。シヴァ神の妃パールヴァティーがシヴァ神の象徴であるシヴァリンガム(リンガ=男根とヨーニ=女陰の結合した姿)にご挨拶している場面の立体的な絵なのですが、シヴァリンガムの基底部にRAMANAの文字が有りました。ラマナマハリシが暮らしたティルヴァンナーマライとカーンチープラムは距離的に近いようですので、ラマナのアーシュラムと関係が有るのかも知れませんね。
ラマナマハリシの思想を理解するのは難しいです。特にヨガの初心者には大変でしょう。
ラマナマハリシはウパニシャッドやサーンキヤを勉強した末に解脱体験をした訳では無く、先ずは解脱体験が有りその後でウパニシャッドやサーンキヤの勉強をし、それらの用語が自身の解脱体験を説明するのに便利な事に気付き、ウパニシャッドやサーンキヤの用語を使って自身の世界観を説明しています。
またヨガの練習を重ねた末に解脱体験に至った訳でも無く、ひたすらに「私は誰か」を自身に問い詰めた末に解脱体験に至っています。こんな事が普通の人に出来ますでしょうか。ラマナマハリシが見たのと同じ光を見なければラマナマハリシの言葉を本当に理解する事は出来ません。ですからラマナマハリシの思想は難しいのです。
ラマナマハリシはサーンキヤ哲学の、プラクリティの展開の末の方から大元の方へと点検を進め、アハンカーラ(自我意識)→ブッディ(統覚)へと進んだ後にプラクリティからプルシャへの跳躍を体験して解脱体験に至ったようです。しかし一方でプラクリティ(現象世界)をマーヤー(幻)で有るとして退けていますので、ラマナマハリシの思想はサーンキヤでも仏教でも無くヴェーダーンタ思想だと言えます。
さて、東方出版発行、真下尊吉著の「ラマナ・マハルシの思想」を読んで見ました。この本は3部構成となっており、第1部はラマナマハリシの言葉のピックアップ、第2部はバガヴァッド・ギーターからラマナマハリシが選んだ42の詩句の解説、そして第3部は真下尊吉さんがアルナーチャラを訪問した際の紀行文です。私は第3部の紀行文を楽しく読みました。ラマナのアーシュラムやラマナマハリシがシヴァ神と呼んだアルナチャーラと言う山の様子は一般の本にはこんなに詳しくは書かれていません。ラマナマハリシを知りたいと思う人は先ずはこの第3部の紀行文を読んで親しみを感じられる事をお勧めします。
しかしこの紀行文を読んでも何が何やらと言う方もおられる事でしょう。先ずはラマナマハリシについての予習も必要ですね。キリスト教の新約聖書のうちイエス・キリストの行(おこな)いと言葉を記述した部分は福音書と呼ばれているようですが、ラマナマハリシについても同じ事が言えそうでして、私達はラマナマハリシの言葉と同時にラマナマハリシの足跡(人生)をも知っておきたいですね。
ラマナマハリシの予習については株式会社ナチュラルスピリット発行、アーサー・オズボーン著の「ラマナ・マハルシの伝記」をお勧めします。これを読んでおけば真下尊吉さんの紀行文も楽しく読めますでしょう。
しかし、ヴェーダーンタ思想では現象世界はマーヤー(幻)だそうですからこの紀行文もマーヤー(幻)、淋しい事です。私はやはりプラクリティ(現象世界)を実在とするサーンキヤ哲学が好きです。
さて、ラマナマハリシの言葉について。
真下尊吉さんの「ラマナ・マハルシの思想」の第1部から3つほど抜粋しておきましょう。抜粋文の後ろの(かっこ)内に私の感想を書きます。
この身体の中から、「私」として顕れるものこそ、まさに「心」です。私という想念が、この身体のどこから顕れるのかを調べると、ハート(心)から顕れることが分かります。~ 第一人称の「私」が現れた後にだけ、第二人称と第三人称が現れることが分かるでしょう。第一人称がなければ、第二人称も第三人称も存在することはありません(25頁)。(ラマナマハリシの点検の様子が良く分かりますね)。
この心と呼ばれるものは、アートマ(本来の自己)の中に住みついている、ある驚くべき力(パワー)です。記憶されたすべてのことがらや、想念が生み出されます。~ 世界が現れているときは、アートマは、隠れています。(逆に)アートマが輝いている時には、世界は顕れません(27頁)。(アートマンとマーヤーの関係が説明されています、ヴェーダーンタ思想ですね)。
プラーナーヤーマ(呼吸法)によっても、心は鎮まりますが、あくまで、呼吸が制御されている間だけのことであり、その状態が過ぎると、普段の呼吸に戻り、心は再び活動し始め、自然に外へと向かい、想念が湧いてきて心は外へ流れ始めます。心と呼吸の出所は、まったく同じ場所なのです。~ 呼吸は、心が物質的な姿になったものです(43頁)。(身体に圧を加える事で心を変容させようとするハタ・ヨガをラマナマハリシは否定しています)。
最後に。私は昨年の11月に南インド旅行をしましたが、チェンナイから南西へ下った所にインド7聖地のひとつカーンチープラムが有ります。カーンチープラムにはエーカンバラナータル寺院と言うシヴァ神を祀った寺院が有ります。エーカンバラナータル寺院にはクリーム色の巨大なゴープラム(塔門)が有りまして、ゴープラム(塔門)をくぐってお寺の中へ入る通路の左側の壁面に大きな絵が掛けて有りました。シヴァ神の妃パールヴァティーがシヴァ神の象徴であるシヴァリンガム(リンガ=男根とヨーニ=女陰の結合した姿)にご挨拶している場面の立体的な絵なのですが、シヴァリンガムの基底部にRAMANAの文字が有りました。ラマナマハリシが暮らしたティルヴァンナーマライとカーンチープラムは距離的に近いようですので、ラマナのアーシュラムと関係が有るのかも知れませんね。