インドの3大思想

 インドの3大思想とはサーンキヤ哲学とヴェーダーンタ思想と仏教です。他はどうでも良く、六派哲学とは何か等と気にする必要は有りません。

 サーンキヤ哲学では心と体と環境世界は同根でひとくくり、そしてそれとは全く別に真我があると主張します。心と体と環境世界をプラクリティ(物質原理)と呼び、真我をプルシャ(精神原理)と呼びます。サーンキヤ哲学は二元論です。そして有の思想です。

 私達は日頃、自分とは心の事、更に言うならば自我意識の事だと思っていますが、サーンキヤ哲学では心は物質の一部に過ぎず、それとは全く別に真我が有ると主張します。

 ヴェーダーンタ思想では宇宙の真実はブラフマン(梵)で有るとし、ブラフマン(梵)が個人に内在する時にはアートマン(真我)と呼びます。アートマン(真我)はサーンキヤ哲学のプルシャ(精神原理)と同じです。そして梵我一如は仏教思想では無くヴェーダーンタ思想です。仏教にはブラフマン(梵)と言う概念もアートマン(真我)と言う概念も有りません。そしてヴェーダーンタでは環境世界をマーヤー(幻)で有るとして退けます。ヴェーダーンタ思想は一元論です。そしてヴェーダーンタもサーンキヤと同様に有の思想です。

 仏教はゼロ元論です。手毬を想像して見て下さい。因縁の因と縁と言う皮で編み上げられた手毬の中身は空っぽ、これを空の思想と言います。

 このようにサーンキヤ哲学は二元論、ヴェーダーンタ思想は一元論、そして仏教はゼロ元論なのですが、ここで大事なのは思想の前に解脱体験が有ると言う事です。解脱体験をどう理解しどう表現するかでサーンキヤにもなりヴェーダーンタにもなり仏教にもなるのですから、私はどれでも良いと思います。

 そして折角ですからタントラについても触れておきましょう。

 タントラはサーンキヤ哲学を土台にしたイマジネーションの世界です。タントラは身体を重要視します。身体の上から下へ(又は下から上へ)7つのチャクラ(神経の輪)が有ります。脊椎に沿って3つのナーディ(脈管)が有ります。体の一番下のチャクラ(神経の輪)にはクンダリニーと呼ばれる蛇が眠っています。クンダリニーとはシャクティ(女性の性的なパワーを神格化したもの)の事でパールヴァティー女神とも呼びます。シャクティはサーンキヤ哲学ではプラクリティ(物質原理)の事です。

 体の一番下のチャクラ(神経の輪)に眠っているクンダリニーが目覚めますと脊椎に沿ったナーディ(脈管)を上昇し、7つのチャクラ(神経の輪)を突破して頭頂に座するシヴァ神と合体して至福の世界が現れます。ここでシヴァ神とはサーンキヤ哲学でのプルシャ(精神原理)の事です。

 タントラはイマジネーションの世界ですから、実際に身体を解剖しても、チャクラ(神経の輪)もナーディ(脈管)もクンダリニーも見当たらないそうです。見当たらないけれども真実よりも真実、これがイマジネーション世界の面白いところです。

 ヨーガ・スートラがモノクロの世界ならばタントラは総天然色、インド思想には際限が有りませんね。