母は眠り私も眠る
5月24日から27日まで熊本へ帰省して来ました。ビジネスホテルにチェックインしてすぐに高齢者施設へ行きますと、午後4時でしたが先月96才になったばかりの母は自室で眠っていました。事前に施設長さんからはここ数日デイサービスには出ずに部屋で休んでいる、また食べなくなっているとは電話で聞かされていましたが、こんな時間に熟睡するものだろうか。4階から2階へ降りて事務所で施設長さんにご挨拶しました。施設長さんはケアマネージャーでも有ります。
お話を聞きますと、14日あたりから、つまり10日程前から気管支炎で微熱が続き食欲も落ちているが回復には2倍くらい時間が掛かると言い、また一昨日あたりから少し食べるようにもなっていると言います。母には2年前に悪い細胞が見つかりましたが、今回の微熱も咳も食欲不振もそれが原因では無く気管支炎によるものだそうです。今のが終末に向かう症状なのか今だけの一時的な症状なのか聞きますと、これは一時的な症状ですが年齢も年齢なので油断は出来ませんと言われました。お話は大体分かりましたが2人の姉弟にもきちんと報告する必要が有りますので内科の先生にお話を伺ってもよろしいでしょうかと聞きますと、良いですよ、ご案内しましょう。ここは高齢者施設と内科医院が併設になっています。廊下を進んで奥のエレベーターで1階へ降りますと内科医院の待合室に出ました。
先生はレントゲンの写真も見せながら説明してくれました。血液検査の結果は良くなっています。また悪い細胞が少しは大きくなっていますが今回の微熱や咳や食欲不振の症状はそれでは無く気管支炎によるものです。先生の説明が終わり、今の状態は終末に向かっているのでしょうか、それとも一時的なものでしょうかと聞きますと、一時的のものでは有りますが年齢も年齢ですので油断は出来ませんと言われました。
部屋に戻りますと母はまだ熟睡していました。私がベッド脇の椅子に居ますと介護士さんが部屋に入って来て「ご主人様ですか?」と言います。これは返事に困りますね。介護士さんは、ベッドの横に簡易トイレを置いているが母は嫌がっている、またベッドの下にセンサーを敷いておりそれを踏むとスタッフが飛んで来ますから踏まないで下さいねと言います。6時になると介護士さんが夕食を運んで来ました。介護士さんが母をベッドの上に起こし、主食、副食、味噌汁をスプーンでひと口ふた口と運びます。こんな少量で母の体は持つのだろうか。食事が終わると介護士さんは母をベッドに寝かせました。母は自力で起き上がったり横になったりが出来ません。そしてしばらくすると母は大きく咳込みます。母の背中をさすってみても収まらず、回復には時間が必要なようです。
施設を出て夕食を取り、ホテルに戻り入浴した私はテレビを点けました。NHKのニュースウォッチ9を見ていましたらそのまま爆睡。そして目が覚めますと翌朝の9時!なんと言う事でしょう。通常私は自宅ではYouTubeを観たあと11時半過ぎに寝るのですが昨日は余程に疲れてしまったようです。
25日。今日は13時半から施設で今後のケアプランのミーティングです。施設での母の昼食の様子は昨日の夕食と全く同じ。私は母の横でサンドイッチと野菜ジュースの紙パックでした。
ケアプランのミーティングは施設長さんと3人の介護士さんとでやりました。要介護の審査の際に母は急に元気になったそうで、今後2年間も「要介護1」に決まったそうです。他には、デイサービスの休憩時間でのおしゃべりが減った、夜昼の着替えが難しくなった、4月から歩行器に頼るようになった、化粧品への関心が薄くなっている、息切れが目立つ、食事にカロリーメイトゼリーを加えています等々。
ひと通りケアプランのお話が終わりますと施設長さんが「終末への準備のパンフレットです、ご兄弟で十分に話し合って下さいね」と渡してくれました。いざという時に救急車を呼ぶと、救急車は救命が目的なので、呼吸に問題が有れば気道を確保しますし、食事が出来ないと胃ろうも施す事になりますから尊厳死にも抵触しかねないのだそうです。またお葬式についても事前に決めて置く必要が有るようです。母はかねてから「自分の葬式にお坊さんは要らないし、また子供達夫婦だけでの家族葬にして欲しい」と言っていましたが、姉弟の中には世間体を気にする者が居るかも知れないので事前に決めておかないと当日に揉める事にもなりかねません。これは早急にやっておきましょう。
ホテルに戻りますとカウンターのスタッフに2、3訊ねて見ました。急に延泊が必要になったら受けて貰えますか?「空室が有ればお受けしますが、無い時は同じチェーンのホテルをご紹介します」。このカウンターから熊本空港へ電話をして飛行機のキャンセルや新たな予約をするのは可能でしょうか?「このカウンターから空港へ電話出来ますからキャンセルも予約も可能です」。私は帰省の際にはPCを携行しませんしスマホも持っていませんのでこんな事も気になるのです。
さてそして、この日もニュースウォッチ9が終わる頃にはまたも爆睡してしまいました。
26日。この日も母は基本的に眠り続けていましたが、目を覚ますとおしゃべりをしてくれましたし、夕食はお昼よりも多く食べてくれました。しかし自力では起き上がれず、これでは部屋の電話を取るのも困難です。また耳も遠くなっていて、耳元で話し掛けないと聞き取ってくれません。着実に老化は進んでいると思いました。
夜には友人UKが会ってくれました。友人UKの母上は私の母より1つ年下ですが、やはりうちの母と同じような状態では有るようです。熊本最大の繁華街の下通りには先月末に太洋デパート跡(旧ダイエー)が高級アパレルビルとしてCOCOSAと言う名でオープンしていました。前よりも敷地が広くなっているんじゃないの?と聞きますと櫻井総本店が合体して大きくなっているのだと説明してくれました。店内の通路が広過ぎて高級感が有り過ぎなのも気になりましたし、地下の食品売り場へも地上のお店とは全く別の階段になっていてなんだかなあ、渋谷の109や原宿の竹下通りのようなゴチャゴチャ感が欲しいよねとついつい感想を述べてしまいました。幸い友人UKはここには出店していないそうです。
27日。東京へ戻る飛行機に乗る前に施設へ行き、母と一緒にお昼を食べましたがこの日は母も良くおしゃべりをしてくれました。若い男性の介護士さんが上手に母と会話をしてくれ、母はそれにつられるようにお昼を良く食べてくれました。介護士さんの力量は大したものです。
私は飛行機に乗るのが大好きでめったに居眠りはしないのですが今回は不覚を取りました。何度かうつらうつらしましたし、飛行機が外房の上空から羽田へ向かって下降する時にはすっかり眠ってしまい、飛行機がドスンと着陸した時にやっと目が覚めたものです。
いつかは来る日が今日では無かった。これが今回の私の切迫した心地(ここち)でした。
5月24日から27日まで熊本へ帰省して来ました。ビジネスホテルにチェックインしてすぐに高齢者施設へ行きますと、午後4時でしたが先月96才になったばかりの母は自室で眠っていました。事前に施設長さんからはここ数日デイサービスには出ずに部屋で休んでいる、また食べなくなっているとは電話で聞かされていましたが、こんな時間に熟睡するものだろうか。4階から2階へ降りて事務所で施設長さんにご挨拶しました。施設長さんはケアマネージャーでも有ります。
お話を聞きますと、14日あたりから、つまり10日程前から気管支炎で微熱が続き食欲も落ちているが回復には2倍くらい時間が掛かると言い、また一昨日あたりから少し食べるようにもなっていると言います。母には2年前に悪い細胞が見つかりましたが、今回の微熱も咳も食欲不振もそれが原因では無く気管支炎によるものだそうです。今のが終末に向かう症状なのか今だけの一時的な症状なのか聞きますと、これは一時的な症状ですが年齢も年齢なので油断は出来ませんと言われました。お話は大体分かりましたが2人の姉弟にもきちんと報告する必要が有りますので内科の先生にお話を伺ってもよろしいでしょうかと聞きますと、良いですよ、ご案内しましょう。ここは高齢者施設と内科医院が併設になっています。廊下を進んで奥のエレベーターで1階へ降りますと内科医院の待合室に出ました。
先生はレントゲンの写真も見せながら説明してくれました。血液検査の結果は良くなっています。また悪い細胞が少しは大きくなっていますが今回の微熱や咳や食欲不振の症状はそれでは無く気管支炎によるものです。先生の説明が終わり、今の状態は終末に向かっているのでしょうか、それとも一時的なものでしょうかと聞きますと、一時的のものでは有りますが年齢も年齢ですので油断は出来ませんと言われました。
部屋に戻りますと母はまだ熟睡していました。私がベッド脇の椅子に居ますと介護士さんが部屋に入って来て「ご主人様ですか?」と言います。これは返事に困りますね。介護士さんは、ベッドの横に簡易トイレを置いているが母は嫌がっている、またベッドの下にセンサーを敷いておりそれを踏むとスタッフが飛んで来ますから踏まないで下さいねと言います。6時になると介護士さんが夕食を運んで来ました。介護士さんが母をベッドの上に起こし、主食、副食、味噌汁をスプーンでひと口ふた口と運びます。こんな少量で母の体は持つのだろうか。食事が終わると介護士さんは母をベッドに寝かせました。母は自力で起き上がったり横になったりが出来ません。そしてしばらくすると母は大きく咳込みます。母の背中をさすってみても収まらず、回復には時間が必要なようです。
施設を出て夕食を取り、ホテルに戻り入浴した私はテレビを点けました。NHKのニュースウォッチ9を見ていましたらそのまま爆睡。そして目が覚めますと翌朝の9時!なんと言う事でしょう。通常私は自宅ではYouTubeを観たあと11時半過ぎに寝るのですが昨日は余程に疲れてしまったようです。
25日。今日は13時半から施設で今後のケアプランのミーティングです。施設での母の昼食の様子は昨日の夕食と全く同じ。私は母の横でサンドイッチと野菜ジュースの紙パックでした。
ケアプランのミーティングは施設長さんと3人の介護士さんとでやりました。要介護の審査の際に母は急に元気になったそうで、今後2年間も「要介護1」に決まったそうです。他には、デイサービスの休憩時間でのおしゃべりが減った、夜昼の着替えが難しくなった、4月から歩行器に頼るようになった、化粧品への関心が薄くなっている、息切れが目立つ、食事にカロリーメイトゼリーを加えています等々。
ひと通りケアプランのお話が終わりますと施設長さんが「終末への準備のパンフレットです、ご兄弟で十分に話し合って下さいね」と渡してくれました。いざという時に救急車を呼ぶと、救急車は救命が目的なので、呼吸に問題が有れば気道を確保しますし、食事が出来ないと胃ろうも施す事になりますから尊厳死にも抵触しかねないのだそうです。またお葬式についても事前に決めて置く必要が有るようです。母はかねてから「自分の葬式にお坊さんは要らないし、また子供達夫婦だけでの家族葬にして欲しい」と言っていましたが、姉弟の中には世間体を気にする者が居るかも知れないので事前に決めておかないと当日に揉める事にもなりかねません。これは早急にやっておきましょう。
ホテルに戻りますとカウンターのスタッフに2、3訊ねて見ました。急に延泊が必要になったら受けて貰えますか?「空室が有ればお受けしますが、無い時は同じチェーンのホテルをご紹介します」。このカウンターから熊本空港へ電話をして飛行機のキャンセルや新たな予約をするのは可能でしょうか?「このカウンターから空港へ電話出来ますからキャンセルも予約も可能です」。私は帰省の際にはPCを携行しませんしスマホも持っていませんのでこんな事も気になるのです。
さてそして、この日もニュースウォッチ9が終わる頃にはまたも爆睡してしまいました。
26日。この日も母は基本的に眠り続けていましたが、目を覚ますとおしゃべりをしてくれましたし、夕食はお昼よりも多く食べてくれました。しかし自力では起き上がれず、これでは部屋の電話を取るのも困難です。また耳も遠くなっていて、耳元で話し掛けないと聞き取ってくれません。着実に老化は進んでいると思いました。
夜には友人UKが会ってくれました。友人UKの母上は私の母より1つ年下ですが、やはりうちの母と同じような状態では有るようです。熊本最大の繁華街の下通りには先月末に太洋デパート跡(旧ダイエー)が高級アパレルビルとしてCOCOSAと言う名でオープンしていました。前よりも敷地が広くなっているんじゃないの?と聞きますと櫻井総本店が合体して大きくなっているのだと説明してくれました。店内の通路が広過ぎて高級感が有り過ぎなのも気になりましたし、地下の食品売り場へも地上のお店とは全く別の階段になっていてなんだかなあ、渋谷の109や原宿の竹下通りのようなゴチャゴチャ感が欲しいよねとついつい感想を述べてしまいました。幸い友人UKはここには出店していないそうです。
27日。東京へ戻る飛行機に乗る前に施設へ行き、母と一緒にお昼を食べましたがこの日は母も良くおしゃべりをしてくれました。若い男性の介護士さんが上手に母と会話をしてくれ、母はそれにつられるようにお昼を良く食べてくれました。介護士さんの力量は大したものです。
私は飛行機に乗るのが大好きでめったに居眠りはしないのですが今回は不覚を取りました。何度かうつらうつらしましたし、飛行機が外房の上空から羽田へ向かって下降する時にはすっかり眠ってしまい、飛行機がドスンと着陸した時にやっと目が覚めたものです。
いつかは来る日が今日では無かった。これが今回の私の切迫した心地(ここち)でした。