「図説 ヨーガ大全」その2
パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」にヨガの8段階(アシュターンガ・ヨーガと呼ぶそうです)と言うのが有りますがそれは①ヤマ(禁戒)、②ニヤマ(勧戒)、③アサナ(坐法、ヨガのポーズ)、④プラーナヤーマ(調息)、⑤プラティヤーハーラ(制感、外からの刺激に反応せず意識を内に向ける事)、⑥ダーラナ(集中)、⑦ディヤーナ(瞑想、禅、集中の維持)、⑧サマディ(解脱、三昧)、の8段階です。
私は日本ゴーシュ・ヨガ道場でハタ・ヨガの練習をして来ましたが、ハタ・ヨガとはヨガの8段階(アシュターンガ・ヨーガ)のうちの③アサナ(坐法、ヨガのポーズ)と④プラーナヤーマ(調息)を強調するヨガだと漠然と思っていました。しかし「図説 ヨーガ大全」で伊藤武さんはそうでは無いと言います。伊藤さんによればハタ・ヨガは西暦1100年か1200年頃にマッツェンドラとその弟子のゴーラクシャによって完成されていて、そうしますとパタンジャリの「ヨーガ・スートラ」が成立した頃よりも500年以上も時代を下って成立した事になります。ハタ・ヨガはヨガの8段階(アシュターンガ・ヨーガ)の進化系なのだろうか。
伊藤さんによればハタ・ヨガはタントラです。密教です。これは面白いですね。実は私も漠然とそうでは無いかなと、思ってはいました。
一般にはラージャ・ヨガ(アシュターンガ・ヨーガ)はスピリチュアルでハタ・ヨガはフィジカルだと思われているようだがそれは違うと伊藤さんは言います。私はハタ・ヨガは③アサナ(坐法、ヨガのポーズ)と④プラーナヤーマ(調息)を強調するヨガだと思っていましたが、伊藤さんによればハタ・ヨガのプラーナヤーマ(調息)には⑥ダーラナ(集中)と⑦ディヤーナ(瞑想、禅、集中の維持)と⑧サマディ(解脱、三昧)が含まれていると言います。そうしますと⑤プラティヤーハーラ(制感、外からの刺激に反応せず意識を内に向ける事)と⑥ダーラナ(集中)はコインの裏表ですから、⑤プラティヤーハーラ(制感)も④プラーナヤーマ(調息)に含まれる事になります。
これはどう言う事でしょうか。これはどう言う事かと言いますと、ヨガの8段階(アシュターンガ・ヨーガ)が8つの段階を順次踏み進むのに対して、ハタ・ヨガでは8つの段階の夫々が影響し合い反応し合い響き合って完成すると言う事でしょう。
インドリヤ(身体器官)とチッタ(心)とプルシャ(真我、絶対主観)とが混然と交じり合って煮込まれる。これはプラクリティ(自然現象)とプルシャ(真我、絶対主観)の結合を意味しますね。宇宙の摂理と自己の一体化です。そして更にプラクリティ(自然現象)からプルシャ(真我、絶対主観)への跳躍。
40才の時に私は当時小学6年生だった息子を連れて2度目のインド旅行をしました。ヴァラナシ(ベナレス)ではラヒリ・マハサヤのお家でラヒリ・マハサヤの曾孫でサットヤ・チャラン・ラヒリさん(ラヒリ・マハサヤの孫)の甥(おい)に当たるB・ラヒリさんに面会して宗教哲学のお話をしました。その時にB・ラヒリさんは「ハタ・ヨガで神に到るのは難しいだろう」と言い、「プラーナヤーマで可能だと思いますが」と私が言いますとB・ラヒリさんは話題を変えて「会話をするのも大事だが黙想も大事だ。ここでしばらく黙想してごらん」と言い、私は黙想しました。その時B・ラヒリさんは既に老人でした。
振り返って見ますと、この時の会話には相当に深い意味が有ったようです。
伊藤武さんはパラマハンサ・ヨガナンダのクリヤ・ヨガを密教ヨガだと言います。身口意(しんくい)と言いまして、体と言葉と意志を同時に働かせるヨガです。身口意はヨガの8段階のうちの②ニヤマ(勧戒)の中の3つに相当する、つまり、身=タパス(苦行、熱)と、口=スヴァーディアーヤ(聖典の学習、読誦)と、意=イシュワラプラニダーン(神に全てをお任せする事)の3つです。パラマハンサ・ヨガナンダの先生の先生がラヒリ・マハサヤですから、ラヒリ・マハサヤのクリヤ・ヨガも密教ヨガ、つまりタントラ・ヨガの可能性が有ります。実際にはクリヤ・ヨガはハタ・ヨガに大変近いところに有るのかも知れませんね。お兄さんがクリヤ・ヨガで弟がハタ・ヨガと言う事も出来そうです。
そして確かにハタ・ヨガにはチャクラ(7つの神経の輪)とかナーディー(脈管)とかクンダリニー(シャクティ、女性の性的なパワーを神格化したもの)とか、そしてまた様々な浄化法が出て来ますがパタンジャリの「ヨーガ・スートラ」には出て来ません。ハタ・ヨガには心と体の生理学と言う側面が確かに有ります。
ヨガの哲学の勉強はするけれどもヨガの練習を欠くのは良く有りませんし、またヨガの練習はするけれどもヨガの哲学の勉強を欠くのも良く有りません。哲学と身体運動は車の両輪です。サーンキヤ哲学をしっかりと把握したその上で、それを更に肉体の働きである呼吸に落とし込む、これがヨガの面白さでしょうね。
ところで、ヨガのアサナ(坐法、ヨガのポーズ)の写真を見ていますと必ず出て来るのが「座位での上半身のひねりのポーズ」ですがこれはアルダ・マッツェンドラ・アーサナと言います。アルダ(半分の)マッツェンドラ(マッツェンドラ神の)アーサナ(坐法、ヨガのポーズ)ですからハタ・ヨガの開祖であるマッツェンドラ神に捧げるアサナ(坐法、ヨガのポーズ)と言う事になります。ヨガの練習をする時には簡単な日本語のポーズ名だけで無く、カタカナのポーズ名も覚えると、色々と楽しいです。
パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」にヨガの8段階(アシュターンガ・ヨーガと呼ぶそうです)と言うのが有りますがそれは①ヤマ(禁戒)、②ニヤマ(勧戒)、③アサナ(坐法、ヨガのポーズ)、④プラーナヤーマ(調息)、⑤プラティヤーハーラ(制感、外からの刺激に反応せず意識を内に向ける事)、⑥ダーラナ(集中)、⑦ディヤーナ(瞑想、禅、集中の維持)、⑧サマディ(解脱、三昧)、の8段階です。
私は日本ゴーシュ・ヨガ道場でハタ・ヨガの練習をして来ましたが、ハタ・ヨガとはヨガの8段階(アシュターンガ・ヨーガ)のうちの③アサナ(坐法、ヨガのポーズ)と④プラーナヤーマ(調息)を強調するヨガだと漠然と思っていました。しかし「図説 ヨーガ大全」で伊藤武さんはそうでは無いと言います。伊藤さんによればハタ・ヨガは西暦1100年か1200年頃にマッツェンドラとその弟子のゴーラクシャによって完成されていて、そうしますとパタンジャリの「ヨーガ・スートラ」が成立した頃よりも500年以上も時代を下って成立した事になります。ハタ・ヨガはヨガの8段階(アシュターンガ・ヨーガ)の進化系なのだろうか。
伊藤さんによればハタ・ヨガはタントラです。密教です。これは面白いですね。実は私も漠然とそうでは無いかなと、思ってはいました。
一般にはラージャ・ヨガ(アシュターンガ・ヨーガ)はスピリチュアルでハタ・ヨガはフィジカルだと思われているようだがそれは違うと伊藤さんは言います。私はハタ・ヨガは③アサナ(坐法、ヨガのポーズ)と④プラーナヤーマ(調息)を強調するヨガだと思っていましたが、伊藤さんによればハタ・ヨガのプラーナヤーマ(調息)には⑥ダーラナ(集中)と⑦ディヤーナ(瞑想、禅、集中の維持)と⑧サマディ(解脱、三昧)が含まれていると言います。そうしますと⑤プラティヤーハーラ(制感、外からの刺激に反応せず意識を内に向ける事)と⑥ダーラナ(集中)はコインの裏表ですから、⑤プラティヤーハーラ(制感)も④プラーナヤーマ(調息)に含まれる事になります。
これはどう言う事でしょうか。これはどう言う事かと言いますと、ヨガの8段階(アシュターンガ・ヨーガ)が8つの段階を順次踏み進むのに対して、ハタ・ヨガでは8つの段階の夫々が影響し合い反応し合い響き合って完成すると言う事でしょう。
インドリヤ(身体器官)とチッタ(心)とプルシャ(真我、絶対主観)とが混然と交じり合って煮込まれる。これはプラクリティ(自然現象)とプルシャ(真我、絶対主観)の結合を意味しますね。宇宙の摂理と自己の一体化です。そして更にプラクリティ(自然現象)からプルシャ(真我、絶対主観)への跳躍。
40才の時に私は当時小学6年生だった息子を連れて2度目のインド旅行をしました。ヴァラナシ(ベナレス)ではラヒリ・マハサヤのお家でラヒリ・マハサヤの曾孫でサットヤ・チャラン・ラヒリさん(ラヒリ・マハサヤの孫)の甥(おい)に当たるB・ラヒリさんに面会して宗教哲学のお話をしました。その時にB・ラヒリさんは「ハタ・ヨガで神に到るのは難しいだろう」と言い、「プラーナヤーマで可能だと思いますが」と私が言いますとB・ラヒリさんは話題を変えて「会話をするのも大事だが黙想も大事だ。ここでしばらく黙想してごらん」と言い、私は黙想しました。その時B・ラヒリさんは既に老人でした。
振り返って見ますと、この時の会話には相当に深い意味が有ったようです。
伊藤武さんはパラマハンサ・ヨガナンダのクリヤ・ヨガを密教ヨガだと言います。身口意(しんくい)と言いまして、体と言葉と意志を同時に働かせるヨガです。身口意はヨガの8段階のうちの②ニヤマ(勧戒)の中の3つに相当する、つまり、身=タパス(苦行、熱)と、口=スヴァーディアーヤ(聖典の学習、読誦)と、意=イシュワラプラニダーン(神に全てをお任せする事)の3つです。パラマハンサ・ヨガナンダの先生の先生がラヒリ・マハサヤですから、ラヒリ・マハサヤのクリヤ・ヨガも密教ヨガ、つまりタントラ・ヨガの可能性が有ります。実際にはクリヤ・ヨガはハタ・ヨガに大変近いところに有るのかも知れませんね。お兄さんがクリヤ・ヨガで弟がハタ・ヨガと言う事も出来そうです。
そして確かにハタ・ヨガにはチャクラ(7つの神経の輪)とかナーディー(脈管)とかクンダリニー(シャクティ、女性の性的なパワーを神格化したもの)とか、そしてまた様々な浄化法が出て来ますがパタンジャリの「ヨーガ・スートラ」には出て来ません。ハタ・ヨガには心と体の生理学と言う側面が確かに有ります。
ヨガの哲学の勉強はするけれどもヨガの練習を欠くのは良く有りませんし、またヨガの練習はするけれどもヨガの哲学の勉強を欠くのも良く有りません。哲学と身体運動は車の両輪です。サーンキヤ哲学をしっかりと把握したその上で、それを更に肉体の働きである呼吸に落とし込む、これがヨガの面白さでしょうね。
ところで、ヨガのアサナ(坐法、ヨガのポーズ)の写真を見ていますと必ず出て来るのが「座位での上半身のひねりのポーズ」ですがこれはアルダ・マッツェンドラ・アーサナと言います。アルダ(半分の)マッツェンドラ(マッツェンドラ神の)アーサナ(坐法、ヨガのポーズ)ですからハタ・ヨガの開祖であるマッツェンドラ神に捧げるアサナ(坐法、ヨガのポーズ)と言う事になります。ヨガの練習をする時には簡単な日本語のポーズ名だけで無く、カタカナのポーズ名も覚えると、色々と楽しいです。