老いるショック

 散歩していましたら私の後で子供の駆け出す音が聞こえ、小学校高学年と思われる女の子がパタパタパタと私を抜き差って行き向こうの角で姿を消しました。どこにも有る風景なのですが私はショックを受けました、「体力でこんな小さな女の子に負けている」。

 去年の10月1日、その日は熊本で入院している私の母が退院予定の日でしたが、午前中に妻と2人で病院へ行きますとベッドに母が居ません。看護婦さんが「検査に行かれてます」と言いました。母が戻って来ますと麻酔が掛かっており、看護婦さんは「内視鏡で石を取ったようですよ」と言います。「今日の退院は」と聞きますと「今日は無理ですね」と答えます。「今日どんな施術が有ったのか先生にお聞きしたいのですが、私の兄弟にも知らせる必要が有りますし」と聞きますと看護婦さんは調べてくれて「夕方の6時に来て下さい」と言いました。私達はそれを聞いて一旦帰宅しました。

 「すこし早く行っていよう」、私達は夕方の5時15分に家を出て病院へ向かいました。家から病院まで15分位掛かります。家を出て間もなく私の携帯電話が鳴りました。電話は看護婦さんからでした。「5時半までにいらっしゃらないと先生が外出されます」、「エエッ」、私達は思わず駆け出しました。しかし悲しいかな、脚がひどく疲れます。20歩程走っては止まり、また走っては止まりしながら私は妻を追いかけ、ジャスト5時半に病院へ駆け込み、先生と面会する事が出来ました。翌日、太股の痛かった事。

 一昨年の11月にトルコへ行きました時、パムッカレと言う温泉地のホテルに温泉プールが有りましたので妻と2人で入って見ました。平泳ぎをしようとしましたら、うまく泳げません。私はさっさとプールから揚がってしまいました。そう言えばもう何十年泳いでいない事だろうか。

 私が初めて老いを自覚しましたのは50才の頃だったと思います。ふと左手の甲を見ますと細かい皺(しわ)がいっぱい有ります。手を反らして見ますと大きめの皺(しわ)が出来ました。指で皺(しわ)をなぞって見ますと皺(しわ)は波紋のように移動します。皮膚が皺(しわ)だらけでゆるくなっている、「父の手の甲がこんな風だったな」と昔を思い出したものです。

 50才の時に作った遠近両用眼鏡が効かなくなったので一昨年に老眼鏡を作りました。「中近」では無く「近々」なので本を読む時と文字を書く時だけ眼鏡を掛けます。いちいち眼鏡を掛けるのは煩わしいのですが眼鏡を掛けないと本も読めませんし文字も書けません。煩わしいけど仕方が無い。

 私はお風呂で歌を歌うのが好きです。冬ですと長く浸かりますので4曲か5曲は歌います。でも、今年異変が起こりました。23才の時に営業車のラジオのFEN放送(米軍の放送)で聞いて好きになったB・J・トーマスの「ロックンロール・ララバイ」、レコードを買って歌詞を覚えた曲なのですが、歌の最後に盛り上がるファルセット、高い声が出なくなりました。声がかすれるとかつぶれるとかでは無く、音が出ない。ある音域を越えますと声帯が反応してくれません。最後のファルセットが歌えないとつまらないので「ロックンロール・ララバイ」は私のレパートリーから外しました。

  ロックンロール・ララバイ

 僕が生まれて来た時にママはまだ16才だった だからママと僕とは一緒に成長したのさ それでも僕が泣き出すと ママはロックンロールを歌って僕の涙を乾かしてくれた そう、ロックンロールのララバイで

 良い歌なんだけどなあ。

 ヤマダ電機の駐車場に車を停めて売場へ降りる階段の踊り場の壁が鏡になっていて、「この頑固爺さんは誰だ」と思ったら私でした。

 散歩していましたら私の15メートル程先をおじさんがチンタラ歩いています。「軽く追い抜けるね」と歩いていましたら5分たってもチンタラおじさんとの距離を詰められませんでした。私の歩く速度はあのチンタラおじさんと一緒なのか!

 こうして私の「老いるショック」は今日も続きます。