原始力

 散歩を兼ねて妻と買い物に行きました時に八百屋さんの店頭で空を見上げますと、白い雲が浮かんでいます。私はこれを見て「これは水蒸気で出来た水滴の集まりだ」と考えて雲から目を逸らそうとしたのですが、あまりにも雲は魅力的でした。雲の正体が水滴だと言う事をどうして私が知っているかと言いますと、学校で教わったからです。これは私が自力で発見した事では有りません。大昔の古代人は雲を見て何を感じたのだろうか、私はふと古代人の気持ちになってみました。あの白い、空に浮く物体が何なのかはさっぱり分かりませんが、あれはたまに自分達に暴力を振るうけれども多くの場合には雨を降らせて土地を潤し、植物を育成させてくれている、そして何よりも自分が生まれるよりも前から有った訳で、古代人の私はそれを無条件に受け入れています。そして私はそれに畏怖し、感謝します。それの向こうには神が有って、私は神にも畏怖し、感謝します。

 古代人は現代人と比べて直観力に於いて優れていたのではあるまいか。

 空はどうして青色なのか、これを説明出来る人はそう多くは無いでしょう。太陽光は白色ですし暗闇は黒色ですから空の色は真っ白か真っ黒でも良い筈なのにどうして青色なのか。これをV・F・ワイスコップと言う物理学者が説明しています、「空気の分子は、太陽光に照らされた時に放射を出す。この現象はレイリー散乱として知られている」、「我々はいつでも、空気の分子が太陽光に照らされたとき放射する光を見ている。散乱された光は主として青い光である」、「振動数の大きい光が小さい光よりもっとずっと強く再放射されるからである」。つまり太陽光が空気の分子に衝突し、空気の分子は振動数の大きい青色の光を放射し、それを私達が見ていると言う訳です。

 それでは雲はどうして白色なのでしょうか。ワイスコップは説明します、「入射する太陽光が水滴の表面 で反射されるときにはスペクトルの構成は変わらない」、「結果として、反射光の強度は振動数に依存しない。したがって雲は白い」。雲の色は太陽光の色、つまり白色だと言う事ですね。

 でも、こう言う事は一握りの学者が証明した事であって、私達一般人がこれを理解している訳ではありません。私達は私達の環境世界について「既に分かっている事」として、それを意識から削除して生活しています。丁度、PCやインターネットの理屈は分からないのに、たまたま操作出来る為にそれを意識から削除して使っているのと同じですね。

 1度、予断を持たずに環境世界を眺めて見ますと、それは私達に新鮮な驚きを与えてくれる筈です。

 幼い幼稚園児だった私が幼稚園から家へ帰る途中、空は雨上がりの晴天でした。道のあちこちに水溜りが有って、私が水溜りを覗き込みますと、白い雲とその向こうの空が見えます。水溜りに足を踏み込むと遠い雲の向こうまで自分が落ちて行くのではないかと恐怖した私の足はすくみました。

 あれからもう60年。

 雑誌でピラミッドの記事を読んでいた妻が言います、「古代人の方が現代人よりも余程に優秀だったのじゃないかしら」。直観力に於いては古代人の方が現代人よりも優れていて、私達よりもずっと神に近かったのは間違い無いようです。これを原始力とでも呼びましょうか。