1日セールスマン作戦

 会社では1日セールスマン作戦という行事が有って、1年のうち1日だけ会社の全社員が酒販店さんを訪問して仕事のお手伝いをするというものでした。そもそも私達営業部員は毎日がセールスマンなので1日セールスマンと言っても違和感が有りましたが、会社の行事ともなれば是も非も無い事です。

 この行事はビールの繁忙期に入る梅雨明け頃に有りましたが、私は新宿の業務用酒販店のお手伝いに行くことになりました。会社のネーム入りのお揃いのブルーの半袖シャツを着た私は朝一で酒販店へ行きました。先方の社長さんにご挨拶をしますと、社長さんは「丁度良かった、今日は社員が2人も休んでいるので助かるよ」と言われます。嫌な予感です。

 色々手伝ってお昼を過ぎた頃に、番頭格の従業員が私に「K社のデポへ行って樽生ビールを引き取って来て欲しい」と言いました。その頃ビール業界ではシェアがダントツだったK社は銀行よりも固い商売をしていました。相手がどんなに大きな酒販店でも厳しい条件が有ります。先ず、空樽を持参する事。持参した空樽の数だけ樽生ビールを分けてくれます。次に、小切手を持参する事。手形では有りません。これなら取りっぱぐれが有りませんね。私はこの酒販店の小切手と2tトラックのキーを渡されました。トラックの近くの柱の脇には6本の空樽が有りました。

 明治通りを真っすぐ原宿へ向かって行くと原宿の手前の左側にK社のデポが有ると言います。私は空樽をトラックに積んでトラックの運転席に座りました。ところが、いくらキーを回してもエンジンが掛かりません。トラックはディーゼルエンジンでした。私はトラックを降りてディーゼルエンジンの掛け方を聞きに行きました。

 エンジンを掛けて酒販店の地下倉庫から通りを右へ出て、しばらく走ると明治通りの交差点です。交差点を右折して明治通りを原宿へ向けて走りました。ところがどうでしょう、トラックを発進させると積荷の空樽が荷台の後ろへガラガラと音を立てて転がります。赤信号で停止しますと今度は前方へガラガラガラ。

 トラックは靖国通りの大きな交差点で赤信号に引っ掛かりました。空樽がガラガラと大きな音を立てます。信号が青に変わってトラックを発進させますと今度は後ろへガラガラガラ。交差点の警察官が私を睨みつつも、どうしたものかと迷っています。私は思い切り靖国通りを走り抜けました。キャーハハハ。

 トラックが原宿に近づくと左手にK社のデポが見えました。私は大きく左にハンドルを切ってデポに入り、今度は右へハンドルを切ってトラックをUターンさせ、次にバックしてデポの荷捌き場にトラックの荷台を着けたのですが、如何せん、トラックの運転に不慣れな為、トラックを斜めに着けてしまいました。構うものか。

 不審な顔をして出てきたK社の作業員に私は小切手を差し出しましたが、私のシャツの胸にはうちの会社のネームが有ります。作業員は益々不審な顔をして受け取った小切手を表にしたり裏にしたりしましたが、小切手に不備は有りません。私は首尾よく6本の樽生ビールをトラックの荷台に積んで貰い、やって来た道を酒販店へ向かって戻りました。帰りは樽が空では無いので樽が転がる事も無く、それ程騒音も出さずに運転出来ました。

 日も暮れて私はお手伝いの仕事を終わり、所属する新宿の営業所に戻りました。営業所では所長が部下全員の帰還を待ち侘びていました。所長が私に「どやった?」と聞きますので私は「いやあ、大変な目に遭いましたよ」と事の次第を話しました。すると所長が言います、「バカモン、お前はお得意先の車を運転したらいかんという規則を知らんのか!」。

 聞いてないよー。