耽溺のベリーダンス

 パムッカレの石灰棚温泉観光をした私達は、同じパムッカレのホテルに宿泊しました。チェックインの際に添乗員の女性が部屋のキーと一緒にメモを渡してくれます。メモには、今夜9時からホテルの2階のバーで1ドリンク頼むとベリーダンスショウが見られますよと書いてあります。こんな所でベリーダンスを見られるとは思ってもいなかった私は、これは運が良いぞと思いました。このツアーではトルコ最後の夜にベリーダンスディナーショウが予定されていますが、恐らくは大きな劇場レストランでのショウだから、ダンサーは遠くから小さくしか見えないだろうと思っていました。このホテルのバーならそれはフロアショウですから、間近にベリーダンスを見る事が出来る筈です。

 私達がチェックインします時に、私達とは別の日本人ツアーも2組程チェックインしていましたし、勿論ドイツ人達もチェックインしていますからホテルは満室です。私は2階のバーが満杯になっている様子を想像し、妻をせかせて8時半にバーを覗いて見ました。バーのテーブルは40席程有りました。フロアの男がやって来てバーは9時からだと言いますので、私は席に着いていても良いかと訊ねました。男がご自由にと言いますので、私達夫婦は「きっとここがダンススペースだよ」と言いながら、恐らくはダンサーの正面になると思われるテーブルを確保しました。そしてそうこうするうちにボツボツと客が入って来ます。老夫婦や親子連れ、そして女性同士の客も目立ちます。私達の左前方にはソファー席が有り、そこには8人位のドイツ人達が陣取りました。キーボードを弾きながら流行の歌を歌っていた男性が演奏を終えて音楽をテープに切り替えるとショウの始まりです。

 現れたダンサーは金髪をショートカットにした小柄で若く綺麗な女性で、どう見ても西洋人にしか見えません。私は1970年に一緒に九州旅行をしたベルギー人のビー(ベアトリス・アドリアエンス)を思い出しました。ダンサーの衣装はオレンジに黄色をあしらったものでしたが、小柄な彼女には着けているブラジャーが大き過ぎると思いました。スカートの腰の位置も高く、あと8センチ位は下げても良いのにと残念です。

 最初の曲はスピンです。小振りのヴェールの付いた2枚の扇を手にした彼女がくるくると回りますと、2枚のヴェールは彼女の頭上で炎のようにゆらめきます。

 2曲目になると、彼女は色々なベリーダンスの技を披露します。シミー(腰を細かく振動させる技。足はベタ足にして両膝を前後させる)、アンデュレーション(お腹を波打たせる技)、4ポイントロックス(腰を前後左右に振って四角形を描き、角毎にアクセントを付ける技)、チューチューシミー(爪先立ちでフロアを動き回るシミー)等を次々に上手に踊って見せます。しかし、彼女の若さのせいか、私は彼女に妖艶さは感じませんでした。私はデビューした頃のマドンナの体操ダンスを思い出しました。

 2曲目が終わると彼女は手近なテーブルから男性4人をフロアへ引っ張り出します。ドイツ人と日本人2人ずつで、私も加わりました。彼女は1人ずつを相手に余興を始めます。最初は私で、彼女の動きを真似るように言われました。彼女は最初に初歩的なヒップドロップ(片方の腰を突き上げてストンと落とす技。これでお尻を上下に振っているように見える)をやって見せます。これが案外に難しく、どうもうまくいきません。段々と技が難しくなって、いよいよシミー(腰を細かく振動させる技)です。私は足をベタ足にして両膝を出来るだけ速く前後させようとしましたが、日頃全く運動をしていない私にはとんでもない事でした。アンデュレーション(お腹を波打たせる技)もさっぱりでした。私に続く3人のおじさん達もほとんど棒立ち状態でバーの雰囲気を和ませます。最後に私達5人は横1列に手を繋いで一緒にお客さん達へおじぎをしました。私はダンサーと胸の前で合掌して挨拶を交わし、テーブルに戻りました。

 今度は女性達の番です。彼女に選ばれた4人の中に私の妻も居ました。妻は若い時からママさんバレーをやっており、また近年にはリズム体操というのをやっていました。運動神経が違います。4人の女性達の中では妻が1番上手に踊りました。

 余興が終わるとダンサーは各テーブルを回って客の前で踊って見せてチップを求めます。最初に彼女は現地の青年の前で踊って見せ、青年は彼女のスカートの腰にチップの10リラ紙幣(600円)を挟みます。これはサクラですね。チップのあげ方を教えて見せるのです。彼女はあちこちのテーブルを回って、やがて私の所へ来て目の前で腰を振って見せます。私が10リラの紙幣をさし伸ばしますと、彼女はスカートの腰のおへその下あたりに挟めと合図をします。私はそうしました。

 あとで妻から聞いたのですが、ダンサーは貰ったチップを素早く腰から抜いてブラジャーの中に押し込んでいたそうです。折角貰ったチップを落とさない為ですね。そして腰には1枚だけ紙幣を残していたと言います。これはチップを挟む場所を教える為です。女性の見る目は違いますね。私はぼーっとダンサーに見とれているだけで、その動作には全く気付きませんでした。

 私のあと、ダンサーはソファー席のドイツ人達の所へ行って踊って見せましたが、ドイツ人達はチップをあげませんでした。ドイツ人は野暮ですね。チップを貰い終えたダンサーはフロアから消え、私達夫婦は「良かったね」と語り合いながら部屋に戻りました。

 エジプトからイスタンブールへ戻ったトルコ旅行最後の夜、私達はバスでヨーロッパサイドの旧市街のホテルから新市街へ向かいました。ベリーダンスディナーショウを見る為です。イスタンブールインという店に入りますと、それは大変大きな劇場レストランでした。正面に舞台が有り、舞台に向かって長いテーブルが前後左右に3列ずつ、合計9台のテーブルが用意されています。私達のテーブルは舞台に向かって2列目(真ん中)の左側のテーブルでした。私達夫婦はテーブルの1番前の外側の席を確保しました。舞台を見上げて見ますと舞台の右側と左側に食事用の普通サイズのテーブルが3台ずつ並んでいます。これは特等席ですね。間近にベリーダンスを見られる値段の高いテーブルなのでしょう。ざっと数えても客席は全部で200以上は有りました。

 それだけでお腹一杯になりそうな前菜、そしてそれよりももっとボリュームの有るメインディッシュ、そしてこれまた大きなスイーツが出て来ます。これを全部平らげた私に妻は驚いていました。そしてショウの始まりです。

 民族舞踊や男性2人のこっけいな踊りを間に挟んでベリーダンスは3度有ります。最初に登場したのは漆黒の長い髪と漆黒の睫毛(まつげ)が印象的なピンクの衣装のダンサーです。妻がベリーダンス・スーパースターズのソニアに顔が似ていると言います。ベリーダンス・スーパースターズはアメリカで結成されたアメリカ人ダンサーのグループで、ソニアはその中の花形ダンサーです。私は舞台上のダンサーをブラックソニアと名付けました。ベリーダンスのダンサーとしては身体の細過ぎるブラックソニアが踊りを始めます。ベリーダンスでは背中を客に向けて腰を振って見せる事も有りますがこれはスパイス的なもので、全体としては客に向かって踊ります。ところがこのブラックソニアは随分長い間背中を客に向けて腰を振って見せます。ベリーダンスと言うよりヒップダンスでしたが、なかなかにダイナミックな踊りで、細い身体が大きく見える程でした。

 2番目に登場したダンサーは、大変なグラマーでした。昔「恐竜100万年」というSF映画にラクウェル・ウェルチというグラマー女優が出ていましたが、そのラクウェル・ウェルチにそっくりです。ラクウェル・ウェルチと言っても御存知無い方も多いと思いますので、ここではアマゾネスとでも呼んでおきましょう。衣装は黄金色に紺のドットが入ったものでしたが、なにしろ露出度が凄い。スカートは着けておらず、ビキニパンツの前後の腰のあたりからフワッとした黄色い布が足首まで下がっています。靴はピンヒールです。バストが大変に大きく、大きなバストを支えるブラジャーが小さいので、踊っている間に乳首が飛び出してしまうのではないかと心配させてくれる程です。バストがあまりに大きいので、私は「これはフェイク(インチキ)ではないか」と疑いました。

 アマゾネスが踊っている間、私は妻に「シミー(腰を細かく振動させる技)が少しゆっくりだよ」とか「まだアンデュレーション(お腹を波打たせる技)をやっていないね」とか勝手に解説をしていました。そうしたら、どうした事でしょう。

 曲が終わるとアマゾネスは観客席を一通り見渡したあと、私に目を合わせるのです。「まさか僕では」と後ろを振り向いて向き直った私が自分を指差して「僕?」という顔をしますとアマゾネスはうなずいて、舞台へ上がって来いと合図します。なんてこったい。

 舞台に上がってアマゾネスに向かって立ちますと、私の目の前に大きなバストが有ります。間近に見ますとそれは決してフェイク(インチキ)では無く、水滴をも弾き返すような見事な曲線です。私がバストに見とれていますとアマゾネスは私の顎(あご)の下に右手の人差し指を添え、クイッと押し上げます。「胸ばかり見ていないで私の顔を見なさいよ」と言ったアマゾネスは凄い訛りの英語で「一緒に踊るのよ」と続けます。私は「うん、分かったよ」と答えました。

 先ずは簡単なヒップドロップ(片方の腰を突き上げてストンと落とす技)です。パムッカレのバーで練習した甲斐が有って、何とか付いて行けそうです。するとアマゾネスは難度を上げて、片方の腰を前へ突き上げて落とすヒップドロップをやって見せます。これも何とかクリア出来たようです。アマゾネスはどんどん難度を上げ、ついにシミー(腰を細かく振動させる技)をやって見せます。「シミーはベタ足で両膝を前後させるんだ」と自分に言い聞かせた私は、自分のペースで両膝を前後させて見ました。するとここで観客席がどっと沸きました。恐らくは観客の大半を占めるアラブの人達は、シミーは腰を振るのでは無く両膝を前後させるのだと知っているのでしょう。それを日本からやって来た爺さんがやろうとするので驚いたのでしょう。良い気分です。

 それからアマゾネスに付いて舞台を一回りしますと、アマゾネスは舞台の中央で止まり、両膝を床に着けて膝立ちをし、両膝を少し開いてお尻を床に落とし、身体を反り返らせて背中と頭を床に着け、伸ばした両腕の手首を絡ませます。私はこの時、勘違いをしました。アマゾネスが反り返る方へ自分の身体を寄せようとして、危うくアマゾネスに覆いかぶさりそうになったのです。慌てたアマゾネスは急いで身体を起こし、「違う、違う」と文句を言います。「そうか、僕も反り返るんだね」と私が言うとアマゾネスは「そうだ」と言ってもう1度やり直します。私は昔、ヨガでこれに似たポーズをやった事があったので、恐れる気持ちも無く挑戦出来ました。観客席は拍手喝采です。

 アマゾネスとの余興が終わるとアマゾネスは右の頬にキスしろと言い、私はしました。左の頬にもキスをさせてアマゾネスは私を舞台から解放してくれました。

 テーブルに戻って私がほっとしていますと、私達の前のテーブルに居るアラフォーの西洋顔のアラブ女性が右手を伸ばして私のテーブルに置き、「ハン!ハン!」と言います。彼女の手の前に何かを置けと言っているのかと戸惑っていますと、女性は私に握手を求めているのでした。そして今度はアラサーの西洋顔のアラブ女性が私の所へやって来て握手を求め、「ユー アール ナンブル ワン イン ディス プレイス」と言ってくれます。握手を求められて褒められる等経験した事が無かったので、大変に良い気分でした。

 ややあって興奮と余韻の残っている私達にホテルへ戻る時間が来ました。私達は大満足でお店を出ました。同じツアーの人達も、沢山の観客の中からうちの選手が舞台に上がったので嬉しかったと言ってくれます。

 さて、ここまで長々とトルコ旅行記を書いてしまいましたが、トルコは大変に魅力的な国でした。トルコ語と日本語の文法は同じだそうで、皆さん器用に日本語を話しますし(但し突っ込んだ会話は出来ない)、パンは美味しいし、イスタンブール旧市街を囲むローマ時代の城壁に有るチャイハナ(茶店)も良かったし、ガラタ橋で食べた鯖(さば)サンドも美味しかった。思い出は尽きませんが、皆さんも海外旅行を計画される時には、是非トルコを検討される事をお勧めします。