中村天風
中村天風述、日本経営合理化協会出版局刊の「成功の実現」という本が私の本棚にありました。1988年10月31日発行とありますので、私が先の妻のお葬式を出したあとで買ったもののようです。先の妻は1989年の1月に亡くなっていますので、お葬式の後で買いはしたものの、とてもとても本を読もうなどという気にもなれず、そのまま本棚に入っていたようです。この本を見て驚くのはその値段の高さです。なんと9800円もするのです。あまりに高い本なので、「これは限定出版だ、今買っておかないと買えなくなってしまう」と思って買ったのかもしれません。
この本、題名が良くありません。「成功の実現」ですから、経営者向けの心構えや、経営者として知っておくべき教養的な知識が書いてあるものだとばかり思っていました。例えば安岡正篤ですね。安岡正篤は教養の人です。主に中国の思想の知識ですが、大変なものを持っていて、読者に色々な知識を与えてくれます。ところが、安岡正篤が「教養の人」であるのに対し、中村天風は「智恵の人」です。この人は1968年つまり私が大学4年生のときに92才で亡くなっていますので、なにかしら因縁を感じさせられます。
この人は日清・日露の戦争では軍事探偵として活躍をし、その間に何人もの人を斬っていて、「人斬り天風」と呼ばれたそうです。活躍はしましたがその間に体も壊し、怪我ばかりでなく重度の結核にもかかっています。結核といえば当時は不治の病です。ここで天風は人間としての救いの道を求めてアメリカに渡り、有名な人に会って教えを乞うのですが満足な答えを貰えません。そこで彼はヨーロッパへ渡り、当時有名だった人達に次々に教えを乞うのですが、やはり心に響く教えは得られません。
いよいよ観念した天風は、「ならば日本に帰って潔く死のう」との考えに至り、ヨーロッパから日本へ向かう貨物船に乗り込みます。病状がひどくほとんど寝たきりの天風の乗った船はエジプトのカイロに停泊します。そこで親切な船員が「なにか食べないとよくない」と言って天風を無理に食堂へ連れて行くのですが、天風はそこでインド人のヨガの先生に出会うのです。先生が「私についておいで」と言うので天風は先生についてインドへ行くことになります。
インドではほとんどジャングルのようなところで先生は非常に直接的な問答を天風に与えます。
「お前は体が痛いと言って嘆いているが、痛いと思っているのは誰だね?」
「体が痛いと思う訳もなく、思っているのは私の心です」
「今、私の心と言ったが、その私とは誰だね?」
「分かりません」
そういった問答を繰り返していくうちに、天風はやっと思い至ります。「私とは体でもなく、心でもなく、私の芯をなすある種の気体だ。そしてその気体は永遠不滅で時間や空間の制約を受けない。これまで私は死ぬのが怖いと思っていたが、私の本質は永遠不滅なのだから、なにも心配することはないのだ」。
先生は「君は大変な病気をして、よかったね」と言います。天風が「どうしてですか?」と聞くと先生は「病気でもしなかったら君は人間とは何かなど考えもしなかっただろうから」と答えます。ある日天風が屋外で黙想していますと、天風の膝に触るものがあります。天風が目を開けると、それは一匹の豹でした。天風が怖いと思う間もなく、豹は悠然と天風から離れて行きました。天風、解脱の瞬間です。
天風が「私とは何か」を会得すると、彼の病気や怪我は嘘のように治ってしまいました。そうした経験の後天風は日本に帰り、有名な会社の社長や役員をやったのですが、1914年(大正8年)43才のときに天風は一切の社会的な役割を捨てて、上野あたりで辻説法をはじめます。「皆さんは自分が何者か分かっていないから取り越し苦労や持ち越し苦労をするんですよ、ようく考えてごらんなさい」。そして政界や財界の人達が、「この人は辻説法をさせておく人ではない」と「有志の会」を立ち上げて、立派な会場で講話をしてもらうことになったのです。その講話はそれから50年近くも続きました。
私が思うのに、この中村天風という人は日本に初めてヨガの教えを持ち込んだ人です。中村天風の偉いところは、一般の人達を前にお話をするときに、ヨガの思想の専門用語を一切使わないことです。その語り口は、まるで私が大好きな漫画家の杉浦茂のようにざっくばらんで、暖かく、しかもシュールです。私はこのブログでヨガの思想を、ヨガの専門用語を使ってお話していますが、そういうのは苦手だよとおっしゃる方は1度中村天風をお読みになることをお勧めします。きっとなにかしら得るところがありますよ。
注)中村天風は人間の本質を「気体」だと言っていますが、それは方便だと思います。人間の本質であるアートマン(真我)は固体でも液体でも気体でも有りません。物質ではありません。皆さんも心臓のあたりに意識を集中していれば、いつの日か「それ」を見る日が来るかもしれませんよ。
中村天風述、日本経営合理化協会出版局刊の「成功の実現」という本が私の本棚にありました。1988年10月31日発行とありますので、私が先の妻のお葬式を出したあとで買ったもののようです。先の妻は1989年の1月に亡くなっていますので、お葬式の後で買いはしたものの、とてもとても本を読もうなどという気にもなれず、そのまま本棚に入っていたようです。この本を見て驚くのはその値段の高さです。なんと9800円もするのです。あまりに高い本なので、「これは限定出版だ、今買っておかないと買えなくなってしまう」と思って買ったのかもしれません。
この本、題名が良くありません。「成功の実現」ですから、経営者向けの心構えや、経営者として知っておくべき教養的な知識が書いてあるものだとばかり思っていました。例えば安岡正篤ですね。安岡正篤は教養の人です。主に中国の思想の知識ですが、大変なものを持っていて、読者に色々な知識を与えてくれます。ところが、安岡正篤が「教養の人」であるのに対し、中村天風は「智恵の人」です。この人は1968年つまり私が大学4年生のときに92才で亡くなっていますので、なにかしら因縁を感じさせられます。
この人は日清・日露の戦争では軍事探偵として活躍をし、その間に何人もの人を斬っていて、「人斬り天風」と呼ばれたそうです。活躍はしましたがその間に体も壊し、怪我ばかりでなく重度の結核にもかかっています。結核といえば当時は不治の病です。ここで天風は人間としての救いの道を求めてアメリカに渡り、有名な人に会って教えを乞うのですが満足な答えを貰えません。そこで彼はヨーロッパへ渡り、当時有名だった人達に次々に教えを乞うのですが、やはり心に響く教えは得られません。
いよいよ観念した天風は、「ならば日本に帰って潔く死のう」との考えに至り、ヨーロッパから日本へ向かう貨物船に乗り込みます。病状がひどくほとんど寝たきりの天風の乗った船はエジプトのカイロに停泊します。そこで親切な船員が「なにか食べないとよくない」と言って天風を無理に食堂へ連れて行くのですが、天風はそこでインド人のヨガの先生に出会うのです。先生が「私についておいで」と言うので天風は先生についてインドへ行くことになります。
インドではほとんどジャングルのようなところで先生は非常に直接的な問答を天風に与えます。
「お前は体が痛いと言って嘆いているが、痛いと思っているのは誰だね?」
「体が痛いと思う訳もなく、思っているのは私の心です」
「今、私の心と言ったが、その私とは誰だね?」
「分かりません」
そういった問答を繰り返していくうちに、天風はやっと思い至ります。「私とは体でもなく、心でもなく、私の芯をなすある種の気体だ。そしてその気体は永遠不滅で時間や空間の制約を受けない。これまで私は死ぬのが怖いと思っていたが、私の本質は永遠不滅なのだから、なにも心配することはないのだ」。
先生は「君は大変な病気をして、よかったね」と言います。天風が「どうしてですか?」と聞くと先生は「病気でもしなかったら君は人間とは何かなど考えもしなかっただろうから」と答えます。ある日天風が屋外で黙想していますと、天風の膝に触るものがあります。天風が目を開けると、それは一匹の豹でした。天風が怖いと思う間もなく、豹は悠然と天風から離れて行きました。天風、解脱の瞬間です。
天風が「私とは何か」を会得すると、彼の病気や怪我は嘘のように治ってしまいました。そうした経験の後天風は日本に帰り、有名な会社の社長や役員をやったのですが、1914年(大正8年)43才のときに天風は一切の社会的な役割を捨てて、上野あたりで辻説法をはじめます。「皆さんは自分が何者か分かっていないから取り越し苦労や持ち越し苦労をするんですよ、ようく考えてごらんなさい」。そして政界や財界の人達が、「この人は辻説法をさせておく人ではない」と「有志の会」を立ち上げて、立派な会場で講話をしてもらうことになったのです。その講話はそれから50年近くも続きました。
私が思うのに、この中村天風という人は日本に初めてヨガの教えを持ち込んだ人です。中村天風の偉いところは、一般の人達を前にお話をするときに、ヨガの思想の専門用語を一切使わないことです。その語り口は、まるで私が大好きな漫画家の杉浦茂のようにざっくばらんで、暖かく、しかもシュールです。私はこのブログでヨガの思想を、ヨガの専門用語を使ってお話していますが、そういうのは苦手だよとおっしゃる方は1度中村天風をお読みになることをお勧めします。きっとなにかしら得るところがありますよ。
注)中村天風は人間の本質を「気体」だと言っていますが、それは方便だと思います。人間の本質であるアートマン(真我)は固体でも液体でも気体でも有りません。物質ではありません。皆さんも心臓のあたりに意識を集中していれば、いつの日か「それ」を見る日が来るかもしれませんよ。