シティボーイ
私は大学に入るとMSと友達になりました。MSは東京生まれの東京育ち、家は成城学園にあるのですから完璧なシティボーイです。私は東京に出てきて早くシティボーイになりたかったので、MSのファッションを真似、よく一緒に行動し、彼の家にもちょくちょく泊まりに行きました。彼の母上は大変親切な方で、私を息子の友人として大切にもてなしてくれました。彼には弟がいて、弟がピンナップガールの写真つきの雑誌を持っていると、「おまえには10年早いよ」と言ってはMSが取り上げたものです。
成城学園には三船敏郎の家がありました。1階は喫茶店になっていて、当時の奥様がお店をなさっていました。MSと私がその喫茶店に入って奥様にコーヒーを注文していると、お店の奥には三船敏郎がいて、その隣にはアメリカのアクションスターのリー・マーヴィンが腰掛けています。2人はこれから撮る映画の打合せをしているようでしたが、三船敏郎は「ワッハッハッハ、さっぱり分からん」と、なかなかに豪快です。こういう経験も成城学園ならではですね。
MSは心優しい良い奴なのですが、ひとつだけ、子分を連れて歩きたがるところがありました。ですから私はMSの子分にだけはならないように注意していました。私達は大学のクラブの仲間とお酒を飲んだり、小旅行をしたり、自由な大学生活を満喫しました。そうそう、星由里子が乳房を露にするというので話題になった映画をMSと観に行きましたっけ。
私達が大学4年生になって就職活動を始めようというとき、私がMSの父上に、「自分は自分が何をやりたいのか分からないのです」と言いますと父上に「大学4年にもなって、バカモンが」と怒られてしまいました。結局私は洋酒メーカーに、MSは広告代理店に就職し、それからも私達は友達でした。ただ、そのころには私は、「シティボーイはつまらん、田舎者のほうがよっぽどいい」という確信を持っていました。
会社員になって収入も得るようになり、MSはあるバーの常連になっていました。そのバーではまだ若いマスターがギターを弾いては「金太の大冒険」というコミカルな歌を歌い、マスターの妹さんがフロアのお世話をしていました。マスターの妹さんはなかなかの美人でした。
ある時、MSは私に相談があると言います。MSの行きつけのバーの、あのマスターの妹さんから「結婚してくれないか」と言われたんだが、どうしたものだろうかと言うのです。私は「お互いが好きだったらいいんだけど」と話を肯定したあとに続けます。「あの人はもう夜の世界の楽しさを知っているから、結婚してしばらくすると専業主婦に飽きてくるんじゃないか。あの人は又夜の仕事を始めたいって言い出すよ。お前がそれでいいんなら結婚するのもいいけど、お前はあの人には専業主婦になって欲しいんだろ?それだったら結婚は止めておいた方がいいんじゃないか」と私の考えを言いました。
一呼吸ついてMSは私に「有難う」と言いました。彼が会社で何人かの友達に相談すると、みんな口を揃えて「そうか、良かったな、おめでとう」としか言ってくれなかったのだそうです。結局MSはその人とは結婚しませんでした。その後、MSは社内結婚をしたのですが、結婚式のパーティーにはあのMS行きつけのバーの面々も来ていて、ギターや歌で会場を盛り上げていました。もちろん、マスターの妹さんもいます。「こういうのをシティボーイと言うのか」、私はなんともやりきれない気持でした。
それからしばらくして、今度は私が婚約をしました。私はこれから私の妻になる人をMSに紹介しておこうと思ってMSにその趣旨を伝え、ある日の夕方に銀座4丁目で会う約束をしました。ところが私と婚約者とでMSを待っていると、約束の時間になってもMSは現れません。結局約束の時間の30分後にMSは現れました。「遅いじゃないか」と私が言うとMSは「そこらへんをぶらぶらしてたんだ」と言います。私が婚 約者を紹介しようという特別の日なのに、失礼な話です。言葉が違うだろうと私は思いましたが、そこで私はMSと争うことはしませんでした。
またまたしばらくして私がMSと2人で飲みました時、MSは得意な顔をして言います、「俺、浮気したんだ」。私が「そうか」と言って黙っているとMSは続けます、「俺、人間が好きだから」。言葉が違うだろう!「だったら今度は60才のおばあちゃんと浮気してこいよ、そうしたらお前が人間が好きだって認めてやるよ」。私の言葉にMSは返事が出来ませんでした。私はもう、こんな男と付き合うのは時間の無駄だと心に決めて、それから一切、MSとは付き合いませんでした。大学時代の友達が、MSがお前のことで戸惑っているよとアドバイスしてくれましたが、私は「いいんだ」と返事しました。
私の先の妻が亡くなった同じ年の4月にMSは他界しました。私が告別式の会場に向かいますと、MSの母上がMSの弟と一緒に会場の前に立っておられました。母上は昔よりもずっと小さくなられ、また痩せておられました。母上と私とが共にお悔やみのご挨拶を交わしました後、母上はMSの弟のことを、「この子はまだ、結婚もしていないんですよ」と私にこぼすかのように力なく言われました。
告別式の開始に当たり、葬儀社の男が「本日の告別式は無宗教にて執り行わせていただきます」と高らかに宣言します。私はそれを、ただただ空しく聞き流していました。MSはいつも大勢の友達に囲まれているように見えましたが、結局のところ本当の友達は1人もいなかった。私はMSの心の奥の孤独を見落としていました。MSが私に虚栄さえ張らなかったら私はずっとMSの友達でいられたのに。
私は大学に入るとMSと友達になりました。MSは東京生まれの東京育ち、家は成城学園にあるのですから完璧なシティボーイです。私は東京に出てきて早くシティボーイになりたかったので、MSのファッションを真似、よく一緒に行動し、彼の家にもちょくちょく泊まりに行きました。彼の母上は大変親切な方で、私を息子の友人として大切にもてなしてくれました。彼には弟がいて、弟がピンナップガールの写真つきの雑誌を持っていると、「おまえには10年早いよ」と言ってはMSが取り上げたものです。
成城学園には三船敏郎の家がありました。1階は喫茶店になっていて、当時の奥様がお店をなさっていました。MSと私がその喫茶店に入って奥様にコーヒーを注文していると、お店の奥には三船敏郎がいて、その隣にはアメリカのアクションスターのリー・マーヴィンが腰掛けています。2人はこれから撮る映画の打合せをしているようでしたが、三船敏郎は「ワッハッハッハ、さっぱり分からん」と、なかなかに豪快です。こういう経験も成城学園ならではですね。
MSは心優しい良い奴なのですが、ひとつだけ、子分を連れて歩きたがるところがありました。ですから私はMSの子分にだけはならないように注意していました。私達は大学のクラブの仲間とお酒を飲んだり、小旅行をしたり、自由な大学生活を満喫しました。そうそう、星由里子が乳房を露にするというので話題になった映画をMSと観に行きましたっけ。
私達が大学4年生になって就職活動を始めようというとき、私がMSの父上に、「自分は自分が何をやりたいのか分からないのです」と言いますと父上に「大学4年にもなって、バカモンが」と怒られてしまいました。結局私は洋酒メーカーに、MSは広告代理店に就職し、それからも私達は友達でした。ただ、そのころには私は、「シティボーイはつまらん、田舎者のほうがよっぽどいい」という確信を持っていました。
会社員になって収入も得るようになり、MSはあるバーの常連になっていました。そのバーではまだ若いマスターがギターを弾いては「金太の大冒険」というコミカルな歌を歌い、マスターの妹さんがフロアのお世話をしていました。マスターの妹さんはなかなかの美人でした。
ある時、MSは私に相談があると言います。MSの行きつけのバーの、あのマスターの妹さんから「結婚してくれないか」と言われたんだが、どうしたものだろうかと言うのです。私は「お互いが好きだったらいいんだけど」と話を肯定したあとに続けます。「あの人はもう夜の世界の楽しさを知っているから、結婚してしばらくすると専業主婦に飽きてくるんじゃないか。あの人は又夜の仕事を始めたいって言い出すよ。お前がそれでいいんなら結婚するのもいいけど、お前はあの人には専業主婦になって欲しいんだろ?それだったら結婚は止めておいた方がいいんじゃないか」と私の考えを言いました。
一呼吸ついてMSは私に「有難う」と言いました。彼が会社で何人かの友達に相談すると、みんな口を揃えて「そうか、良かったな、おめでとう」としか言ってくれなかったのだそうです。結局MSはその人とは結婚しませんでした。その後、MSは社内結婚をしたのですが、結婚式のパーティーにはあのMS行きつけのバーの面々も来ていて、ギターや歌で会場を盛り上げていました。もちろん、マスターの妹さんもいます。「こういうのをシティボーイと言うのか」、私はなんともやりきれない気持でした。
それからしばらくして、今度は私が婚約をしました。私はこれから私の妻になる人をMSに紹介しておこうと思ってMSにその趣旨を伝え、ある日の夕方に銀座4丁目で会う約束をしました。ところが私と婚約者とでMSを待っていると、約束の時間になってもMSは現れません。結局約束の時間の30分後にMSは現れました。「遅いじゃないか」と私が言うとMSは「そこらへんをぶらぶらしてたんだ」と言います。私が婚 約者を紹介しようという特別の日なのに、失礼な話です。言葉が違うだろうと私は思いましたが、そこで私はMSと争うことはしませんでした。
またまたしばらくして私がMSと2人で飲みました時、MSは得意な顔をして言います、「俺、浮気したんだ」。私が「そうか」と言って黙っているとMSは続けます、「俺、人間が好きだから」。言葉が違うだろう!「だったら今度は60才のおばあちゃんと浮気してこいよ、そうしたらお前が人間が好きだって認めてやるよ」。私の言葉にMSは返事が出来ませんでした。私はもう、こんな男と付き合うのは時間の無駄だと心に決めて、それから一切、MSとは付き合いませんでした。大学時代の友達が、MSがお前のことで戸惑っているよとアドバイスしてくれましたが、私は「いいんだ」と返事しました。
私の先の妻が亡くなった同じ年の4月にMSは他界しました。私が告別式の会場に向かいますと、MSの母上がMSの弟と一緒に会場の前に立っておられました。母上は昔よりもずっと小さくなられ、また痩せておられました。母上と私とが共にお悔やみのご挨拶を交わしました後、母上はMSの弟のことを、「この子はまだ、結婚もしていないんですよ」と私にこぼすかのように力なく言われました。
告別式の開始に当たり、葬儀社の男が「本日の告別式は無宗教にて執り行わせていただきます」と高らかに宣言します。私はそれを、ただただ空しく聞き流していました。MSはいつも大勢の友達に囲まれているように見えましたが、結局のところ本当の友達は1人もいなかった。私はMSの心の奥の孤独を見落としていました。MSが私に虚栄さえ張らなかったら私はずっとMSの友達でいられたのに。