神との対話 補足
ダーウィンの進化論については誰もが知っていることと思います。でも、ダーウィンの進化論がどんなものかを理解して、自分なりに評価をするということは、あまりされていないように思います。どうもこれは日本人の特性ではないでしょうか。あいまいなものを、あいまいなまま、放っておくのです。
良い例が「日本仏教」です。「日本仏教」には「インド仏教」とは明らかに違うところがあります。それは「ご先祖様」信仰です。インド仏教のもととなったのは輪廻転生という考えです。人は何度も何度も輪廻転生します。ですから、何度も何度も苦しい人生を繰り返すのです。苦しい人生を繰り返すのが嫌だから、修行をして、輪廻転生の仕組みから解脱したい、そういう思いから仏教は始まったのです。ブッダは輪廻転生の仕組みから解脱したのです。ですから本来、仏教に「ご先祖様」という考えはありません。
日本には仏教の行事として「お盆」や「お彼岸」があります。あの世にいる「ご先祖様」が一斉にこの世に戻ってきます。あの世は「ご先祖様」でスシ詰めです。一方、新しく生まれてくる生命のエネルギーはどこから供給されるのでしょうか。日本仏教の「ご先祖様」信仰と輪廻転生思想とは明らかに矛盾しています。それでも日本仏教ではこの2つの概念を並列に主張するのです。「みんな大人だし、まあ、いいじゃないか」というわけですね。誰も矛盾を追及しません。これはおそらく、日本に仏教が伝わってきたとき、それまであった「ご先祖様」信仰を否定しては仏教の教えそのものが日本の国民から拒否されてしまう、それではまずいと、日本の政府が矛盾する2つの概念を並列に認めてしまったのではないでしょうか。
ひとつの考えを、あいまいなまま放っておかずに直視してみると、案外にストンと見えてくるものです。
ダーウィンの進化論については誰もが知っていることと思います。でも、ダーウィンの進化論がどんなものかを理解して、自分なりに評価をするということは、あまりされていないように思います。どうもこれは日本人の特性ではないでしょうか。あいまいなものを、あいまいなまま、放っておくのです。
良い例が「日本仏教」です。「日本仏教」には「インド仏教」とは明らかに違うところがあります。それは「ご先祖様」信仰です。インド仏教のもととなったのは輪廻転生という考えです。人は何度も何度も輪廻転生します。ですから、何度も何度も苦しい人生を繰り返すのです。苦しい人生を繰り返すのが嫌だから、修行をして、輪廻転生の仕組みから解脱したい、そういう思いから仏教は始まったのです。ブッダは輪廻転生の仕組みから解脱したのです。ですから本来、仏教に「ご先祖様」という考えはありません。
日本には仏教の行事として「お盆」や「お彼岸」があります。あの世にいる「ご先祖様」が一斉にこの世に戻ってきます。あの世は「ご先祖様」でスシ詰めです。一方、新しく生まれてくる生命のエネルギーはどこから供給されるのでしょうか。日本仏教の「ご先祖様」信仰と輪廻転生思想とは明らかに矛盾しています。それでも日本仏教ではこの2つの概念を並列に主張するのです。「みんな大人だし、まあ、いいじゃないか」というわけですね。誰も矛盾を追及しません。これはおそらく、日本に仏教が伝わってきたとき、それまであった「ご先祖様」信仰を否定しては仏教の教えそのものが日本の国民から拒否されてしまう、それではまずいと、日本の政府が矛盾する2つの概念を並列に認めてしまったのではないでしょうか。
ひとつの考えを、あいまいなまま放っておかずに直視してみると、案外にストンと見えてくるものです。