「今」の金太郎飴 補足

 ご質問をいただきました。「仏教の中の無常思想に関係がありますか」。ご指摘のとおりです。

 私達に無常の風が吹いているわけではありません、私達が無常の風なのです。

 私達のまわりで誰かが踊っているのではありません、私達が踊りだすのです。

 ヒンドゥーイズム(インド流の考え)の真髄は「事象は転変する」です。私は若い頃、「神」とはなんだろう、時間のことかな?と考えたことがあります。かなり的を得ていました。時間の本質は「変化」です。「経過」ではありません。そして「変化」こそがこの世界の本質なのです。ですから時間の本質は世界の本質だと言ってもいいでしょう。

 人間が時間を計るのに時計を発明してから、人間は時間の性質について勘違いを始めました。時計の持っている特性を、時間の持っている特性だと思うようになったのです。時計は針が1回転して12時になると一旦リセットされて零時になり、また次の12時間を始めます。時間は連続しているように見えますが、12時間毎にリセットされ、分断されていますね。これは時計の特性であって、時間の特性ではありません。

 世界中の全てのものがリセットされたり分断されたりすることなく変化を続けています。「今」が変化を続けているだけです。「過去」も「現在」も「未来」も、時計が作り出した、偽の概念です。そしてそのキーワードは「分断」です。「過去の今」が変化を続けて「現在の今」となり、「現在の今」が変化を続けて「未来の今」になります。いつも「今」です。「今」が変化を続けているだけです。