ボルネオにて

 ボルネオへ行ってきました。ボルネオといっても、マレーシア、ボルネオ島のコタキナバルという所です。ホテルはコタキナバルから北へバスで30分くらいのところにありました。

 私達はジャングル・クルーズというのに出掛けました。コタキナバルから南へバスで2時間ほど走ると船着場があります。そこで私達はライフジャケットをつけて船外機のついたボートに乗り、別の船着場へ向かいます。そこには2階建ての木造の中型船が待っていて、私達はそれに乗り換えてライフジャケットを脱ぎました。中型船では5人の男性と3人の女性が私達を待っていました。中型船は川の真ん中を進みます。

 私達が船の舳先(へさき)で写真を撮っていると空に虹が出ました。私達が「虹だよ」と言っていると程なく雨がポツリポツリと降り出して、突然それはスコールに変わりました。船員達は透明の雨よけのシートを巻き降ろしますが、スコールと共に突風も吹いてきて、雨よけのシートを吹き上げます。空には稲光(いなびかり)。傘も雨合羽も間に合わないうちに船の中には相当の雨が降りこんできました。

 スコールの中を船が進んでいるとようやく雨も上がって、船員達は雨よけのシートを巻き上げます。するとガイドのワンさんが船の左側の木の枝を指差して皆に言います、「テングザルが見えますよ!」。木々の枝がざわざわと揺れて、そこでは10匹ほどのテングザルが好みの木の葉を食べ始めたようです。スコールで木の葉が濡れると木の葉が食べ易くなり、テングザル達が一斉に食べ始めるのだそうです。

 私達にテングザルがより良く見えるようにと、船は川岸に近づいてくれます。川岸といっても、川岸には無数の木々が川に向かって枝を張っているので、船は接岸というより接樹してしまいました。そうすると船は身動き出来なくなってしまったのです。船は前へ進もうとエンジンを吹かしたり、後へ戻ろうとエンジンを吹かしたりするのですが、エンジンからは青い煙が吹き上がるばかりで、船はどうにも動いてくれません。何度も同じことを繰り返した後に、船外機をつけたボートがやってきて、私達の船をロープで川の真ん中 まで引き戻してくれました。そうやってやっと、私達の船は運航を再開しました。

 日も暮れて私達は船の女性達が作った夕食をいただき、続いて蛍見物へと向かいました。

 ジャングル・クルーズで私が1番驚いたのはテングザルでも蛍でもなく、船員達の態度でした。突然のスコールのときも、また船が接岸ならぬ接樹して身動きが取れなくなったときも、彼らは一貫して穏やかに微笑んでいました。また、誰かが誰かに命令する訳でもありません。彼等はそれぞれ自分のタイミングで動いていました。

 同じことが日本で起こっていたらどうなったでしょうか。おそらく船長は部下達を怒鳴りつけ、部下達はてきぱきと動き回ります。客は船員に「どうなっているのか説明しろ」と要求しますし、船員は無理に笑顔を作って「大丈夫です、問題ありません」と説明に勉めるところです。どうも日本人は相手の弱点をつかまえて相手を責めるのが好きなようです。でも昔から日本人はそうだったのだろうか。

 私はジャングル・クルーズの船員達の態度に、なんとも言いようのない懐かしさを感じていたのです。

 さて、私達が泊まったホテルはリゾート・ホテルで、そこでは自然保護を強調していました。出来るだけ野生のもの、自然のものを大切にしているのです。ガイドのワンさんが「ホテルの庭の水辺にはトカゲがいますよ」と教えてくれたので、私は朝食の後、トカゲを探すことにしました。私はホテルの庭の池に向かいました。岸辺には小さな看板が挿されていて「ウォーター・モニター」と英語で書かれています。ここにはウォーター・モニターというトカゲがいますよということです。

 私は水辺の木や草の根元を丁寧に覗いて回りました。結構大きな池をぐるっと回ってみましたが何も見えません。「やっぱり無理か」とがっかりしていると、ネッシーが湖面に頭を出すように、黒い頭が水面に現れ、それはスーッと岸へ向かって進みます。大きなトカゲが池から芝生へ這い上がってきます。胴体の長さが40㎝くらい、尻尾が60㎝くらい、全部で1mくらいのなかなかのオオトカゲです。

 私がこのオオトカゲをデジカメで追いかけていますと、私の後を通り過ぎていくバギーからホテルの従業員が私に大きな声をかけ、私の左前方を指差します。私がそちらの方に目をやると、そこにはなんと、もっと大きなオオトカゲが日光浴を始めていました。全長が160㎝くらい、つまり私の背丈と同じくらいのやつです。テレビで見たことのあるコモド・ドラゴンを小さくしたような姿をしています。

 私はそのオオトカゲの方へ行き、4m程のところで腰をかがめ、オオトカゲに向かって手招きをして、「おいおい、こっちへおいで」と呼びかけました。オオトカゲは私の手の動きに気がつくと、こちらに向かって悠然とまっすぐに進んできます。オオトカゲがかなり近くまで進んできたので私もすこし怖くなり、間違って手を噛まれてもいけないとその場で立ち上がりました。私が立ち上がるとオオトカゲは私が餌をやるのではないと察知したのか、私の足元1mのところをすり抜けて行きました。

 私が回りに目をやると、池に隣接したオープン・エアのレストランには白人の夫婦がいました。奥さんは怖そうな顔をしていましたが、ご主人はムービー・カメラを持って芝生にやってきてオオトカゲを撮りはじめました。池の向こうを見るともう1匹、1mくらいのオオトカゲが日向ぼっこをしていました。

 こんなことが実際にあるのです。

 もし日本のリゾートホテルでオオトカゲを放し飼いにしていたらどうなるのでしょう。「事故でもあったら誰が責任をとるんだ」でしょうね。ホテルの客には女性も子供もいます。親が目を離した隙に幼い子供がオオトカゲに近寄りすぎて噛まれてしまうかもしれません。結局日本では「安全第一」ということでホテルの庭の片隅に檻をつくり、その中にオオトカゲをいれる。檻は臭くなってお客さんは誰も近づかないので、それでおしまい、なのでしょうね。

 ジャングル・クルーズにしてもホテルのオオトカゲにしても、ボルネオには日本のような「管理」がありませんでした。安らぎと自由の世界です。また、自己責任の世界です。いったい何時から日本には「自己責任」というものが無くなってしまったのでしょうか。

 ボルネオという熱帯雨林地帯の人々や動物や植物がこれからも穏やかな生活をどうか続けてくれと願うばかりです。