ビートルズもいいけれど

 ビートルズの歌は青年の歌です。青年の日々の心の屈託を見事に、言葉に表しています。そしてあの、どこかで聞いたことがあると思わせるメロディーにのせて。

 ビートルズの歌は青年の歌です。たとえばイエスタデイ。

 恋人を失った悲しみ、泣きたいほどの淋しさを彼は歌っているわけではありません。自分を受け入れてもらえなかったことの戸惑い、苦しみを彼は歌っています。それは「自我の主張」です。「自我の主張」こそが青年の青年たるところです。

 60才も過ぎた私にはビートルズの歌では埋め尽くすことの出来ない感情があります。それを歌うのがカントリー。大事な人を失った悲しみ、泣きたいほどの淋しさ、取り返しのつかないことをしてしまった後悔の気持をカントリーは朗々と歌います。そしてそれは心の底に沈んだ悲しみや淋しさや後悔の気持を、たとえば水分を一瞬に気化させるように変質させ解放するのです。

 ビートルズもいいけれど、カントリーはとてもいいですね。年をとってビートルズの高い音でのシャウトができなくなったこともあります。

 私はビートルズとカントリーとでは発声の方法を変えています。ビートルズは口先で、会話をするように歌います。カントリーでは、低い音はのどの奥の低いところから下顎にかけて発声し、高い音はのどの奥の高いところ、ほとんど鼻の奥で発声します。

 とまあ、こんなことを思いながら毎日お風呂でカントリーを歌っているのです。