神との対話

 ダーウィンの進化論。突然変異で生まれた、より環境に適した新しい種が生き残って勢力を伸ばす。そしてその繰り返しでまた新しい種が生まれては栄えてと生物は進化してきたのだという考えなのでしょうが、私、これは間違っていると思います。突発の連続で生物は進化するでしょうか。生物の意思を無視してはいけません。

 蛋白質が生命となったとき、それは先ず、個になりました。個となった1個の細胞は自力で動きたいと思って、複数の細胞の集合になりました。プランクトンはより速く動きたいと思ってクラゲなどの軟体動物になり、そして、骨格を持つ魚になりました。魚は、水が干上がったときに陸上でも生きたいと思って両生類になったのですが、産卵による繁殖は水の中でしかできないので、水場を離れて生活することができません。そこで、卵の殻を硬くしてその中に水を蓄えられれば陸上での繁殖も可能だと気付き、皮膚も強くして、両生類は爬虫類へと進化したのです。爬虫類は自分の体温を日光、つまり太陽の熱まかせにしていたのですが、一定の体温を持っていつでも活動できるといいなと思って哺乳類になりました。一方、空を飛びたくなって鳥類になったのです。

 進化をこのように考えてみると、そこには生物の意思や希望があり、そしてそれを叶える神がある。つまり、生物と神との対話があって始めて生物の進化はあったのです。

 求めよ、そうすれば与えられる。探せ、そうすれば見出す。叩け、そうすれば開かれる。求める人は受け、探す人は見出し、叩く人は開かれる。あなたたちの中で、自分の子がパンを欲しがっているのに石をやり、魚を欲しがっているのに蛇をやる人があるだろうか。悪い人間であるあなたたちさえ、子どもによいものを与えることを知っている。ましてや、天においでになるあなたたちの父が、求める人によいものを下さらないわけはない。(マタイ第7章)

 そうすると人間は、何の理由で、また何を求めて人間になったのでしょうか。神を知りたくなったから人間になったのだと私は思うのです。神から始まって進化を続けてきた生物が再びまた神へ戻っていく有様が、ちょうど輪を描くように繋がっていく様子が見えてくるのです。