2月の道場のzoom会は「カルマについて」だったの。
 

年明けのグルコンの際の質疑応答でカルマについて聞かれたことがきっかけ。
この時は特に「家系のカルマ」について。

 

カルマだけでも何時間も話せるから、
次時間を取って続きをやります!となって2月にも実現したの。

カルマ系はつい白熱しがちw

 

さて。

 

 

カルマとは?

 

カルマとは「行い」と言われますが、
 

「カルマ(業)」は単純に“良いことをすれば良い結果、
悪いことをすれば悪い結果”

というそんな簡単な道徳的な話ではありません。


本来は 「行為が宇宙の秩序の中でどのように因果連鎖を生むか」という、
かなり深い存在論・宇宙論の概念でもあります。

 

しかも面白いのは、同じ“カルマ”でも
インド思想・仏教・日本思想・神智学・他さまざま…で解釈がところどころ違う


 

  インド思想(ヴェーダ・ウパニシャッド)におけるカルマ

 

 

カルマ(Karma)はサンスクリット語で

行う・つくるから来ており、意味は「行為」「行為の痕跡」

 

 

カルマの三分類+α

インド哲学ではカルマは主に3種類。

 

①サンチッタ・カルマ/過去生から蓄積されたカルマ

②プララブダ・カルマ/今生(今世)で発現しているカルマ:現在の生(今生)で経験し取り組まなければならないカルマ
③クリヤマナ・カルマ/今生で新しく作られるカルマ:自分の意志で自由に作れるカルマ、避けることのできるカルマ

補足として
④アーガミ・カルマ/来世のカルマ(持ち越し) 

 

 

zoom講義では②と③について主にお話しし、
①が②の「縁起」に繋がってる話なども展開。

特にについては、唯一「自由意志」が働く領域で、人生が大きく変わるきっかけになり得るのも③への働きかけ。
「意識的に生きる」ということも含め③に繋がるので、私の発信・講義・セッションの根底にあったりします。

 

 

 

  アーユルヴェーダやヨガ哲学における「結果と原因の法則」


チャクラも一部ではこの概念に値するのだが
アーユルヴェーダやヨガ哲学では、大前提に
カルマ=罰ではない。

カルマとはシンプルに
原因が結果を生む宇宙の法則として捉えるのです。
(私たちの行為・そこに宿る意志や意図の一つ一つはえねるぎーを生み、同等の結果としてかえってくる)

 

 

インドの古い言葉・サンスクリット語で
カルマ=行為、であるのは確かだけど
ここでいう行為は3つあって

①行動:身体の行動
②言葉:発言・コミュニケーション
③思考:思ってること・意図

つまり
考えたことすらカルマになる真顔

だからヨガでは
意識(チッタ)の質が非常に重要になるのである。

 

 

※ 医学としてのアーユルヴェーダという観点では
食事・生活といったドーシャ起因の結果もカルマに関係はしているが
(例えば食事や生活習慣によって引き起こされる病気など)

これも冒頭のカルマの分類で言うと③に値するから
意識的に対処していける領域だよね。


だけど、やはりより大きなエネルギー的な観点で見ると
人生に多大な影響をもたらしているのは
多くの人がスルーしがち(知らない)のは

ドーシャ起因よりも大元のカルマ起因の方なのだが。
どれだけ整えてる生活や食事をしていても大病を患う人がいるのは
なんでだろう?っていうと、そこだったりする。
(もちろん本当に自分のエネルギーにマッチした生活や食事か?の疑念も拭えないのだけど)
※何度も言うけどそっち系の話をzoom講義で話した。

 

 

  原因→結果の連鎖

 

余談だが、

一つの行為

エネルギーが生まれる

結果としてもどる

 

=人生(目の前の現実)は原因の連鎖

 


例)
 

怒る

怒りのエネルギーを生む

首位の関係性や出来事として戻る


怒る

の繰り返しなのだ。

 

 

だから、その連鎖の「鎖」に気づき、
それを断ち切るという意図が大事
(=断ち切ると意図し行動に移す=意識の質の変化が起きたという証)

 

 

 

  宿命と運命は違う


これはよく言う話なんだけど

 

宿命は、持って生まれた星(ホロスコープの出生図とかも)

 

運命は、行動で変化していく

 


宿命は決められたものでも
運命はいかようにも変えていける

 

が大前提!


だから何事も囚われずに、箱のなかに閉じこもる生き方から飛び出そうよ!

って常々いってる。指差し

 

お釈迦様は、私たちの運命はカルマによって生み出されると教えられています。

 

 

“生まれを問うなかれ、ただ行を問え。”

(引用:『スッタニパータ』)

 

 

 

 

 

  身・口・意

 

カルマは三密によって形成される。

宇宙の生命現象はすべて身(身体)、口(言葉)、意(心)という
3つのはたらきで成り立っていると説いています。

 

 

カルマ=行為なので、一般的には「身体で何かすること」だと思うでしょうし
「徳行=徳を積む」「善行」とか言いますけど。


仏教では、
「口でしゃべること」や「心で何か思うこと」も、カルマ(業)といわれます。

 

 

身体でやったことを「身業しんごう


口にしたことを、「口業くごう

心で思ったことを「意業いごう


これらを「身口意しんくい三業さんごう」という

 

 

 

仏教・密教では、
カルマ=行いを「心と口と身体」の三方面から見ます。

 

心と口と身体のどれが一番重要?


お釈迦様は「心」とはっきり申されています。

 

ヨガ哲学のところでも触れたように
「意識の質」と同じくです。

 

 

 

とまぁ、ざっくり書いたけれどもカルマって壮大です。

個人のカルマ、と認識しているところでさえ
魂としての「過去生・今生・来世」のカルマ

があり

そこに紐づいてくる

・家系カルマ
・民族カルマ
・土地カルマ
・文明カルマ
・惑星カルマ
・宇宙カルマ

 

など、、、本当にいろいろ絡んでるんだから。

 

そりゃ知らないと、一個人の人格(エゴ)の部分では到底敵わないわけだ。

 

無知は罪、と言うけれど
無知のままか、知ろうとするのかさえ
「カルマ」であるようにも感じるのは私だけだろうか。

 

 

と言うことで今日のつぶやきは締めくくる。(雑w)

メール 📷

カルマについて質問してくれたサロンメンバーから届いたメッセージ💌
カルマについて深掘りした夜に「夜中の神社に参拝している夢を見る」と言うのもなんとも象徴的。



「夢」には、夢占いや夢診断なんかをはるかに超えるメッセージが潜む。
※なので チャクラ部 では第6チャクラのときに夢日記の話が出てくる
 

ざっくり
夜中=

  • 無意識

  • 未知の領域

  • 内面世界

  • 魂の領域
    etc


神社=

  • 聖域

  • 高次の存在

  • 魂との接点

  • 自己の中心(Self)
    etc


参拝=

  • 祈り

  • 誓い

  • 意図

  • 浄化

  • 内面の整理
    etc

 
って感じで、
 

「カルマ」について思い馳せて考えていた日にこの夢を見た、というのは

自分の無意識の深い領域にある因縁やパターンを
高次の秩序の前に差し出している、
または高次の世界と接触しようと試みる無意識の現れ


といったような象徴なのでは。

いずれにしても探求のしがいのある領域ですね。
ありがとうございました!
 

 

「魂の道場」では、本当にいろんなことをやっているのですが
その深さや面白さについては、またタイミングで出すかもしれない。

 

気になる人はお試しでも。

 

 

私は無料の範囲だけでも←って人はw

初級編って意味で、このへんのYoutubeとか見ててもらえるといいかも。

前編

 

後編