生き方を変えると
人生180度好転する
初めまして!
「人生を変容しブラッシュアップする生き方」
伝導師の岡田奈津子です(^ ^)
30歳直前まで、人生くすぶってた
・・・いや、本当に大変で
紆余曲折の人生だったわたし。
(自分自身の災難や不幸んは、割と公言してきてますが、
不特定多数の人が見る場ということもあり
家族や身近な人の事情や背景などの詳しいこと
すべてをお話しするには
話しきれないこともあるので、
学びにきてくれる人たちがいる講座という場で
様々な事例やケースの話、背景・乗り越え方などを
シェアさせていただいてます🙏)
生い立ち
大阪生まれ・大阪育ち
4人きょうだいの第二子として生まれました。
< 姉・私・弟・弟 >
上3人は年子で、末っ子弟とは7歳差
4畳一間の狭い家での5人暮らしを経て
府営住宅(団地)に引っ越した3歳頃からの記憶が
(ぼんやりではあるけど)断片的にある。
よく聞かされていたのは、
1歳の頃からホントおてんばで、
女の子だけどよく男の子に間違われていた。
怒られても全く気にすることなく
いつもコソっと悪さをする子だったと。笑
飽き性で、次から次に興味がいっちゃう。
生まれてすぐから重度のアトピーで
ミイラみたいに全身グルグル巻きで
目しか出ていない状態だったらしい。
赤ちゃんの頃、母は会う人・道ゆく人に
「わぁどうしたの?包帯グルグルでかわいそうやねぇ…」と言われることに疲れ、嫌で、
私の顔が見えないよう、いつもおんぶをして隠していらしい。![]()
(面白いのが、こういう小さなきっかけが実は親子ともども“傷”になってたりもするものだから人間って本当に繊細なエネルギーだとも思う。)
そしてお姉ちゃんをよく泣かせていたそう。
(小学生以降その立場は逆転する)
おませな子供
色んな大人たちから「おませ」
とよく言われていた幼少期。
いきなりだけど、大人たちに告ぐ![]()
おませとかって一言、余計だと思う。笑
「おませ=悪」みたいな概念で子供には伝わっているかもしれない…ってことを知った上で
言葉のチョイスに責任を持った方がいいです。
これは「 おませさん 」に限らずだけど
その子はその子のままで、ただ在るだけなのに
「おませ」の言い方によっては「ありのままいてはいけなんだ」と認識する子もいるのです。
本当にその子が“おませ”なら、
大人が何気なく話す言葉の背後にあるものまで理解できる地頭の良さがあるはずだから。
一瞬で汲みとります。
〝一般的〟とされるものや〝自分の価値観〟とは
相反するものや、進化しているものに対して
「物申したくなる」面倒な性質を持ってる人が結構多い世の中。
「子供らしくない」「ませてる」
テレビの中でも、
振る舞いや会話が大人びてる子役たちに
対して言う(思う)人が必ずいる言葉![]()
分かりやすい例が、芦田愛菜ちゃん。
そんな風に言われていた子役時代を経て、
現在はどうなっているでしょう?![]()
今や大谷翔平くんと並んで日本を代表する
「模範的人物」となっているんではないですか?
(2025年現時点)
「ませてる」「子供らしくない」は
表現に棘があるのか
「おませ=あまり好ましいことではない」と
子供ながらに感じていたので、
同じ言葉でも
「賢いね」「よく話を理解しているね」
そんな表現が自然と出てくる大人でありたいものです。
家族(ルーツ)=人生の土台
あ、自己紹介だった。
熱く語りすぎて長くなる脱線癖、、、![]()
まぁ、そんな自分嫌いじゃないす![]()
きょうだいが多い&親の仕事の関係で
家庭のお財布事情は苦しい方だったと思う。
そんな中習い事を少しの間でもさせてもらえたという奇跡に感謝。
とはいえ一人何個も掛け持ちできるはずもないから
習い事は本当にやり遂げたいもの!
本人の資質を伸ばせるところで
一人一個ずつ
が我が家のルールだった。
(それも月謝が上がったり弟の野球生活漬けが開始してからみんな習い事やめることになったんだけどね…)
姉はピアノ🎹(母の姉がピアノの先生だった)
私は演劇スクール💃(毎週日曜だけ・演技の基礎レッスンも月に一回のダンスも大好きだった)
弟は小学4年から少年野球⚾️(ここから私たち家族の土日は全て弟のものとなる)
一番下の弟も、小学生か中学生から野球を始めたはず。多分
(この頃には、結構家庭環境が荒れてきてたから、それどころじゃなくなり脳の記憶装置がそこにはないという
)
年子きょうだいでもよく遊ぶし、
『きょうだいの友達も皆友達』ということで
きょうだい揃って大人数で遊んでいたな。
みんな個性はバラバラで![]()
大人になるにつれて、きょうだいの中でも(いや厳しい現実が突きつけられるたびに)
怠慢に生きていた自分を自覚するようになって。
4人きょうだいで、わたしは分かりやすく
落ちこぼれだった。間違いなく。
自慢で憧れ・怖かった姉
勉強もスポーツも何をさせても結果を残す
最強の姉。陽キャの勉強好き。
小学校の相撲大会では毎年優勝する強さ。
英語が話せるようになりたいと
毎日コツコツ基礎英語ラジオを聴いて
遂には独学で英語ネイティブレベルまでいくほど
99%の努力と1%の才能の人。
海外が大好きで、旅行が大好きな姉は
某航空会社でCAとして働く夢も叶えて。
私とはまっったく違う生き方。笑
昔penpalという海外の子と文通をしていた姉に
憧れて、教えてもらいながらPenpalを始めてみるも、
チンプンカンプンで、辞書を引きながら英語にする苦痛が嫌になり
楽しさを見出せないまま、すぐにやり取り終了したわたし。笑
(もうこの時点で、第3チャクラの分かれ道がはっきりしていたんだな
)
本当に家計的に苦しかったのか
いきすぎた倹約家なのかはさて置き
自己努力によって、奨学金が出るから留学できる切符を手に入れたにも関わらず、
家庭の事情で辞退しなければいけなくなった姉。
もっともっと勉強をしたいから、塾に行かせて欲しいと懇願して泣いてた姉。
こういうのが度重なってどんどん内面グレてくんだけども
習字道具、一生懸命に手で墨をする事が
時間はかかるし腕は疲れるし恥ずかしいしで
「皆みたいにワンプッシュで出るものが欲しい!」と
しょうもないことを親に懇願していた私(
)とは
大違いだった姉。
動機・目的・視座がまったく違うのよね。
書いてて自分がなぜ
きょうだいの中での落ちこぼれ自覚があったのか
はっきりするよ。
努力とか頑張るとかはキライで
何かを得るために、なにか目的に向かって
「必死に・本気に」なったことが一回もなかったかも、って。
要するに、わたしは
「もとから何もない」状態で
ある意味では、出来る姉に対して
コンプレックスは1mmもなく
むしろ常に憧れで姉の真似ばかりをしていた。
カーペンターズを歌っていたら
自分も歌えるように英語歌詞を覚えたり
ブリトニースピアーズにハマったら
私も自分のMDにコピーしたり
DVDを一緒に観て楽しんでたり。
もともと自発性のなかった私だけど
姉の真似をよくして自分の好きを確立させていった。
東方神起やBIGBANG、
韓流の輸入が人よりはやかった。
Air bnb(エアビー)も日本で出回る前から
海外でよく使っていた。
姉が推すものが必ずその後ブームになるというのを
なんども目の当たりし「予言者なの??」って思ってた時もあった![]()
アーユルヴェーダも、電磁波のことも
一般化される前から
たくさんの物知りで実践者だった姉に
憧れない妹はいない。
英語を教えてもらうのに、よくキレられた。笑
人格否定みたいなキレ方もよくされたけど
自分の勉強でも精一杯なのに、
出来の悪い妹(なんど説明しても理解力皆無な妹)の面倒なんて
誰が見てられるかってね![]()
![]()
(その節はお世話になりました)
「映画版ジャイアン」と周りからは言われていた![]()
姉は強すぎた。メンタルも拳の力も。
けれど必ず、どの人にも現在に至る【背景】があるのだ。
友達感覚の弟1号
一つ年下の弟も、礼儀正しく
近所ではいつも弟が褒められる対象だった。
なっちゃんは2番目。
私達きょうだいは、世間でいう躾がよかったのか
大人からの人気と需要が絶大だった。笑
困っていたら助けること
挨拶は自ら元気よく
何かしてもらったら必ず親に報告すること
これを単に実践していただけで
ご高齢者に囲まれた当時の団地住まいでは
評判のきょうだいで、おかげで大人になるまで
たくさんのおばあちゃん達にも助けられた。
だから私はお年寄りが好き。笑
仲良しだった弟も努力家で
学校のシャトルランではいつも学年No.1で。
姉もスポーツ・勉強どちらも表彰されて。
真ん中の私は、姉と弟の実績に挟まれて
まさかの「エッヘン」と思える勘違い野郎だから
ある意味でスゴイ。
中学生の頃、弟と自転車の旅によく出て
遠くまで冒険しに行っていた。
そんな仲良しの弟が、高校から野球のために
寮生活を始めることになり離れて暫くは
毎日枕を濡らして泣いていた
(ブラコンだ笑)
愛すべき(幸せになってほしい)弟2号
末っ子の弟は、とにかく可愛くて
今でも可愛くて笑。
家族きってのキーパーソン。
お母さんのお腹にいるときから、毎日みんなでお腹に語りかけて
生まれてからも我が家のアイドルで
みんなで取り合いになっていた。
2ヶ月も早産になた事で、しばらく保育器生活が続いたけど
今では元気に育ってくれて本当にありがとう。
きっときょうだいの中で一番苦労をして
家族の負をすべて余すことなく経験してきた
小さなうちから悟りを開かざるを得なかった子。
特に、一番酷かったであろう
2003年あたりから2010年頃
2人で、ともに耐え抜いてきた同志。
今では一番仲良しで、
お互い一番なんでも話せる仲![]()
長いながらも、内容的にはかなり薄めなのですが
ほんと濃ゆい、人生経験を積んできたものです。
大変な家庭環境を経験した人たちは、
一度は口にする
「普通の人なら絶対無理やと思う。耐えられへんはず」
いやいや、誰でも無理です。
普通じゃ経験しないような生活をしてきて
経験値が高いがゆえに培った我慢強さなだけなんです。ほんとによう。。![]()
(まだ苦しんでいる人たちが世の中ごまんといると思ったら、一人ひとりにハグをしてあげたい気持ちでいっぱいです)
こんな私たちを生んで育ててくれた両親は・・・
姉と同じく、本当になんでもできる(努力なんだよね・・)
母は、物心ついた頃から働いていた。
それは今も続いていて。
すごくポテンシャルの高い、我慢強い母。
ここ、私引き継いでるわ…笑
(基本は努力嫌いの怠け者のお父さん似の自負ありなんだけど)
4人の子育て(その間妊娠中もずっと仕事!)をしながら
フルタイムで仕事、家のこと(炊事・洗濯・掃除)全部。
大変すぎるからというのもあってか、我が家の「お手伝い方式」が導入されたのは割と早い方だった。
ご飯以外はなんでもできる人間に育ったのも環境のおかげ。親の仕組み化のおかげ。
母は22歳で子供を生んでから、ずっとずっと「家族のため」「困ってる誰かのため」
もう40年も「自分のために生きる」をしてこなかった人。
まぁ、ここまで書いておいてなんだが
生い立ち、、、長いわな![]()
ここまで読んでくれた人、ありがとうございます

※ すべてを書ききれないから、今後は思想とともに
小出しに書いていくかもしれないけれど。
詳しい話は、講義でしかできないこともあるけれど。。
色々勉強してきてわかるようになったのが
嘆きたくなるような環境や出来事・経験、、、
母も、父も、私たち4人の子供たちも、
みなが犠牲者であるってこと。
「人生は苦しく耐えるべきもの」が前提にあった
人間は、自分にとって衝撃や情動反応が強かった記憶を長期に保持するという特性がある🧠
それは、本人覚えているかいないかに関わらずね
(記憶にない…と蓋している場合もある)
一般家庭より貧しく、両親の苦労・大変さは
相当なものだったと思うけど
幼い頃の記憶としては、家族仲良く、
私にとっては結構自慢の家族だった。
そんな中でも、、、
私の中で初めに「不快」を強く感じ出すきっかけとなったのは父だったはず。
いつも土日は外に連れて遊んでくれる父、
ユーモアがあって面白い父だった。
昔相当なヤンチャ問題児だったらしい父も
結婚をしてだいぶ変わった所もあったそう。
けれど、そんな良いところも
「酒乱」によって掻き消される…
家族にとっては苦痛な…![]()
そこだけでも相当な経験をしてきた自負がある。
「アル中・酒乱の家族を持つ人たちとの会」
みたいなものがあれば、
参加者といくらでも語り合えるだろうし、
「酒乱の人の心の奥底の声についてや自分も相手も救う為の在り方と心構え」
そんなテーマで講演することもできるだろう。
(アル中や精神疾患、様々な「周りも苦労・疲弊し、恐怖に苛まれ、被害を被る」系のモノは
当の本人からの「心の叫び」でもあり、その人もまた犠牲者であることが多いものなのです。
そのメカニズムについて学ぶ必要性は大いにあります。それが自分もその人も守ることに繋がります)
小さい頃は両親の喧嘩してる姿や
小競り合いとかも見た記憶がなく
いつからウチって
バランスが崩れていったんだろう?って
思うけど、小さな所から歪みはきっとあって。
なんならそれは脈々と、両親が子どもの頃から
そしてそのまた両親が、、、という
第1チャクラの凄まじい影響力
を思い知る。
アダルトチルドレン、毒親、
インナーチャイルドなど
いくらでも存在する知識はたくさん学んだ。
しかもそれはすべて経験済みというか朝飯前の知識。
その当時は「受け入れがたい現実」が
ラベリングされたものを知るだけでも
救われること、あったなぁ。(遠い目
「あぁ、そうか。だからこうなったんだ」
「これが原因だったのか」と。
だけど、納得はできても
根本解決にはならないし、
不完全な状態では、幸せも本当の自分で生きることも自ら無意識に遠ざけてしまう。
だから私は、もっと本質を知って
根本的に向き合って変わっていきたいとも思ったんです。
今の仕事にも繋がるきっかけの1つでもある
「幼少期からの経験・家庭環境」
生まれたときから私たちの「人生」はすでに形成されていくから。
(何なら胎児期、いや前世・過去生、集合体レベルで
)
そしてそれは、
「のちの人生に多大なる影響を及ぼしている」という事実・真実を私たちはもっと知った方がいい。
父だけではない、ここでは書ききれない(書けない)ことがたくさんあった6人家族。
そこをなくして【わたし】を語れないのですが。
今までも、これからも、すべての経験は
自分にとって必然だから起きている。
それを最も教えてくれているのが「家族」だなと改めて感じます。
とはいえ、家族はルーツの一つに過ぎず
家族だけがすべてでもない。
そして、忘れてはならないのが
どんなにつらくても、離れたくても
家族という絆の根底にあるのは
「愛」であるということ。
同じなら、
その境遇を「愛する力」に変えていったらいい。
私達は、あまりにもたくさんの
ヴェールをまとって生きているから。
色んな経験を重ねていくうちに。
「 自分は価値がない人間だ 」と
感じるような出来事・あなた自身に遭遇する度に
その感じを否定したくなり
「 こうあるべき/ べきではない 」と自分を隠そうとする。ヴェールを増やしていく。
そうやって生きていくうちに、
どんどん “ 本当の自分 ” がわからなくなってくる。
自分はどうしたいのかすらも感じられなくなってくる。
「こんなに頑張ってるのに」
「耐えてきたのに」
「我慢してきたのに」
「待ち続けたのに」
「合わせて優先してきたのに」
「こんなに必死でやってきたのに」
無理しすぎるのも自分をダメにするからと
自分を持ち上げるために努力して
でもそれがもっとしんどくさせるの繰り返し…
そう、これ 過去の私です。
色々ありすぎたから、
そっちをどうにか対処するのに精一杯の日々で
自分のことはいつも後回し。
人の人生まで背負って、しんどくて。
どうやったらこの沼から抜け出せるのかもわからず、長年もがいていたけど。
ある出来事を皮切りに、すべてを失い、
心もからだもボロボロになって
「 限 界 」の二文字がついにやってきた。
いや、遅すぎたのかもしれない。
とうに限界はきてたはずなのに、
育ってきた環境上「 我慢 」が染み付いてしまっていた。
でも、我慢<限界
がきたとき何かが弾けた
このまま生きるのはもう嫌!
このまま人生終わってしまうのは、もっと嫌!!!
どれだけやっても報われない人生に、
つらすぎる境遇に
『なんで自分だけこんな人生なんだろう』って
涙が止まらない日々を過ごした。
それでも人にはそんな姿を見せずに、
弱音なんか吐いたこともなかった。
すべてを失い、
これからどうやって生きろって言うんだ、、、
私のなにがいけないんだろう・・・
グルグル![]()
・・・もう、やめよう。
自分から、人生から逃げないで
ちゃんと向き合おう。
そしたら少し「 欲 」が出てきた。
今でも鮮明に覚えている。
「 ・・・幸せになりたい 」
ハートの奥からやってきた「 魂の声 」を
しっかりとキャッチした瞬間だった。
腹を括って、人生を変えることを決め単身渡ハ🇺🇸
毎日、とにかく自分のことに集中した。
自分にこんなに一生懸命になれたのは、
大人になって初めてだった。
いつもうまくいかない恋愛も、
転職を繰り返し何を選んでも続かない仕事も、
才もない、資格もない、
なにもないわたし。。
わたしだから、ダメなんだ。
本当にそう思ってた。
苦しかった。人には悟られないようにした。
だけど薄々気づかれてそうで、
それもまた恥ずかしかった。
そう、
わたしはわたしがダメと思い込んでいて
さらに恥の感覚を強くしていっていた。
だけどね、本気で、正しく
自分と向き合えたことによって
私は、自らの足で、
大きな変容のプロセスの入口に立てたのです![]()
自分が悪いわけでも
誰かや環境のせいでもなかったんだ
これはわたしにとって
(救われる)衝撃の真実だった。
自分が変わると見える世界は変わる
世界は自分が創っていた
今までの世界から飛び出て
生きたい世界は自分で創れる
私は、くすぶってる期間が長くて
苦労が絶えず遠回りしてきたけど
狭い箱の中に閉じこもったまま生きている
あの頃のわたしのように
もがいてる人がいれば
人生を変容するきっかけを🤝🏻と
ティンカーベル🧚♀️のようにパラパラと
愛の粉を振り撒いていきたいなと思っていたら
いつの間にか、それがシゴトになっていた。
見える世界が変わってから
今のわたしまで
まだたくさんのプロセスが
あったんだけど、それはまた続編で![]()
(あるんかーい![]()
)
最後まで見てくださったあなたには、
御礼にこちらの動画をプレゼント笑
いえ、よかったら観てください![]()
全員に共通する「見逃してはならない前兆」




