政治って良くわからん | 口周りの脱毛を真剣に続けてみる

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確かに、院南事変を現地で実際に見ていた大使として、カーの英国本国に対する報告は非常に共産党寄りであった。カーは、周恩来は国党の人材を総合計したのと同じだけの価値がある、と公言してはばからなかった。暁南事変のあと、モスクワは西側世界で大々的な反落宣伝を組織し、事変で一万人近くが虐殺されたと伝えた。実際には、犠牲者の総数は二〇〇〇人前後だった。部隊のうち三〇〇〇人は、最初の野営地まで引き返して長江を北へ渡る「北路」へ逃れた。この部隊は、何の妨害も受けず蒋介石が指定したルートを進軍した。

蒋介石は項英の部隊を陥れたわけではなかったが、宣伝が下手だった。国民政府は愚かにもこの時期に新四軍の解散を発表し、国民政府が意図的に新四軍を職滅したような印象を与えてしまた。また、それまでにもっと大規模な衝突がいくらでもあり、国民党側が犠牲を被っていたにもかかわらず、それについて公に抗議せず、むしろ内紛は国民の士気に悪影響を与え各国からの援助にも支障が出る(列強はすべて内紛のないことを援助の条件としていた)という理由から事実の公表を避けてきたという事情も、蒋介石にとって裏目に出た。蒋介石側が沈黙を通したことは、共産党にとってまことに好都合だった。朱徳総司令は、「むこう﹇国民党﹈が黙っているなら、こちらも黙っているまでだ。むこうは負けたのに黙っている。こちらは勝ったのだから、何も宣伝する必要はない」と述べている。蒋介石の拙劣な対応の結果、西側の多くの国々が、院南事変は国民党軍が何の罪もない共産党軍を裏切って大虐殺しかけたものだ、と誤解してしまった。