今日はすごい地震があって、どうしようかと思ったけど行ってきちゃいました、
「高峰秀子の生き方」講座。
既にもう2回やっていたらしく、今日は最終3回目。
彼女の愛した男性、だんなさまの松山善三と高峰さんとの愛に満ちた生活を
養女となった斎藤さんが語る会でした。
斎藤さんのさばけた人柄もあって、カジュアルなトークショーでとても楽しめました。
人には大なり小なり、類似ものをタイプやレッテルとしてくくる傾向があると思いますが、私なんてすぐに
「このタイプ」って決めちゃう。
生来面倒くさがりなので、細かく深く理解する前に、まず「こんなものだろう」と決め込んでしまうわけです。
そういう中で、私からして高峰秀子さん、原節子さん、田中絹代さん、果ては吉永小百合さんも「昔の美しい女優さん」カテゴリーに入っています。
しかし、齋藤さんの高峰・松山ご夫妻への敬意と愛情はものすごくて、そうした偉大な女優さんの中でも、そこまで特別な高峰さんが、いったいどんな方だったんだろうと、更にすごく興味が湧きました。
斎藤さん、結構毒舌なところもあって、驕り高ぶったところがあるような女優さん、俳優さんにはとても手厳しい。そんな毒部分もあまりに潔い口調なので、結構会場はうけていました。
ちょっと前の私だったら、「そんなことまでいったら、高峰さんのイメージもこわすんじゃないか、」って憤慨したかもしれないけど、色々あって少し練れたのかな、
人に飽きさせないためには少しぐらい面白くって毒づいていてもいいのかなって。
そんなドクドクの中から、彼女の狂おしいまでの高峰秀子さんへのリスペクトがすっと立ち上ってきて
原節子でもなく、田中絹代でもなく、岸恵子でもなく、また森光子とも全然違う、
高峰秀子のスペシャリティをもっともっと知りたくなりました。
この本は、高峰さんが大好きだったご主人とご主人と一緒の写真が沢山で、そして、最初も最後もぐっとくるし、良い本だと思いました。(これから本屋さんでも売るそうです)
夫婦ってお互いずっと好きでいられればいいよなあ、と思う。
どんなに外でつらいことがあっても、家族は味方。
いろんないい話をきいて、「私にはパパが必要だったんだ」と思って、またがんばろうと帰途について、
でも、バイオリズムがいつもマッチするとは限らない。
そこがまた人生を生きる意味なんだと思う。
一つ。多くのものを求めない、引き算を続ける、これが人生うまく生きていく方法ですね。
私がもっと欲深から卒業できて、しっとりした時間を持てるまで、
高峰秀子さんのような生き方は憧れでしかないかもしれないけど、
それでも、そんな生き方があることを知っていることと知らないこととでは
また随分違うわけ、と思いたい。
帯のコメントもいいんですね、意味がある。
これ、三浦友和さんです。
「結婚できて嬉しかった?」の問いに、
金婚式を迎える夫が言う。
「夢のようでしたよ」・・・
涙ぐんでしまいました
「ビックな奥さんをもった旦那様」とうい立場から、様々な点を理解してくれるのではないかと、お願いしたそうだけど、すぐに読んで書いてくださったんだそうです。
三浦さんもさすがですね。
今日のトークで心に一番残ったのは
高峰秀子さんが生前言っていた言葉。
「人間がよければいいんです」
5歳で女優になり、その後もずっと引っ張りだこだった彼女は、ほかのみんなのように
「女優になりたい」なんて思うこともなく、ずっと女優業をやって来ていたわけだから
あんまりおかしな外連味もなかったんでしょうね。
そう、お金やものでなく、
「人間」が良ければいい。