ヨーロッパ某国で成年後見人にしてやられました

ヨーロッパ某国で成年後見人にしてやられました

ヨーロッパ某国で、夫が若年性アルツと診断されました。成年後見人をつけたところ、まあどうも、してやられたようです。今実証中。反撃開始なるか?

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とにかく感じるのは私への敵意。会社のパトロン女性は、何かを頼んでも、嘲笑混じりに意見を聞かない状態。

そのころはあまり状況もわからず、多分、アルが私の悪口を言っているのだろうと思っていました。それにしても介護人やその会社なら、それがアルツの症状であるとわかりそうなものなのに...と思っておりました。

その頃からエイド社との連絡を、『私がやる!あなたでは喧嘩になるでしょう!』と、積極的にエブが取って代わるようになりました。気がつくと彼女がエイド社の全面窓口。確かに彼女の方があたりが柔らかいし、その方が問題は少ないのだろう。その好意に甘んじていました。

どうせ、生活費や、請求書のことで、エブは随分と懇意にエイド社と連絡をとっているのを知っていたので、『ではついでにこれこれも伝えておいて。ありがとう!』となっていきました。

介護の時間変更は基本できない。なにか頼むにしてもエブを通してと言うのは全てに時間がかかるわけですが、それでもエイド社と私は連絡を取りたくなくなっていたのです。まあ、子供を会わせること以外、介護時間を把握さえしなくて良くなって行くわけです。

もちろん、キャリアをまるきり投げ売って、それまでアルの世話をしていたのです。結局こんなに頑張っても、彼にとっては私はもう敵でしかないのか...、今まで何だったのだろう...と、うつ状態にもなっていたのでしょう。

どうせ私が望んでも、彼は介護人らにガッチリ囲まれて、会うこともままならない。『彼は良い介護人らに囲まれている。あなたがいないほうがずっと病状が良い』とエブに説得されていました。

正直に言って、確かに全く怒鳴り声のない生活というのは私に必要だったのかもしれません。数年ぶりに私が人生の息継ぎをしたのは確かでありました。

この頃のエブへの私の気持ちはもう、感謝でしかありません。アルが怒り私が何日も連絡つかずだとしても、エブに言えば介護人がなんとかローテーションをくんで、とにかく彼が食べることについて、保証されていたのですから。

その頃エイド社のパトロンが変わっていたというのは随分後で知りました。こうして私はどんどん蚊帳の外へ。

続く...