20歳の時
専門学校を中退したわたしは、
先ず、好きな雰囲気の古着屋に
履歴書を提出し、
後日、オーナーに呼ばれ、面接を受けた。
わたしは、
極端に、他者に興味が持てないところがあり、
後々、その オーナー(後に絵描きのわたしのプロデューサーにもなってくださった方)が、
わたしの人生の中で、最も、変な人(良い意味で)と、判ることになったが、
面接では、わたしは全然見抜けなかった。
しかし、そのオーナーは、
「僕、ただの経営者と違うの判るやろ?変やろ?」
と、真剣な顔で言ってきた。
わたしは、
「そう、、なのでしょうか、。」
と、応えた。
続けて オーナーは、
「絵 描いてるん? その絵の資料ファイリングして、◯◯日、持って来て。」
と、言われ、
わたしは、
「はい、解りました。」
と、言って、後日、
再度の面接?で、作品資料を持っていった。
オーナーは、画商でもあり、コレクターでもあり、
古着ブームの火付け役でもあり、
若い頃は音楽活動、そして、レーベルの主宰をしていた経歴もあり、
アンダーグラウンド感は、むんむんだったのだと、今では思う。
それほど、わたしは、
社会における、自分も含め、その人間のバックボーン、バックグラウンドに、
本当に、無頓着で、今でもその傾向は消えない。

最初に履歴書を提出、面接してからの
3ヶ月程 の、間、
雇ってくれるのか何なのかよくわからない
呼び出しがあり、
色んなところに連れて行かれ、
色んなよくわからない話をI氏の車の助手席で、聞いたり、
ギャラリー島田 さん を、紹介してくださり、接点を繋げてくださったのも、
I氏だった。

そんな中、ある日、
西ノ宮のナントカという駅に来るよう言われ、
わたしは、言われた通り、
出向いた。
わたしは、今日は、一体何なんだろうか?
バイトの話は出るのだろうか?
と、思いながら、
待ち合わせの駅前で I氏を待っている間、
何だか、物凄い、へんてこりんなお爺さんが、
数十メートル離れたところに居て、
他にも人はそれなりに居たのだが、
妙に
互いに、何だか チラチラ見ている感じのところ、
I氏が車で、到着。
そして、わたしと、やっぱり、そのへんてこりんな爺さん、2人に、
「どうも〜。」と、言いながら車を降りてきて、
わたしは、(やっぱり。。)と、思いながら、
そのへんてこりんな爺さんを
よく見ると、絵の具塗れのズボンに、
分厚い眼鏡で、絵描きなのは間違いなかった。
紹介するとか言っていたことを思い出しつつ、
わたしも、I氏のところへ
近寄りながら、ものすごく親しげな
そのへんてこりんな爺さんと、オーナーは、
「おおー、I君! 久しぶりだね〜」
と、独特の喋り方で
I氏も、
「T先生も、最近どうですか、体調は」
と、2人は互いに笑い合って挨拶し、
わたしも、そろそろっと、
「おはようございます、、」
其処へ 交わり、3人揃ったところ、
へんてこりんな爺さんが、
「やっぱり、君やったんか〜 すぐわかったよ〜」
と、
わたしに言ってきて、
I氏も、わたしに、
「(わたし)さんも、この人やて、すぐわかったやろ!」
と、言い、
わたしも、
「はい。すぐわかりました。」
と、
3人で、笑いながら I氏 の車に乗り、
そのまま、西ノ宮の
I氏宅に招かれた。
その車中、I氏(当時40代半ば?)、T画伯(80歳前後?) は、
なんだか、互いを、「ボス」と、呼び合い、
へんてこりんな会話が続いた。
わたし(20歳)は、
何を思って、どんな面を下げるのかもよくわからないまま、
お2人の会話を聞いていた。
何の脈絡もなく、話している様子から、
2人の付き合いが、長いことは見てとれた。
I氏「ご病気の方は、その後どうですか?アレ(自分の尿を飲むという治療法)は、効果ありますか?」

T画伯「うん、飲んでるよ〜、毎日ねぇ。」

(笑い)

T画伯「そっちの方(女)は最近どうなん」

I氏「困ってはいませんよ。」

(笑い)

T画伯「ドラッグ(酒のこと)は どうなの最近」

I氏「嗜む程度ですよ。」

(笑い)

そんな会話を聞きながら、
I氏 宅に到着。
古着屋のオーナー、そして、コレクター、なのは一目瞭然な、
立派でもあるし、
素敵でへんてこりんなインテリアや、素敵でへんてこりんな絵画、
音響にも隙のない へんてこりんな中庭のある素敵なお家だった。

そして、招かれるまま、
わたし(20歳)と、T 画伯 と、I氏
の、3人で、
音響にこだわってはる、大きなスピーカーの前のソファーに座り、
お茶 と、コーヒー を 飲み、
レコードを聴きながら、
急に、シーーン と、音を聴いてると、思いきや、
急に会話が、始まり、
また、急に、シーーン、
そして、また脈絡のない話、
また、シーーン、、
という、繰り返しの、
I氏 と、T画伯の、
の、よくわからない談笑 を、
黙って 聞きながら、
会話に入るでもなく、
よくわからない時間を過ごし、
小一時間ほど経った頃、急に何かの合図をして、
I氏と、T画伯 が、同時によそよそしく席を立ち、
子供同士のように、
部屋の隅に行き、
2人で何やらコソコソ話し始めた。

わたしは聴覚過敏なので、少し聞こえたのが、
オーナーが、T画伯 に、ヒソヒソ声で、

勘の良い女はやめといた方が良いですって

と、言っているのが聞こえ、
わたしは、そのとき、ハッ!!と、
「わたし、人身売買されるんやろか」
と、思い、
少し、覚悟を決めた。

しかし、特にどうでもなく、その日は、
I氏に、三ノ宮まで送って頂き、
わたしの当時、同棲(ヒモ)していたヒトの、経営する怪しい地下喫茶に、
わたし と、T画伯 2人で行き、
T画伯は、そこで、ヒモに、
「何にもしないから、1日だけ借りるよ」
と、言い、
わたしに、
大阪の、カンテグランデ に今度一緒に行こう
との、お誘いを受け、
後日、
わたしは、T画伯に連れられ、
電車と、徒歩で、
大阪の、カンテグランデ というアジアンなカフェに行き、
ラッシーを飲みながら、
T画伯の、
草間彌生 は、こわい女だった
だとか、
女の絵描きは、こわい
だとか、
そういう話ばかりが記憶に残るような 話をして、
たまに、2人で店内を見て、よくわからない空間を過ごし、
2〜3時間、カンテグランデ で、お茶をして、
そろそろ出て、コーヒー飲みに行こうか。
と、T画伯が言うので、
2人で、席を立ち、
カンテグランデの、雑貨で、何か欲しいものあるか見てみよう
ということになって、わたしは、
店の外の植物のところにもあった、
妙に気になっていた、鳥のオブジェ?
を、手に取り、
「わたしは、コレ、買います。」
と、言うと、
T画伯 は、
「ボクも、それ、好き。良いよねえ〜」
と、言って、
わたしはそれを持って、
2人で、会計をしにレジに行き、
T画伯は、
「後で、コーヒー代払うから、ヨロシク。」
と、言って、なんと、誘っておいて、
わたしは 奢らされた。

そして、また、駅までの道中で、
T画伯は、コーヒー、わたしは紅茶
を飲んで、
会計のとき、また、T画伯は、
「今度、奢るから。ヨロシク。」
と言って、
わたしは2回も、爺さんに奢らされた。
あまりにも、躊躇もなく、堂々と、すっとんきょんな感じで、
「ヨロシク。」
と、言われ、
わたしは、もしかしたら、お呆けになってはるのかな?
と、思いながら、
決してわたしも、余裕があるわけでもないが、
会計をして、電車に乗って、
一緒に 三ノ宮に戻り、
また、今度は 何処か行こう と
T画伯 に誘われ、
わたしは、内心、正直、
また奢らされる、、 とは思ったが、
楽しかったので、
「はい。」と返事をして、
駅を出て、別れ際、
T画伯 が、突然、
わたしに向かって指差し、
大きな声で、
「わかった!! 
         キミ、早熟!!」
と、言い、その日は、お別れした。

その後、I氏 に、やっと、
古着屋の販売員として雇って貰えることになり、
キャバクラを辞め、
「マダムプラネッタ」という店舗で、働けることになった。

※古着屋での社会科 は、また、別の機会に綴ります。

働き始めて数ヶ月経った ある日、
わたしが店番をしているところへ、
カンテグランデ以来、お会いせず、連絡も取り合ってなかった、
T画伯 が、突然やって来た。
「おー! あんりー!(わたしの本名)
と、わたしの名前を覚えており、
わたしは、その事にも
ビックリしながら、
「あ! T先生、こんにちは」
と、
挨拶をすると、他のスタッフさんも居てるのに、
結構大きな声で、
「もう嫁に来る準備は出来とるんかー?」
と、ふざけているのか、本気なのか、
お呆けになられているのか、
呆けてるフリをしてるのか、
相変わらず、わからない感じで、
唐突に そんな事を言うので、
わたしは、
「え、」
と、固まっていると、
「じゃあ、また来るから!準備しといてね〜」
と、言い、去って行った。

わたしは、
「え、あ、あの、、」
と、パニックになり、
突然で、一瞬の出来事の一部始終を見ていた
スタッフの女の子に、
「今のお爺さん、誰なんですか?」
と、訊かれたりもしたので、
わたしは、だんだん、憤慨してきて、
バイト上がり、
売り上げを持って行く当番だったので、
その時に、オーナー(I氏) に、
その日のT画伯の事を話して、
「一体、どういう事なんですか?!」
と、訊ねたところ、
I氏 は、
「それはあかん!後で電話してちゃんと言うときます。本当に、申し訳ない。」
と、仰るので、
わたしは、I氏が、わたしの事を売り飛ばすという事ではなかったことに、
一安心した。

そして後日、I氏から、
「ほんま、しまうちさん(わたしの本名)には失礼なことをしてすみませんでした。
あの日、電話かけたらな、いつもやったら、奥さん(T画伯の)が 絶対出るのにな、
プルルって、なった瞬間、すぐに T画伯が出てな、
「はい!ヒロクニです! 
      ごめんなさい!!
           もう、しません!」て、言うて反省たから、釘刺しといたから、ほんまごめんな、、」
と、
聞かされ、
やっぱり、呆けてへんかったんや!
奥さん居るんかーい!
と、内心、少し可笑しかった。


数年後、わたしは、北野で、まだヒモと、暮らし、
日々、バイトに、画業にあけくれていた
ある日、
ギャラリー島田さんの 前を通っていると、
ギャラリー島田 で、
T画伯が 個展をやっていて、「あ!」
と、思って見に行こうとしたら、
すぐ目の前の自販機で、
T画伯が、飲み物を買っていて、
あの一件から、もう、2〜3年ぶりで、
もう、わたしのことは覚えてないかもしれないと思いつつ、
「T先生!」と、こえをかけると、
相変わらず分厚い、虫眼鏡みたいな眼鏡越しに、
わたしのことを黙って、よーく見て、
「、、おー、」
と、
やはり、お忘れになられている感じだったので、
ま、いっか!と思い、
「今、個展されてはるんですね、観てきますね!」
と言って、
ギャラリー島田 さん の、B1 に行き、
T画伯の、画集の出版個展 だったらしく、
わたしは、その時、
ヒモを養いながらの生活で、
毎日、1円単位での、食費諸々のやりくりをしており、
その時も、金銭に全く余裕もなく、
持ち合わせもなかったので、
「げ。」と、内心思いながらも、
T画伯のことも、T画伯の作品も、面白くて好きなので、
わたしのことも覚えてはらないようだから、
と、作品を観ていたら、
自販機から、T画伯が 帰ってきて、
わたしに近づいてきて、
「あんりー、元気やったかー」
と、
なんと、わたしのことを思い出したようで、
わたしは、
「はい。元気です。T先生もお元気そうで、、」
と、言い終わるうちに、
「本、買うてね」
と、ズバリ!言われてしまい、
切実にお金がなかったわたしは、、
「あ、、す、すみません、、本当に、今、お金がなくて、、」
と、
詫びるや否や、
「本を買うか、ここで今、全裸になるか、どっちかして!」
と、いつもの、ふざけてはるのか、
本気なのか、よくわからない発言を飛ばされ、
わたしは、
「、、ぅぅ、、、いや、あの、、、本当に、、お金がなくて、、、」
と、困っていると、
「どっち? 本買う?裸になる?どっちする?」
と、追い打ちをかけられ、
「す、すみません、、」
と、
困っていると、
「うそうそ」
と、言って、
「また、今度ね〜」
と、言うので、
わたしは、また、ホッとして、
T画伯の個展会場を後にした。

その後、何年もお会いすることはなく、
その間に、わたしは、
ヒモから離れ、色々あった後、一人で暮らし、
I氏がプロデューサーとして、
ギャラリー島田 さんの1Fで、
デビュー個展をさせていただき、
毎年の、夏のミニアチュール神戸展 にも!お誘い頂き、
参加させていただき、その度、
T画伯の作品がある事が、楽しみの一つになっていた。
それから、デビュー個展の翌年、
2012年の春先に、
プロデューサー I氏が、脳梗塞で、倒れてしまった。
ミニアチュール神戸展 の、オープニングパーティーで、
T画伯と お会いできるかもしれないので、
毎年パーティーに参加するようになった。

昨年、2015年ようやく、T画伯と
オープニングパーティーで、再会できた時、
もう、覚えてはいないだろう、、
と、思いつつ、
T画伯のところへ行き、
「T先生、杏里です、」
と、言うと、
「おー、オーネ!」
と、なんと、作家名で記憶されており、
驚きながらも、嬉しかった。
やっぱり、めちゃめちゃ、お呆けになってへんやん!と、可笑しかった。
少し、なんというか、涙が出そうにもなった。

T画伯は、
「ところで、ボス には、会ってるんか?」
と、耳打ちをされ、
わたしは、その呼び名を、すっかり忘れており、
「え、ボ、ボスですか?」
と、訊ね返すと、
「I君 」
と、仰るので、
2人で、少し、I氏の話をして、
「一回、一緒に会いに行かなあかんなあ」
と、お話した後、
また、わたしのことを、
虫眼鏡みたいな眼鏡で、見ながら
「オーネ、すーごく、良くなってるよー」
と、お褒めのお言葉を頂戴し、
わたしは、
「ありがとうございます、もう、女でいる事、辞めたんです」
と、
笑っていると、
T画伯は、
「でも、すーごく、良くなってるよー!」
と、仰った後、
「最近、嫌やなあ!オーネ やら、あうねやら あーね やら、出てきて」
と、結構、鋭くフォローしてくださり、
わたしも、
「嫌です、」
と、応え、
パーティーも、宴もたけなわになり、
T画伯と、I氏に会いに行こう
と、言う事で、
わたしの名刺を渡した。
去り際、T画伯が、
その時は、小さな声で、
「まぁ、、女の幸せは、わからんけどな、」
と、また最後に
意味深発言を飛ばされ、
わたしは、
「わたしも、わかりません!」
と、笑ってさよならした。


T画伯から の、連絡は、まだ無い。笑

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aune
2016.08.02