引退という節目を迎えるにあたり思ったことを書いてきたけど、
とりあえずこれで完結です。
私にとって「音楽」とは、「演奏すること」とは何なのか。
はじめは、自己肯定感を得るための道具だったと思う。
難しい書き方をしてしまったけれど、要するに音楽やってれば誰かに認めてもらえるということ。
前回の記事でも書いたように、家族や親戚が体育会系なので、
何か演奏できれば少なくとも親族からは褒めてもらえた。
私は従兄弟を含めても1番年上なので、きっと寂しかったんだと思う。弟とか年下の従兄弟ばかり可愛がられるというのはよくあることだと思うけど、その寂しさを紛らわしたり親の気を引いたりするのに、ちょうど良いのが楽器を演奏することだったんだろう。
実際、幼い頃ピアノ弾いてて楽しかった!っていう記憶はあんまりない。
どちらかといえば思い通りに弾けなくて鍵盤思いっきり叩いたり椅子蹴ったりして親にめちゃくちゃ怒られてた気が…。「ピアノに謝りなさい!」ってよく言われてた…ああ…。っていうか昔は頻繁に楽器に当たり散らしてたわ…。発表会とかは親戚が見にきてくれて褒めてくれるから好きだった。(というか最近もそうだな、本番は緊張よりも楽しいという思いの方が強いから好きだ。)
トロンボーンはどうだっただろう。先輩の素行がよろしくなくて、いじめられたりしてたけど、楽器は練習すればするだけできるようになったし、パートリーダーやってソロ吹いたり1st.やったりして、個人的には楽しかった。周りはあんまり練習に一途って感じではなかったけどね。
私は昔から極度の負けず嫌いだったし、物事を途中で投げ出すのはかっこ悪いし許せないことだと思ってきたから、音楽が好きかどうかに関わらず、「途中で辞める」という選択肢が存在しなかった。
だから一旦ピアノを始めてしまったら、そして吹奏楽を始めてしまったら、
続けることのできる環境がある以上は「やめる」ことができなかった。続けることが自分の中で半ば義務化されていた。
だから中学に入学して吹奏楽部を選んだのも当然のことで、トロンボーンを志望したのも当然のことで、ピアノを続けることにしたのも当然のことだった。
結果パーカッションに配属されたけど。
ちなみにピアノは高2まで続けた。受験を考えてやめた。でも多分、私がやりたいのってこういう音楽じゃないなっていうのは当時から薄々感じてた。
パーカッションに配属されたのは1つの転機だった気がする。今思えば。
別にうちの中高は吹奏楽の強豪校なんかでは全くないけれど、小学校での吹奏楽部とは天と地ほどの差がある世界だった。先輩には怒られるし、油断すれば後輩に抜かされる。挨拶できないとミーティングで注意され、無断欠席したら呼び出し。オーディションでは下剋上が普通に起こる世界。
でも皆のモチベーションが同じくらいだったので、負けず嫌いで向上心だけはある私にとってはそれほど苦しい環境ではなかった。寧ろ、練習してる方が浮くような小学校の吹奏楽よりも過ごしやすかった。
パーカッションの方々は個性的で、皆それぞれ得意楽器があった。それと他のパートとは違って、出れる曲数が限られていた(曲によって必要な楽器数が違うので)し、1人が1つの楽器を担当するので、責任が大きいパートだと思ったなあ。例えばトランペットとか、大人数でパートを振り分けるから自分と同じ動きをしている人が少なからずいるんだけど、パーカッションにはそういうのが基本的になかったってこと。
吹奏楽のそんな環境、そしてパートならではの責任の重さとやりがいから、必然的に練習量が増えた。というか、練習しないとやっていけなかった。練習すれば上達するから楽しかった。そして、うまくできないと落ち込むよりも悔しい、練習して次こそはと思うことの方が多かった。(私のポジティブさはここで生まれたのでは?)
自分は初心者で何の才能もないし、先輩も同期もめちゃ上手いし、人一倍練習しないとダメだと思った。朝は7時半に学校に行って基礎練をやり、放課後もHR終わったら即部室に行く生活。こんな生活を5年間も送ってたら、音楽をやらない生活というものが全くイメージできなくなってしまいました。好きとか嫌いとかじゃなくて、もう生活の一部と化してしまったような。
道徳かLHRかなんかの時間でキャリア形成みたいな授業があって、30個くらいの項目が並んでる中で、「あなたが生きていく上で欠かせないものを3つ選びなさい」みたいな課題をやったのを覚えてる。例えば「お金」とか「仕事」とか、普通はきっと選ぶと思うんだけど、私は当然のように「音楽」に丸をつけてた。
卒業してからの様子を見るに、そこまで深く音楽にはまってた人ってあんまりいなかったっぽいけどね。大学に入った私はまた同じように吹奏楽をやろうとした。
「途中で辞めるのはかっこ悪い。続けることこそ美徳」と思ったのもあるし、また本気で「何か」に打ち込みたいとも思った。「何か」は音楽以外に考えられなかったけど。
最終的には今の軽音サークルに入って、これまた中高時代の吹奏楽部との差に驚いた。
私は結構厳しめのパートリーダーだったと思う。というのは、先代でちょっとした問題が発生して、これは少し締めていかないと崩れると思ったから。あとちょうど私の代から打楽器の先生が着任したので、そのあたりもうまくやっていくのが大変だった。
基礎練は毎回やるようにしたし、朝練もできるだけ来るように言った。(吹奏楽部の怖いところ。「朝練は強制じゃないです。次の合奏で完璧にできるなら来なくてもいいよ」ってやつ)
パート練も大掛かりなやつをやるようになった。欠席等の連絡を徹底して、時々面談的なこともやった。良いか悪いかは別としても変えていかなきゃと思ってた。
そんな吹奏楽部を経てサークルに入ると、サークルの緩さに愕然とした。と同時に、こんなとこでやっていけるのかと思った。
1番不安だったのは、自分が本当はドラムが苦手だということ。
あとは飲み会多いし周りが暗譜してこないし「初回だから」で全部ごまかすしそもそも曲聴いてこないし練習してこないしetc.といった諸々。「自由」なのは良さでもあり悪さでもあるなと思った。今までモチベーションがある程度高いラインで統一されていたから、与えられたものを練習するのは当たり前でそれ以上すら求められるのが普通だったけど、それが当たり前ではないこの環境では自分のモチベーションを相手に強いることはできなくて。
「こうしたらいいのに」とか「ここが悪い」とか頭ではわかっていても口にすることができなかった。入ったタイミングが皆よりちょっと遅かったっていうのもあるけど、それ以上に意識の違いを感じてしまって、周りに厚すぎる壁を作ってしまった。
自分はやたら意識高いし練習好きだけど、それは嫌々やっているのではなく、習慣というかそういうものだと割り切ってやってるから、褒められるに値するものではないと思ってて、でも周りからは「練習していて偉い」みたいな扱われ方をされるのも何か違うなあと感じていた。それに多才でも何でもないし。才能あったら練習なんてしない。
練習はそれなりにするし、だいたい初回までに暗譜してスタジオ行くからか、たくさんのバンドを引き受けたりもして、時には自分以外皆上手い先輩だったこともあって、負担に感じることもあったけど、それよりも「やってやろう!」って気持ちになることの方が多かった。プレッシャーを感じないというか、前向きすぎるというのか…。
吹奏楽部の頃を思い出して楽しかった。
一番初めに心から楽しめたのは言わずもがな、BUMPバンド。
そして、学年の代表バンドに入ってからはより一層楽しくなった。演奏することが楽しいと思った。もっと正確に言うなら、皆と演奏するのが楽しいと思った。
数え切れないほど辞めたいと思ってきたけど、もう少しここにいてもいいかなとも思った。それでここまで来た。
私の生活において、音楽は当たり前のように存在していて、練習するのも演奏するのも日常の一部分みたいなものだった。
だから、普段ごはん食べるのが楽しいとか、寝るのが楽しいとか思わないのと同じように、音楽をやることが楽しいということに気付かなかった。
こうやっていろんな環境の中で、それぞれの形で、いろんな人と音楽をやってきて、その楽しさを発見できたんだなあと思う。
私にとって「音楽」とは、「演奏すること」とは何なのか。
私が何よりも好きなことであり、何よりも楽しみを見出せることであり、生き甲斐であり、自分にとって最も大切なもの。
いろんな楽器に触れて、いろんなステージに立って。
21年間生きてきて、その所々には必ず音楽があった。物心ついた時から、私は音楽と一緒に生きていた。
上手くできなくて悔しかったり、ハプニングに見舞われて思い通りにできなかったり、嫌なこともあったけどそれで辞めようとは思わなくて、
ただ納得のいく演奏ができた時の充実感と幸福感と達成感を追いかけていた。
もし音楽に触れていない人生だったらどうだっただろうと考えると、
音楽がいかに私の人生を彩り豊かなものにしてくれたのかということを実感する。
音楽を続けさせてくれた周りの皆さん、一緒に演奏してくれた方々、聴いてくれた方々。本当にありがとうございました。
引退しても、就職しても、恩返しをするまで音楽と関わり続けたいと思います。私は世界一音楽が好きな自信があるから、絶対に何があっても嫌いにはならない自信があるから、大丈夫。
願わくば、サークルの仲間も、吹奏楽時代の友人も、他の友達も皆、
程度はどうであれ、ずっと音楽を好きでいてほしいなと思います。
私の知り合いはほとんど音楽関連で知り合った人だから、余計にね。
また皆さんと演奏できる日を楽しみにしています。