5月末に体調を崩して、意外とすぐに復活したんだけども、また先日体調を崩しかけた。今回は前回ほど大したことはない。おそらく慣れもあるのだろう。
もうこういう体質なんだと割り切るしかないし、こういう体質なんだということがわかっているだけありがたいことだと思う。
夜中に、動悸が激しくて目が覚めた。前回と全く同じ状態だったので、とにかく水を飲んで、無理に寝ようとせず、呼吸を整えることに専念した。どうせどんなに苦しくても、気付いたら朝になっているのが経験上わかっている。焦ったって仕方ないけど、やっぱり「死ぬかもしれない」という恐怖を拭うのは難しい。
多分精神的な何かなので、落ち着くような言葉を探した。「大丈夫」という言葉を見つけた。「大丈夫」と自分に投げかけ続けていると、少し症状が落ち着いた気がして、気付いたらやっぱり朝だった。なんともない、普通の1日が始まっていた。
過労死やら自殺やら、毎日のようにニュースに上る毎日。「大丈夫」という言葉はあまりいいイメージを持たれない気がする。
語源を遡ると、「立派な男子」という意味らしい。もともとそういった意味だったが、日本に入って意味が転じ、「非常にしっかりしている」「非常に強い」、さらに「間違いない」「確かな」といった意味で使われるようになったそうな。
(引用:http://gogen-allguide.com/ta/daijyoubu.html)
なんとも日本らしい。
話は変わるが、先日ミオヤマザキの『ノイズ』という曲を聴いた。
「”大丈夫”はだいじょばなくて」という歌詞が引っかかった。
「大丈夫」という言葉が効力を発揮するのは、大抵「だいじょばない」時だ、と思った。
これはAqua Timezの『虹』という曲で、私の人生の主題歌の1つと言ってもいいくらい、大切な曲だ。彼らの楽曲の中で最も有名と言っても過言ではないので、聴いたことのある人もいると思う。
この曲に出会った当時は中学生だったが、この曲に惹かれた理由が最近なんとなくわかった気がした。
「大丈夫」と誰かに言って欲しかったんだと思う。
生まれ持った性格なのか、それとも弟がいる中で育ったからなのか、優等生であることを求められることが多かった。完璧主義、真面目、努力家…自分の性格を表す言葉は「長男長女の典型例」だと思う。
家では勿論だけど、中途半端に成績も良かったし、部活も一生懸命やっていたし、学校で問題を起こすこともなかったので、気付けば「モブキャラの優等生」みたいな立ち位置にいた。手がかからない。放っておいても平気。
実はそんなに立派な人間じゃないことは自分が一番よくわかっている。でも弱みを見せることができなくなっていた。
本当は「大丈夫じゃない」こともたくさんあった。でもSOSの出し方がわからなかった。頼れるのは自分だけだった。いや、私の場合は、自分と音楽だけだった。だから、音楽に励ましを求めた。ダメになりそうな自分をもう一度、いつも通りの「モブキャラの優等生」に戻してくれるのは「大丈夫」という言葉だった。
動悸が激しくて、苦しくて目が覚めて、22歳になっても未だに「大丈夫」という言葉に縋って生きているのかと思うと、どこか虚しくなる一方、どこまでも自分は変わらずいられる気がした。それと、「体は苦しいのに頭だけはよく回るものだな」とちょっと笑ったりもした。