ふと思う。
芸能人や有名人は「さん」付けで呼ぶことがほとんどない。
事実、こんなブログを書いている僕もいまだに芸能人全てを「さん」付けすることに違和感がある。
知人や目の前にいる人に対しては何を考えることもなく「さん」付けするのに、テレビ画面を一つ挟むだけで途端に呼び捨てに変わってしまう。

なぜか?

一つの考え方として、芸能人を「人」として見られていないのではないか、と思う。もちろん「視聴者側が見ることが出来ていない」の意である。

家電や車などと同様に「モノ」あるいは「商品」としてしか見られていないのではないか。

そうすれば世間の無責任な暴言とも言うべき言動も理解出来る。
自分たちと異なる無機物が対象であるなら感情がこもらないのも道理である。

もしこの通りならば、人はテレビ画面を挟むだけで残酷になれる生き物だということになる。






もちろん、会っているわけでも知り合いでもない芸能人にもっと優しくしろ、なんて青臭そうな説教を垂れるつもりはさらさらない。ただ、「これはどうなのだろう」と疑問符を投げかけたい。






僕は2ちゃんねるという掲示板が大嫌いだ。情報収集のため覗く事はあるが参加することはない。これからもないだろう。
あの記事番号でレスを書く風習が気に入らないのである。
どうにも「全国民ID化、番号呼称」を思わせ、人を物扱いしているように感じるからだ。現実ではどう転んでも番号で呼称したりはしない。そもそも最初に名前を名乗らないのがおかしいわけだが。
ネット上だから便宜上だからとそれだけの理由で番号で呼び合っていいものだろうか。ディスプレイを一枚挟むだけで、人を物扱い出来るのはなぜだろうか。






つまり、僕はここに今日のネットにおける「闇」があるような気がしてならない。
我々はたった一枚の薄っぺらいフィルターを挟むだけで、人を人として見られなくなるのではないか。

単純に「顔が見えないから」で済ませたくない。
その原因追求ではいつまでも建設的な意見にはならない。

ある人が言っていた。
「最初の殺人は誰しもが恐いもんだ。でも、二、三人殺せば慣れてくる」

人の善悪に対する感覚、その変動は恐ろしい。
きっとディスプレイ越しならば、玩具を壊すのと同じ感覚で殺人も容易に出来てしまうのだろう。
飛躍し過ぎた考え方であることを願う。