ツイッターを利用する大学生は23.4% mixiは96.6%
 社団法人東京広告協会が大学生によるツイッターの利用状況を調べたところ、57.0%がツイッターを今後..........≪続きを読む≫


「わかる。大学生の子たち、友達と芸能人しかfollowしてない子多い」「自分の中でどうやって消化できるのか分からない。次は何がくるんだ?」「Twitter就活が広まれば増えそうな気もするけど」「大学生は、って言うよりも単にそこまでとぃってーが普及していないだけでは。。。」

ミクシーがいまの大学生にとってはリアルの延長でしかなくって、それだけで自立したネットワークにあまりなっていないのかもしれない。ツイッタで友達と芸能人しかフォローしてないなんて私からすると爆笑ものっていうか塾生OBの高校生大学生とかもどうやらそういう傾向が顕著なんだが私の声の届く範囲で「教育的指導」はしているんだがなかなか理解の「壁」は越えられないようだなあ。一種の壁がある。ほにゃららの壁。ツイッタは緩くて自由度の高いメディアだからそういう使い方もありなのかもしれないがツイッタが爆発的に広まって社会変動的な革命的な変化が起きそうなことはそれでは実感できないよねえ。実際ツイッタがあれば新聞も雑誌もいらないくらいのパワフルなツールなんだけど、そのためには

友達と芸能人しかfollowしてない

みたいな状況からは離陸しないと話にならない。これはパソコン塾主宰者としては常にそこらここらでゆっている内容なのだがまだそういえば文章にそんなに書いたりしてない。書かなきゃってことでアメーバに書いてみる。フツウはこういうネタはココログとかなんだけど。まあいいか。わりと最近アメピグ効果でこちらが出入り頻度が高くなっているのと、やはりこの編集ツールはいじりやすいしUIの勝利ですね。アメーバは。ユーザーインターフェースの勝利。

話をもとに戻すとツイッタはなによりも情報入力とか情報収集の為のツールとして優れてるってこと。なにか「つぶやく」ことから始めるのは確かに大事だしツイートがないアカウントやプロフィールの整っていないアカウントはフォロワがあつまりにくいというデメリットもあるのだが、なにはともあれ、まずは2001の限界まではフォローしまくることが大事であって、ミクシー的な相互承認的な文化ではそもそもないってこと。AさんとBさんをどっちもフォローしないとAとBとのやりとりが自分のTLにあがってこないわけだし、フォローしているひとからどんどんつながってフォローを増やしてゆかないとちっともTLが流れない。TLは流れてなんぼ。そもそも全部を読もうなんていう前提でフォローしちゃだめで、流れてるものの今みてるものだけでもチェックするという姿勢で十分。流れないTLはツイッタじゃない。大量な情報量になったときに習熟すべきは検索のしかたのほうであって情報量を最初から制限すべくフォローを制限しているような発想ではちっともツイッタのツイッタたる所以である情報の質が得られない。つまり量がともなってはじめての質ってこと。

さっきのようにこたえる大学生はミクシーとツイッタとの区別がついてないっていうこと。そういうひとはもう就職ないよね、実際。厳しい話すれば。そんなひと採用したいと思わないもの。使う側にしてみれば。