「創造の写真劇」- 日本語版 64 王国の業が例えで示される | 日本におけるJWの歴史を考察するサイト

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王国の業が例えで示される

 

 

 イエスと彼の弟子たちは、王国について宣べ伝えたり、例えの中でそれを教えただけでなく、イエスが行なった力強い業は、イエスの千年統治の期間中に、その王国によって成し遂げられるより偉大な業をあらかじめ示すという意味もあった。- マタイ 4:23, イザヤ 35:5,6

 

 それはこの言葉によって暗に示されている。「こうした事柄をイエスは行なって、ご自分の栄光を明らかにされた」。言い換えるならば、イエスの言葉は、イエスの栄光ある王国が行なう業の予告編であった。彼の力強い業の多くが安息日に行われたのは同じ理由であった。週の6日は、罪による骨の折れる労働を表わしており、7番目の日は、千年期、すなわち「神の人々の休み」を表している。それは、キリストの犠牲の価値を受け入れるすべての人に約束されているのである。

 

 水をワインに変えることは、今日の何気ない事柄、簡潔な真理が、栄光を受けた婚姻の宴において、主よって王国の喜びへと変えられることを表していた。

 らい病人たちが清められたことは、罪という腐敗から清められることを示している。神に栄光を捧げるために戻って来たらい病人は、この時代に小さな群れだけが罪の許しに感謝することを表している。

 

 病気が癒されたことは、メルキゼデクによって予表されていた良い医者、また王なる祭司でもあるメシアによって、(精神的、道徳的、身体的な)すべての病気が癒されるという素晴らしい事実を示していた。

 

 見えない者の目が開き、聞こえない者の耳が聞こえるようになることは、すべての人類の理解の目と耳がやがて開かれ、神の栄光を認識するようになるという、さらに素晴らしい事実を表していた。「すべての肉なる者は必ず共に[それを]見る」- イザヤ 40:5

 

 主が山で変ぼうされたことは、王国に関する別の例えである。主の弟子たちは、イエスが「人の子が死人の中からよみがえらされるまでは,この幻についてだれにも語ってはならない」と言われるまで、それが現実なのか、幻なのか分からなかった。後に聖ペテロは、彼らが聖なる山で見たものはメシアの王国を表しているとはっきりと述べた。 - ペテロ第二1:16-18

 

 

病人たちを癒す

 

 

ベテスダの体の不自由な者を癒す

 

 

温和な者たちは幸いである

 

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ここで創造の写真劇の第二部が終わり、いよいよ65章から第三部が始まります。